第147話 奴隷、ネイヤの態度に安堵する
俺が反対の意見を出した瞬間、セレティアの表情が凍りついた。
この状況を理解する者に、一人でも多くいてもらいたい、そういう気持ちはわからなくもない。
それでも、これを頼めるのはネイヤしかいないのだ。
「今の私にできることがあるのでしたら、何なりとお申し付けください」
「その前に、セレティアがいなくなった王宮の現状を聞かせてくれ」
「王宮では、国宝陛下をはじめ、一部の者のみが失踪したことを把握しており、現状、私を含めた数名の者が捜索に当たっています。数日中にセレティア様を連れて戻らなければ、さらに人員を増やす予定となっております。それでも発見できなければ、冒険者ギルドに依頼をかけ、懸賞金をかけるとのこと」
「覚悟はしていたが、やはり大ごとになるか」
流石に恥を晒してまで、ギルドに頼るとは考えもしなかった。
だが、そこまで派手に動かれると、こちらの行動に制限がかかってしまう。
ネイヤには、やはり戻ってもらうのが最善だ。
「かなり困難だとは思うが、ネイヤには、その動きを止めてもらいたい」
「承知しました。出来得る限りのことはしたいと思います。セレティア様の御身が安全だとわかれば、国王陛下もそこまで強硬な手段を取ることはないかと思われます」
全員の記憶が改竄されているのなら、騎士団長としてのネイヤの発言力はかなりのものになっているはずだ。そのネイヤが保証するというのなら、大抵の者は従ってくれるだろう。
ただ一つ気になることがあるとすれば、あの場で二人が話していたこと……。
「それなら大丈夫だとは思うが、一つ注意していてもらいたいことがある。セレティアとネイヤが話していた、今度やってくることになっている奴隷護衛についてだ」
ネイヤとセレティアの視線が交錯すると、二人から同時に「デルク・サイ」という名が漏れた。
「そういえば、廊下でそんなことを言っていたわね」
セレティアが顎に指を当て、軽い口調で答える。
「サイ一族ということは、ウォルスの血縁者ってことよね?」
「俺の従弟で実力は折り紙付きだ。さらに実力をつけているだろうし、無手ならネイヤでも勝てるかわからない。問題はその責任感の強さだ。護衛奴隷としてやってきて、その本人がいないとなれば、どういう行動に出るかわからない」
本来ならサイ一族の長を務めるところを、護衛奴隷としてやってきたということは、記憶の改竄により、何かしら事情が変わってしまったのだろう。
外の世界に憧れていたデルクにとってはよかったのかもしれないが、セレティアを探しに出られても困る。
「それでしたら、私のほうから、フレア様の護衛奴隷を推薦してみましょう」
「そうしてくれると助かる」
「では、セレティア様は新たな偉業を成すため、自分の意思により出国し、私よりも腕が立つ者が護衛していると報告しておきます。多少は時間を稼げるかと」
手際の良さはベネトナシュを思い出す。
記憶が改竄されてからは出会っておらず、今の立場はわからないが、そこまで関係性は失われていないはずだ。
「今のネイヤとベネトナシュたちの立場がどういったものかわからないが、ベネトナシュたちにもよくしてやってくれ。色々と世話になったんでな」
ネイヤが一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに柔和なものへと変わった。
どうやら、関係性は悪くないようだ。
「はっ! そのお言葉だけで、以前の私やベネトナシュたちが、あなたに仕えたことは英断であったと確信いたしました」
「大げさだな」
「そうよ、前のネイヤもそうだったけど、ネイヤの主はわたしなんだから、そこんとこ間違えないようにね!」
「申し訳ありません! セレティア様を蔑ろにするつもりはなかったのですが」
慌てて取り繕い始める姿を見て、以前の二人のやりとりを思い出した。
こんなやり取りを目にすることは、二度とないこないかもしれないと思っていただけに、少しだけだが希望が湧いてくる。
だが、それと同時に、今のネイヤと接触してしまったことを、少し後悔することにもなってしまった。
「それでは、これにて私は失礼させていただきます。ウォルス様、セレティア様をどうかよろしくお願いいたします」
頭を一度下げると、振り返ることなく去ってゆくネイヤの背を、見えなくなるまで二人で見送る。すると、セレティアが腕をつついてきた。
「――――ねえ、ウォルス、もし記憶が元に戻れば、今のネイヤの記憶はどうなるのかしら」
「わからないな――――今は取り戻すことだけを考えよう」
こればかりは、本当にわからない。
記憶を取り戻せたとして、今の記憶が欠落するのなら、取り戻すのにかかった期間の記憶がない状態が生まれてしまう。
欠落しないのなら、生まれた時からの記憶を二つ有することになるのか。記憶が改竄された日以降のことだけ記憶が残るのか、それとも俺の考えも及ばない状態になるのか、全く予想がつかない。
「そうね、早くクロリアナ国へ行きましょう」
◆ ◇ ◆
クロリアナ国に到着する前に、予兆はあった。
すれ違う人々、立ち寄る村でクロリナ教に対する信仰心が明らかに薄れていた。
クロリナ教の十字架を首にかけている者は少なく、酷い場合は、クロリナ教に対して悪態を吐く者まで散見された。
これが記憶の改竄による影響なのか、邪教と教皇の右腕とされる、エルドラが関係していたからなのかはわからない。
だが、それはクロリアナ国に入国すると、よりはっきりとした形で表れた。
街の雰囲気は以前の、活気のある姿とは一変し、何とも言えない暗い空気が包んでいた。
クロリナ教の総本山とは思えない、疑心暗鬼にも似たドス黒い感情が人々を動かし、お互いを警戒しあっているように見える。
「ピリピリしてるわね。互いに相手のことを信用していないような感じ、とでもいえばいいのかしら」
「記憶の中でだけでも古くからこの状態なのか、最近になってからなのか、それによって原因が変わる。まずはいつから始まっているのか、それを調べるのが先か」
情報収集といえば、酒場と相場は決まっている。
セレティアも慣れたもので、不満の一つも言わず、酒場に入るなり全体が見渡せる角のテーブルへと座る。
「それにしても人が多いわね。何かあるのかしら」
「この国の者とは違った雰囲気の者が多いな」
半分近くは他国の、それも冒険者ではない普通の格好だ。
クロリアナ国の民が、昼間からこんなに酒を浴びるように飲むとは思えない。
だが、それは俺が知っている歴史の中だけのことかもしれない。
誰かに声をかけるべきか、そう考えていると、一人の男が近づいてきた。
背は小さく、小太りなその男は、下卑た笑みを浮かべながら俺の隣に腰掛けた。