第108話 奴隷、恨まれる
場が凍りついた、と俺には感じられた。
セレティアは眉一つ動かさず、フレアを睨んでいるが、フィーエルは状況が飲み込めていないのだろう。リゲルとガルドの腕を掴み、「どういうことなんですか!」と八つ当たり気味に尋ねている。
ネイヤに動じている様子はないが、ベネトナシュに向かって「私たちは、ウォルス様に付いていきますよ」と念押ししていた。
そういう問題じゃない、と一言言ってやりたかったが、そういう空気ではない。
「フレア、どういう了見かしら? 当然、考えがあっての申し出なのでしょうね」
「当然です。お姉さまのご活躍は私の耳にも届いていますから。カサンドラ王国との軍事契約、そこのベネトナシュや、魔法師団設立のために、エルフのリゲルやガルドを招き入れたこと。全て、そこのウォルス・サイなる奴隷の力があってのことなのでしょ」
セレティアはほんの少し驚いたような表情を見せたが、すぐに普段の、自信に満ちたものへと変わっていた。
「ふふふっ、当たらずと
「お姉さま?」
「フレア、その答えは間違ってるわよ。なぜなら、ウォルスは補助しかしていないからよ。全ては、わたしの力、これが、その成長したわたしの魔法よ」
セレティアは右手を掲げ、この国にいた者なら見たことがないであろう規模の、灼熱の火盾を背後に作り出した。
メラメラと燃える火盾は小ぶりながら綺麗な形を保ち、火属性ニ等級魔法の中でも簡単ではない部類に入る。
特に、セレティアが二等級魔法を見せたのは初めてなのは間違いなく、この国に魔法師団がなかったことを思えば、ここまで完璧な魔法はそれだけでフレアの虚を衝くことができる。
「お姉さまっ! そんな魔法を使えるようになったのですか!」
「このくらい造作もないわよ」
今の体の状態を考えると、このレベルが限界だろう。
この魔法ですら、これ以上続けるとどうなるかわからない。
だが、俺から興味を逸らせるためにやっていると思われる以上、途中でやめそうにはなく、俺やネイヤたちの焦りだけが募る。
「もう何してるのよ、さっさと王宮に入れなさいよ」
一人馬車から出てこなかったアイネス、欠伸をしながら俺たちの頭上を通過すると、セレティアの肩へと着地した。
それを目にしたフレアとルヴェンが固まる。
リゲルとガルドも久しぶりだとは思うが、驚いている様子はない。
ヴィーオから情報がいっているとみて、ほぼ間違いないだろう。
「お姉さま……その肩のものは……」
「精霊のアイネスよ」
アイネスはフレアを気に留めることなく、「魔法は見世物じゃないの、二等級魔法をあの規模で出すなんて、何を考えてるのよ」とセレティアを叱り始める。
「悪かったわよ。今回は特別だから、許してもらえるかしら」
「まあ、アタシも見てたから、わかってるけどね」
アイネスは俺に顔を向け、噴き出すのを堪えるように両手で口を塞いだ。
「精霊を味方にするなんて、流石お姉さまです」とフレアは目を輝かせながらアイネスに迫る。
しかし、そのフレアの行為に、アイネスは露骨に嫌な顔を返した。
「近寄らないで、アタシは精霊アイネスよ」とアイネスは空へと逃げる。「たとえ王族であろうと、馴れ馴れしくするのは許さないわよ」
「こんなに気高い精霊を、どうやって仲間にしたのですか。私もクラウン制度に出れば、見つけられるでしょうか」
セレティアは俺の表情を窺うようにして、「無理ね」と一言だけ口にする。
「フレアはクラウン制度に挑む必要はないんだから、そんな格好もやめなさい」
「私には……お姉さまのような魔法はありませんけど、剣技はこうやって鍛えてるんです。きっと、精霊だって味方につけてみせます!」
フレアは全長が短い、子どものものと思われる剣を抜き放ち、セレティアの前で振ってみせる。
王女としては十分かもしれないが、クラウン制度に挑もうとするなら、付け焼き刃感は拭えない。
「どうです! 私だって、ウォルスのような奴隷さえいれば、功績の一つや二つは残せます」
「ん、まあ、残せるかもしれないけれど、フレアにはまだ早いわ」
「そんなぁ……」
しょんぼりするフレアの横で、ルヴェンが下唇を噛み、なぜか俺を睨みつけてきた。
だが、セレティアがルヴェンに顔を向けると、そんなことはなかったかのように取り澄ましてみせる。
ルヴェンという男には、今ここで顔を合わせたのが初めてであり、以前王宮へやってきた時にも一度としてその姿は見ていない。
当然のことながら、恨みを買う覚えもない。
やはり王宮というものは、しがらみが多いものだな、と昔を思い出した。
冒険者として外の世界へ出ると、それがよくわかる。
「フレア、わたしたちはお父さまにご挨拶があるから、話はまたあとでいいかしら」
「……わかりました」
大人しく引き下がるフレアは、ルヴェンだけでなく、リゲルやガルドまでも連れ去った。
二人が、どうして俺たちまで、という目をしていたが、挨拶という理由を出した以上こちらもどうしようもない。
「元気な妹だな」
「元気すぎて困るくらいよ、見ていてわかるでしょ」
年齢は三つか四つくらいの差だと思われるが、悪い意味でセレティアを更に活発にしたような子だ。
セレティア以上に直情径行な面が出ている。
それ以上に問題なのが、あの隣にいた騎士だ。
「あのルヴェンて騎士は何者だ? 俺を睨みつけてきたが、恨まれる覚えはないぞ」
セレティアは少し困った表情を見せ、「元々は、ルヴェンもクラウン制度に付いてくる従者として名前が上がっていたのよ。でも、王国軍戦士長になったばかりだったから、わたしが断ったのよね」と俺に同情的な瞳を向けてきた。
「――――ということはだ、俺は全く関係なく、第三者的立場なのに恨まれてるということか」
ルヴェンは俺が護衛の任を奪った、と受け取っているということになる。
護衛奴隷として縛り付けられた俺は、謂わば、被害者といってもいいくらいの立場なんだが。
しがらみどころではない――――明確な敵意を向けられているということだ。
さっさとユーレシアを離れたい、それだけが俺の頭を駆け巡った。