第112話 奴隷、怒りに震える
まだまだ騒々しい観客席、それでもネイヤは仕合開始の声をかけた。
誰よりも大きな声は、それだけで観客席を鎮められる。
「一部の特別扱いされた、貴様のような奴隷一族に私の心はわからぬだろう。一般奴隷が人としての尊厳を保つには、上を目指すことでしか生きる道がないのだ」
ルヴェンは剣を右上段に構え、それなりの剣気を放つ。
だが、所詮はそれなりでしかない。
凄みもなければ、殺気も半端なものでしかなく、実戦経験がないのが丸わかりだ。
冒険者でもやっていればもう少しマシだったのだろうが、これは勝負をするうえで致命的なものでもある。
「上を目指してその程度か。御託はいいからさっさとかかってこい」
俺の挑発に、ルヴェンは重装備から唯一出ている顔を真っ赤にさせ突進してくる。
重装備での突進はそれだけで武器となりえそうだが、如何せん遅すぎる。
「貴様さえいなければ、私がセレティア様の護衛に就けたのだッ!」
振り下ろされるスローな剣を受け止めるが、その衝撃に、今まで経験したことがない違和感が手に伝わる。
だが、そんなことを考えさせない猛攻をルヴェンが仕掛けてきた。
ルヴェンの攻撃は、一応ユーレシア王国の剣術からきているのだろう。
力任せに振っているわけではなく、しっかり形になっているため無駄な動きは少ない。
「その立場にまでなって、何が不満なんだ」
「貴様のようなぽっと出の若造に、セレティア様を任せることになった、私の屈辱はわかるまい!!!!」
周りからは、俺が押されているように見えるのだろう。
観客席にいる兵士は、自分たちの戦士長が押していることに興奮し、かなり盛り上がっている。
それとは対照的に、目の端に映るセレティアたちの、やけに落ち着いている様子が異様に目立つ。
ネイヤも見るべきところがないと、完全に冷めた目で観察しているようだ。
「――――それならどうして、自分のほうが適任だと示さなかったんだ」
圧倒的な力で勝ってしまっては、俺に対する評価が急激に変わりすぎるため、タイミングを見計らい、適切な場面で順当な勝ち方をする必要がある。
変に利用されるのだけは避けなくては、セレティアから引き離され、自由がなくなってしまうかもしれない。
そういう意味では、セレティアの下にいるのは、かなり居心地がいい……。
「ここで私が勝てば済むことだ」
ルヴェンの剣を避け、胴に一発入れるが、軽い一撃では重厚な鎧に阻まれ、全くダメージが通らない。
それだけではない。
一撃を与えた俺の剣から、僅かだがおかしな振動が伝わってきた。
先に剣を奪ったことからみても、この剣に何かしているのか、という疑問が湧くのと同時に、ユーレシア王国に初めてやってきた時のことが思い出された。
「――――まさかとは思うが、セレティアが育てていたバラムスの花に、バラムスモドキを交ぜたのはお前か」
あの時は、セレティアがクラウン制度に挑むこと、それ自体を快く思わない者による仕業だと思っていた。だが、もしかすると俺を蹴落とすための罠だったことも考えられる。
「今頃気づいたのか? 貴様、相当鈍いようだな」
ルヴェンは馬鹿にするような笑みを浮かべ、攻撃する手を一旦止める。
そして、奴の視線は、俺が握っている剣へと向けられた。
どうやら、小刻みに震える俺の剣を見て笑っているようだ。
「俺が震えているのが、そこまでおかしいか」
「自分の馬鹿さ加減に震えているんだろう? 笑わずにいられるわけがないだろう」
ルヴェンの俺に対する発言には、何も怒りはこみ上げてこない。
いくら俺を馬鹿にしようと、ただの勘違いからの発言には、逆に失笑してしまいそうになるほどだ。
しかし、実際に震えるほどの怒りがこみ上げていることに、自分でも驚いた。
主であるはずのセレティアに対して、ルヴェンがしたことが我慢ならないのだ。
「どのような理由であれ、セレティアに対し、危害を加えようとしたお前を許すわけにはいかない」
「セレティア――――だと? 貴様がセレティア様の名を呼ぶなど、百年早いわッ」
大きく剣を振りかぶったルヴェンの胴は隙だらけだ。
そこへ目掛け、俺はこの場に似つかわしくない一撃を加えるため、剣を薙いだ。
剣と鎧が接触した瞬間、観衆の声をかき消すほどの金属音が響きわたる。
刃引きした剣でも、鎧と骨の何本かは粉砕するほどの一撃、のはずだったのだが、実際はそうならなかった。
くるくると空を舞った、俺の剣から分離した剣身が大地へと突き刺さる。
綺麗に折れた剣身にはポツポツと人工的と思われる
「残念だったな」
勝ち誇った声がルヴェンから放たれた。
ルヴェンの剣は仕合のルールなど無用とでもいうように、そのまま俺の額を割るべく弧を描く。
「俺に対し、こんな手を使ってしまったことを後悔するがいい」と俺は少しばかり怒気を込めて呟いた。
剣身が額に当たる寸でのところで、骨が砕ける音が響き、俺の左手が添えられたルヴェンの右肘が、内側へとグニャリと折れ曲がる。
「……、……はっ?」
あまりに突然出来事、且つ俺の攻撃速度に痛みが追いつかなかったのか、ルヴェンは通常とは逆側に折れた自らの腕を見つめて、わけわからないといった顔と声を同時に出した。
「遊びは終わりだ。お前の歪んだセレティアへの想い、見過ごすわけにはいかないな」
「貴様に何の権利がある……ふざけんじゃねえぇぇッッ」
「セレティアはお前が仕えるにはもったいない女だ」
ルヴェンは腕のことなど忘れたように怒りを込めた表情を俺へと向け、残った左手で剣を振り上げた。
「セレティア様に仕えるのは、この私が相応しいのだッ!!!! 断じて貴様などではないッ!!!!」
利き腕ではない腕で振り下ろされる剣は、さらに速度が遅く、懐に入るには十分すぎる時間を与えててくれる。
唯一露出している顔面、そこへ下から突き上げるように出した俺の拳がめり込む。
ルヴェンは獣のような声を発しながら、土煙を上げながら盛大に転がってゆく。
「強く殴りすぎたか……」
土煙が収まると、そこには動かなくなったルヴェンが横たわっていた。
それを目にした観客は、さっきまでの盛り上がりが嘘だったかのように静まり返った。