第115話 奴隷、使者と会う
「重量のバランスは……問題ないな」
地下の練兵場で新しい剣を振るたび、風を切る音が響く。
戦士長の剣は質がかなりよく、業物なのは言うまでもない。
今まで使っていた支給品の剣は傷んできていたため、これはこれで助かる、が納得はできない。
戦士長などという職は、ただの奴隷なら喜ばしいことなんだろうが、如何せん、俺は元王子なため、面倒な職を与えられただけにしか思えないのだ。
「よくそんなに何時間も振ってられるわね」
俺の背後で、何時間にもわたって見学していたセレティアが悪態を吐く。
「新しい剣がどんなものか、試し振りは大事なんだよ」
何時間も振ればいなくなると思っていた、などと言えるはずもなく、それなりの理由を述べた。
「限度ってものがあるでしょう」
「……それにな、あそこを見てみろ。遠くから俺を覗き見してるネイヤがいるだろ」
セレティアは目を凝らし、練兵場の対角線上に見えるネイヤの姿を確認すると、驚いた表情を見せる。
「本当にいるわね」
「俺も偶には真剣に鍛錬する、という姿勢を見せておいたほうがいいだろう」
「偶に、なのね……」とセレティアはコメカミを抑え、「ネイヤももっと近くで見ればいいのに」と俺のことなど気にする様子もなく答えた。
「誰かと違って、鍛錬の邪魔になるから気を遣ってるんだろう」
「誰のことかしら? わたしが戦士長の鍛錬を見ることに関しては、何の問題もないはずだし。戦士長もそう思うでしょう?」
セレティアは嬉しそうに「戦士長」という言葉を口にしながら、周りをキョロキョロと見回した。
「……もういい。いくらでも見学してくれ」
諦めて、そう言った直後、地上へと続く扉が開く音が地下に響いた。
階段から一人の衛兵が慌てた様子で駆け下りてくると、セレティアの前で膝を突いた。
「申し上げます。ただいま、暴食竜ヘルアーティオと思われる魔物によって、ヴルムス王国が崩壊したとの報告あり」
衛兵の報告が練兵場内に反響し、穏やかな表情をしていたセレティアが言葉を失う。
ヴルムス王国といえば、北の海外線を支配する大国だ。
エルフの住処である南の大陸を攻めて、俺に軍を壊滅させられたとはいえ、こんな短期間にやられるほど弱体化しているとは思えない。
それよりも何も、なぜヘルアーティオをヴルムス王国に差し向けたのか、その理由が全くわからない。
だが、衛兵は悩む俺たちを目にしても気にすることなく、そのまま話を続ける。
「――――さらに、そのことに関し、セオリニング王国から騎士殿がお見えになっています。至急、セレティア様、及びウォルス殿にお目通り願いたいとの申し出であります」
「セオリニング王国からだと?」
使者が来るなら、俺やセレティアの名を出す必要はなく、拝謁を願い出でればいいだけだ。わざわざ名を出すということは、俺とセレティア個人に用がある、または公式な立場ではないということを意味している。
「その者の名は」
「ボーグ・マグタリスと名乗っておられました」
「……失礼がないように、中へ通しておいてくれ」
衛兵は腹の底に響く返事をすると、すぐさま地上へ向けて階段を駆け上ってゆく。
「ボーグ・マグタリスって、セオリニング王国の戦士長よね?」
「ああ、偽者じゃなければ、わざわざ出向いてくる理由は……あまり考えたくはないな」
遠くの柱からこちらを窺っていたネイヤに向けて、腕を大きく振ってみせる。
全力でこちらへやってきたネイヤは、俺とセレティアの前で片膝を突いた。
「聞こえていたと思うが、今からボーグと話をすることになった。誰も部屋に近づけないようにしてくれ」
「承知しました。――――それと、申し上げにくいのですが……」
真剣な表情で、ネイヤは俺を見上げてくる。
「何だ?」
「次の鍛錬の機会には、ぜひ私と手合わせしていただきたいと」
「ああ、かまわない。あれからどれほど強くなっているか楽しみだ」
言ってくれればいつでも付き合ってやるんだが、などと考えながら、意識は既にヘルアーティオに破壊されたヴルムス王国へと向いていた。
◆ ◇ ◆
「お久しぶりでございます」
部屋に入った俺とセレティアを、以前と変わらぬ姿でボーグ・マグタリスは出迎えた。
今回は冒険者の格好ではなく、セオリニング王国の紋章が入った立派な鎧を来ているため、さまになっている。
だが、あの時なくなっていた腕はやはり元には戻っておらず、肘から先は義手のようだ。
「待たせて悪かったな」
「いえ、突然伺ったこちらが悪いのですよ」とボーグは気にする素振りは見せない。
セレティアが座るように促し、ボーグが腰を下ろす。
穏やかそうな雰囲気を纏っているが、この男は油断できない、と俺は先手を打つことにした。
憤怒竜イーラがいたベルポソイ火山では、俺の力を見抜いて声をかけてきたのがボーグであり、ヴィクトル・ヴリッジバーグからの信任を得るほどの人物なのは間違いないからだ。
「単刀直入に聞くが、目的はなんだ」
「これは困りましたね。積もる話もあるかと思ったのですが。わたくしどもも、あのあと色々と不死者に関する情報を集め大変だったのですよ」とボーグは軽く笑ってみせる。だが、数瞬の間を空けて、それは綺麗になくなった。
「先ほどお聞きになられたようではありますが、ヴルムス王国が滅んだ件に関してです」
移動時間も考えると、セオリニング王国には、かなり前から情報が伝わっていたのだろう。
地理的にも情報収集能力的にも、大国であるセオリニング王国に分がある。
今頃慌ただしくなっている王宮内を観察し、色々と分析しているのかもしれない。
「やはりそうか、それなら直接セレティアに会いにくるのは悪手だろう。国を代表してきたのなら、セオリニング王国の使者として、それなりの手順を踏むべきだった」
ボーグの行為は、国を代表する者の行動としては
どうして国の遣いではなく、非公式な立場で直接出向いたのか。
「わたくしどもも、ユーレシア王国について調査させていただきました。その結果、国を通さず、直接お話ししたほうがよい、という結論に至ったまでのことです」
「どういうことだ」
「近く、ヴルムス王国を滅ぼした、あの紛い物と思われるヘルアーティオ討伐のために、近隣六カ国の要人が集結し、セオリニング王国にて会談を行うことになっております。そこにセオリニング王国の相談役として、ウォルス様に参加していただきたいのです」
「……それを直接、俺とセレティアに頼むのか」
本来の道から逸脱した選択であるのは明らかだ。
わざわざユーレシア王国までやってきて、国王の許可を得ず、依頼することではない。
「それが最良と判断したまでのことです。セオリニング王国の正式な依頼として持ち込んだ場合、こちらが不利益を被る条件が出される恐れ、依頼そのものを突き返される恐れがあったので」
確かに、そんな危険な場にセレティアが行くことになれば、流石にあの王でも反対するかもしれない。
セレティアがクラウン制度を利用して受けている依頼は、あくまで邪教の殲滅であって、世界を揺るがす
イーラ討伐に行っていたなどと口にすれば、今の功績だけで十分だと、即中止においやることだって考えられる。
「あなたの予想どおり、お父さまなら行かせないでしょうね」とセレティアはボーグの判断を肯定しつつ、「だからといって、直接持ってこられても首を縦に振る義理はないのよ。こちらだってそんな面倒ごとに巻き込まれたくはないもの」とはっきりと要求をつっぱねた。
セレティアの判断は正しい。
セオリニング王国が不利益を被らないよう、直接話を持ってきたということ。それはつまり、ここでこちらに有利になる話を出すつもりはない、ということに他ならない。
「はははっ、これは手痛いお言葉です。ですが各国の動きに、ヘルアーティオを討伐した経験があり、今回の蘇ったヘルアーティオを再び撃退した、カーリッツ王国のアルス・ディットランドに助力願うという動きが見られます」
リンネに伝えておいたアルスと邪教の繋がりを餌に、俺たちを誘えると踏んだのだろう。
ボーグは眉一つ動かさず、俺とセレティアの返事を待っている。
だが、セレティアは返事をせず、この件に関しての主導権を譲るように俺に顔を向けてきた。
無闇にアルスに近づかれ、錬金人形にされるのが一番困る。
流石にボーグがそこまで読んでいるとは思えないが、俺たちが引かない、引けない事情を抱えていると見ているのは間違いない。
セオリニング王国の思惑どおりに事が進むようで気が進まないが、まだアルスに動きがない以上、話に乗るのが最善だろう……。
「――――わかった。相談役、引き受けよう」
「ありがとうございます。きっとよい返事をしていただけると思っておりました」
屈託のない笑顔を向けて言うボーグに、どこの国にも食えない奴はいるものだな、と俺は差し出された手を強めに握り返した。
「それで、その会談はいつ開かれるんだ」
「今からですと、五日後になりますね」
「五日だと? 馬じゃ間に合わないぞ」
「そういうことでしたら問題ありません。わたくしが乗ってまいりました、飛竜で移動していただければいいかと。――――乗せられるのは、せいぜい四、五人が限界ではありますが」
セレティアは間違いないとして、あとはネイヤとフィーエル、アイネスは人数に入れなくても大丈夫だろう。
もう一人くらいはいけそうだが、連れていくとすればベネトナシュあたりになるが、戦士長の代理として残らせるほうが、ベネトナシュ自身にとってもいい刺激になりそうだ。
実力、性格的にも、そういうものが合っていそうな気がする。
「わかったわ。連れていくのは以前と同じ顔ぶれになるから、時間はかからないわよね」とセレティアが俺より早く返答し、俺に確認を取ってきた。
「そうだな、すぐにでも出発だ」