第116話 奴隷、セオリニング王国へ
飛竜は力強く二度、三度と羽ばたくだけで、一瞬にしてその巨体を上空高く舞い上がらせ、王宮を、ユーレシア王国を眼下へ追いやった。
多くの兵士が見守る中、飛竜の背中に設けられた籠に乗り込んだ俺たちは、手を振っているその一瞬の間に起きた出来事に、しばし閉口し、沈黙の時間を作るしかなかった。
そんな沈黙を破ったのは、セレティアだった。
セレティアは何かを思い出したのか、クスクスと笑いながら「ベネトナシュの驚いた表情は面白かったわね」と口にする。
それは、出発時に兵士とともに俺たちを見送っていた、ベネトナシュのことではない。
出発までの短い時間に、俺が戦士長代理をベネトナシュに告げ、断ってきたベネトナシュをセレティアとネイヤの二人でもって、陛下からの命令だと諭した時のものだ。
「戦士長代理はいい経験になるだろうし、ベネトナシュならこなせるだけの能力はある。あそこまで拒絶する必要はないように思うんだがな」
俺の意見にセレティアが黙って頷く。
誰もがベネトナシュの能力は認めているのだが、当の本人がそれを一番否定しているように思う。
「ベネトナシュは元海賊というのが、引け目になっているのだと思います」とネイヤは眼下を流れてゆく光景を前に、若干怯えた様子を見せながら答える。
「気にすることはないだろう。前任のルヴェンは奴隷、俺も奴隷だ。元海賊程度でそこまで卑屈になる必要はない」
「そういうことではないと思うのよね。少なくとも、ルヴェンもウォルスも犯罪者ではないのだし。そういうことよね?」
セレティアの言葉に、ネイヤは黙って首を縦に振る。
ベネトナシュがそこまで気にするには、それなりの理由があるのだろう。
殺しまでやっていた海賊なら、恨みを買っているかもしれない。
海賊だとバレれば、ユーレシア王国に迷惑がかかるかもしれない。
ベネトナシュは深く考えるタイプなため、あらゆることを想定しているに違いない。
「戦士長代理に選んだのは俺だ。ネイヤ、何かあれば俺が責任を取るから心配するなと伝えておいてくれ」
「承知しました」
これで少しは代理に専念できるだろう。
そう思ってセレティアに顔を向けると、クスクスと笑いながら俺を見返してきた。
「なんていい戦士長なのかしら。ベネトナシュが惚れちゃうかもしれないわ。ねえ、フィーエルもそう思うでしょ?」
セレティアから突然振られたフィーエルは、俺の顔を見るなり挙動不審になった。
「そ、そうですね! ウォルスさんも自覚を持ったほうがいいんじゃないかと思います」
セレティアは笑いながら、フィーエルは少し怒っているような表情で俺を見つめてくる。
ネイヤは流石にそんなことはなく、そんな二人の発言に少々戸惑っている感じだ。
俺を敵視するようにイジってくるベネトナシュに限って、そんな感情が芽生えるわけがない。
逆に、心配いらないとなれば、張り切って仕事に専念しすぎるくらいだと思っている。
「茶化すのはやめてくれ。俺は仕事をきっちりやっているだけだ」
やりたくもない戦士長を任され、この仕打ちはどうかと思う。
そんなことを考えていると、飛竜を操っていたボークからも笑い声が聞こえてきた。
「皆様、仲がよろしいのですね。美女に囲まれ、ウォルス殿が羨ましい限りですよ」
「交代してやってもいいんだぞ」
「はははっ、ご冗談を。丁重にお断りいたしますよ」
ボーグはそれっきり口を
手綱を真剣に握るボーグの姿に、こちらも自然と会話がなくなり、しばし風を切る音だけが流れる。
しかし、そんな空気も長くは続かなかった。
「そういえば、出発前に
「他愛もないことだ。リゲルは風属性と水属性に特化しているからな、ガルドと協力して、両方の無効魔法で王都に結界を張るように頼んでおいただけだ」
ユーレシア王国の王都は他国のように大きくはない。
時間をかければ問題なく張れるはずだ。
フィーエルは、「そういうことですか。そういうことなら問題なさそうですね」と笑って返す。
ネイヤは魔法のことは無関心なため反応は示さず、セレティアやアイネスに至っては、そのくらい当然よね、という反応を返した。
しかし、ただ一人、手綱を握っていたボーグからは咳き込む声が長く続いた。
◆ ◇ ◆
俺はアルス時代も、セオリニング王国へは来たことはない。
カーリッツ王国と対をなす西の大国であり、何かと比較される国でもある。
一カ国で考えれば、俺がいたことでカーリッツ王国にかなり分があるが、セオリニング王国は周辺国と同盟を結び、軍事、政治、両面でそれを補い、高い存在感を示していた。
「あれが、我がセオリニング王国でございます」
出発から四日後、ボーグが指差した先には、カーリッツ王国より幾分小さく、白を基調とした都が姿を現した。
放射線状に区画整理された国はクロリアナ国を彷彿とさせ、中央には突出した高さの塔が確認できる。
「街を見るだけでも、クロリナ教の信奉者というのがよくわかる」
「陛下がそれをお聞きになられたら、きっとお喜びになることでしょう」
「……いや、それは遠慮しよう」
ヴィクトルにそんなことを言えば、俺をエディナ神の使いとしてさらに持ち上げてくるのは目に見えている。
ここはあくまで、ユーレシア王国が協力する形を保っておかなくてはいけない。
「ボーグ様が帰還されたぞ」
都の中央にそびえ立つ塔の脇に降り立つと、飛竜に気づいた兵士が歓喜の声をあげ駆け寄ってきた。
だが、俺たちの姿を確認すると、すぐさま左右に分かれて整列し、一糸乱れない敬礼を披露する。
「ボーグ殿は、兵士たちから慕われているようよ。ウォルス戦士長も見習わなくちゃね」
セレティアは兵士たちに笑顔を向けて歩きながら、小声で毒を吐いてくる。
「俺は戦士長に興味はないからな。ダメな戦士長だと判断したなら、さっさと解任してくれてかまわないんだぞ」
「もう……素直じゃないんだから。わたしは、兵や民から慕われるウォルスが見てみたいの。無理なら推薦なんてしないんだから」
セレティアが俺をどうしたいのかはわからないが、少なくとも、遊びやいたずらで推薦したわけではないようだ。
先頭をゆくボーグに付いて歩いていると、背後からどよめきが起こる。
振り向いた先には、フィーエルの頭上を、胸を張って飛んでいるアイネスの姿が飛び込んできた。
それと同時に兵士からは、「おお、あれはもしや精霊様では!?」「あの方がエディナ神の使いなのでは?」などいう声が漏れ始める。
「……どういうことだ?」と俺は言わなくてもわかるだろ、というニュアンスを込めてボーグに尋ねた。
「え、ええ、これは普段から、ヴィクトル陛下がエディナ神の御使いについて説いておられる関係で……」
「俺たちの素性については話してないんだろうな?」
「それはもちろん、一切口外しておりません」
最後の言葉だけは、自信を持って話しているように見える。
だが、どこから俺たちのことが漏れるかわからない。
セオリニング王国はカーリッツ王国同様、クロリアナ国に多額の寄付をし、さらに信仰心が強く関係が深い。
どこに関係者がいてもおかしくない状況だ。
アルスがクロリナ教と無関係とは思えないため、細心の注意を払う必要がある。
「俺たちの情報が漏れないように、今後もきっちり対応してもらえると助かる」
「陛下にも、そう進言しておきます」
ボーグからしてみれば、ここまで注意を払うことに疑問を持ってもいいくらいなのだが、そこは仕事と割り切っているのか、こちらに不安を抱かせるような態度は一切見せない。
「では、こちらへどうぞ」
王宮の中へ案内され巨大な回廊を歩いていると、違和感を覚える。
人気がなく、衛兵が全くと言っていいほど見当たらない。
「衛兵が少なすぎるように思うが」
「各国の要人が次々と入国しているので、そちらに回しているのですよ。特に、各国境の検問所では、リンネの指導により、水属性無効魔法の結界を維持し、例の人形が紛れこんでいないか調べているのです」
「流石はセオリニング王国というべきか。完璧な対応をしているんだな」
会談相手が錬金人形ではシャレにならない。
それ以上に、要人が錬金人形に襲われでもすれば、セオリニング王国の威信に関わることになる。
万一のことがあれば、セオリニング王国が主犯の烙印を押される可能性もなくはない。
「では、中へお入りください」
案内されたのは、豪華なソファやテーブル、壁にはセオリニング王国の街を描いたと思われる絵が飾られた広間だ。
部屋の窓際のソファには、既にヴィクトル・ヴリッジバーグが茶を飲みながら待ち構えていた。
ヴィクトルはこちらに気づくなり、視線を宙に舞うアイネスへと向ける。
「おお、そこにおられるのは精霊ではないか。流石は余が認めたエディナ神に遣わされた者だ」とヴィクトルは手にしていたカップをテーブルに置き、アイネスへ向かって祈りだした。
何を言っても無駄だな、と俺は返事をすることなく苦笑するだけに留めた。