第110話 奴隷、仕合に挑む
小窓から見える空は、早朝から晴れ渡り、実に仕合日和となっている。
雨が降れば中止というわけでもないが、後押しされているようで気分が悪い。
王宮には仕合ができるような場所はない。
正確には、俺の攻撃で破壊されて無事に済む場所はない、と言ったほうが正しいか。
「ウォルス様、お迎えに上がりました」
扉の向こう側から、ネイヤの声が響く。
廊下には他には誰もいないようで、一人で俺を迎えにきたらしい。
「今日はネイヤか、昨夜はフィーエルといい、セレティアも気が利くな」
セレティアもあのルヴェンという戦士長なら、何かするかもしれない、と思っているのかもしれない。
あそこまで露骨に敵意を向ける奴なら、セレティアも気づいているだろう。
「ウォルス様にこのような扱いをするなど……陛下に進言されたほうがよろしいと申し上げたのですが」
ネイヤは怖いくらい真剣な表情で、殺意を漏らしながら漏らした。
「俺は奴隷だからな、王宮ではこれでも十分すぎるくらいだぞ。それに、この扱いについては、俺がルヴェンに勝利することで改善させればいい。下手にセレティアに進言させると、おかしな誤解を生みかねないからな」
あのルヴェンが俺を敵視している以上、セレティアが俺に肩入れしていると思われるのは最善手ではない。
ああいう輩は、一度伸び切った鼻を圧し折ってやったほうがいいのだ。
奴隷から戦士長になったという誇りが、今はただの驕りになっていると、誰も力で教えられないのだろう。
「本来ならあの程度の者、ウォルス様の手を煩わせることもないのですが、申し訳ありません。私さえ代わりに出ることができれば……」
本気で怒り、申し訳なさそうにするネイヤを目にすると、逆に俺が謝りたくなってくる。
「おいおい、ネイヤが謝ることじゃないだろ。確かに俺がやるまでもない実力だろうが、俺がしなきゃ意味がないんだ。その気持ちだけ、ありがたく受けっておく」
「とんでもございません」とネイヤは胸に手を当て敬礼する。
「…………ところで、どこで仕合をするか聞いているか? 俺が知る限り、仕合ができる場所は王宮内にはないはずなんだが」
屋上でやるには被害が大きすぎるはずで、やるなら違う場所になるはずだが、この王宮には中庭すらないのだ。
「それなら大丈夫です。私も今朝教えていただき確認してまいりました。広さは十分確保できています」
◆ ◇ ◆
ネイヤに連れられ、やってきたのは、王宮の地下だった。
そこは大勢の兵士が練兵しても平気なほどの広さがあり、既に大勢の兵が観客として入っていた。
「こんな場所があったとはな」
小さな闘技場と言っても過言ではなく、外周には観客席が設けられている立派な施設だ。
その一角には、王やセレティア、それにフレアやフィーエルたちが座り、こちらに顔を向けていた。
「元々はなかったそうですよ。あの、エルフの二人が作ったそうです」
リゲルとガルドでも、そう簡単に作ることはできない規模だ。
これを肉体のみでやろうとすると、ユーレシア王国の国力では厳しいだろう。
「で、ネイヤは行かなくていいのか」と俺はセレティアたちがいる場所に目をやった。
「護衛という点ならば、ベネトナシュたちとフィーエルがいますから。私は最も近くで見られる場所を確保しております」
「観客席より近い場所なんてあるのか」
観客席は仕合をする場所から数段高い位置にあり、その手前には防護壁まで用意されている。
確かに地上から観察するなら観客席よりは近い、だととしても、たかが知れている。
「いえ、私は仕合を仕切るのも役目ですから」
「……そういうことか」
ネイヤとともに、仕合の舞台となる会場の中心へと歩いてゆく。
すると、反対側から相変わらずの重装備のルヴェンが姿を現した。
自信に満ちた表情が物語るように、俺の登場ではざわついていただけの観客である兵士が、ルヴェンの登場で大いに盛り上がる。
「兵士からは人気があるようだな」
「それほど優れた戦士には見えませんし、それだけ周りのレベルが低いのでしょう」
ネイヤから厳しい言葉が吐かれ、そんなことを言われているとも知らないルヴェンが近づいてくる。
それを確認したネイヤは、王の下へ何かを確認しに一度離れた。
「よく逃げ出さずやってきたな」とルヴェンは俺に蔑む目を向けて言う。
「逃げ出す必要がない。それにしても、自分から恥を晒したい、という奴は初めてかもしれないな。自分の実力がわからず、相手の力量も測れない奴が戦士長とはな」
「少し功績を残せたからと調子に乗るなよ。貴様さえいなければ、私がセレティア様の護衛に就けたのだ。セレティア様の前で、その化けの皮を剥いでやろう」
ルヴェンは下卑た笑みを浮かべつつ、両手を上げてぐるりと観客を見回した。
既に勝者だと言わんばかりの動作に、観客である兵もいっそう盛り上がりを見せる。
ネイヤが戻ってくると、その手には二本の剣が握られている。
「一本はこちらが貰う」
ルヴェンは有無を言わさずネイヤから一本奪い、ネイヤは残りの一本を俺に手渡してきた。
「武器は刃引きをしたその剣のみ、相手が降参、または戦闘不能になった時点で決着とします」
刃引きした剣身を指で確かめる。
かなり念入りに削られたそれは、先端すら丸く、どうやっても切れる要素はない。
殴って骨を砕くことくらいしかできない、剣の形をした鈍器だ。
確かに、重装備相手にダメージを与えることすら困難なものだが、それは俺ではなく、常人だった場合だけだ。
これが奴の狙いなのだとすれば、あまりに捻りがない小細工に、呆れと失望だけが湧き上がってくる。
だが、ルヴェンはそんな俺の気持ちも知らず、未だ下卑た笑みを浮かべている。
正直、見ているとイライラすることこの上ない。
「その品のない顔を絶望に変えてやる。お前には苦痛に歪む顔のほうが似合いそうだ」