第107話 奴隷、フレアと出会う
「やっぱり、自分の国が一番いいわね」
セレティアはユーレシア城下に入ると、窓から顔を出して風を浴びる。
いくら格好が冒険者のものだとしても、馬車は王族専用のものであり、その顔を目にした民は、驚きの表情で馬車を見送っていく。
「いい加減やめておけ。それ以上顔を出していれば、ちょっとした混乱になるぞ」
セレティアがクラウン制度で国を出ているのは知られている。
ベネトナシュからは、民がセレティアの帰還を心待ちにしている、という話も聞いていた。
クラウン制度では大した功績を残せていないが、ハイエルフを連れてきたことは知られているらしく、元から慕われ、人気が高かったセレティアの地位は、今は揺るぎないものとなっているとのことだ。
「大丈夫よ。王宮に押し寄せても、対処できるのは過去の経験でわかってるから」
「押し寄せたことがあるのか……」
「わたしが生まれた時と、妹が生まれた時ね。妹の時は、記憶が少し残っているわ」
思わず顔をセレティアに向けると、不思議そうに俺を見つめ返してきた。
妹という単語が、まさかこの場で出てくるとは思わなかった。
「陛下の様子から、一粒種だからあんなに甘いのかと、勝手に思っていた」
「お父さまはああいう性格なだけよ。妹のフレアにはもっと甘いんじゃないかしら。あの子、ウォルスが来た時には、わたしだけクラウン制度に挑むのが気に入らないらしくて、拗ねて顔を見せなかったわね」
名はフレアというのか……どんな妹なのか気になるが、あまり食いつくと変に勘ぐられるか、と俺はこれ以上尋ねるのはやめることにした。
そうこうしているうちに、王宮が目の前に迫る。
国の規模のわりには立派な城門が近づき、その前に門兵以外に二人の人影が見えた。
「兄さん……」
それを目にしたフィーエルが、恥ずかしそうに口にする。
城門前で俺たちを待っていたのは、ユーレシアの新しい魔法師団のものと思われる服を着た、リゲルとガルドだった。
二人は城門の門兵の邪魔をするような立ち位置で、俺たちの馬車を通せんぼうするような形で出迎えた。
「兄さん、これはどういうことですか。恥ずかしい真似はやめてください」
真っ先に馬車を降りたフィーエルが、普段からは想像できない速度で、兄であるリゲルの下へ駆け寄った。
「何が恥ずかしいというんだ。中へ入れば、お前たちはそれなりの立場となるんだ。早々気軽に話しかけられないかもしれないだろう。特にフィーエル、お前はまだユーレシア王国に属していないらしいじゃないか」
「それはそうですけど……それよりも、そんな格好で……」
リゲルとガルドが着ている服は、魔法師が着るものとしては問題ないが、少し型が古いような気もする。
誰がこの服を正装に決めたのかは知らないが、センスが古いか、魔法師に少し間違った願望を抱いているのかもしれない。
「この国の魔法師団所属が着るために作った制服だぞ。そんな格好とは、問題発言だな」
フィーエルが俺の顔を見つめ、何か言いたそうな表情を作る。
言いたいことはわかる。
俺が知っている限り、こういう服が好きなのはリゲル本人だ。
ガルドは少し恥ずかしそうな表情をしていることから、この古い型に抵抗があるように思える。
「この制服を提案したのは、リゲルなんだろ」
俺が言った瞬間、リゲルは嬉しそうな表情を作った。
「よくわかったな。これは伝統あるデザインから取り入れたんだ。陛下も快く採用してくださった」
人間の国にいたことがあるガルドは、このデザインが古くさいことはわかっていたはずだ。
だが、ハイエルフであるリゲルに口出しできなかったのだろう。
リゲルはいかにも格好いいだろう、といった風に話し、見せつけるように背中まで向けてきた。
「兄さん、その形は人間の国ではもう古いんです。エルフの感覚が疑われるので、勝手なことは謹んでください」
「ガルドは何も言わなかったぞ」とリゲルは不機嫌な様子を見せながら、隣で顔を背けるガルドへと迫った。
「ガルド、どうしたんだ」
「え、いやぁ、確かに言わなかったな、と」
「どういうことなんだ――――まさか」
「まあ、言わなかっただけで、恥ずかしいとは思ってましたよ……」
ガルドの告白に、相当ショックを受けているようだ。
それを合図にするように、その背後の城門が、ゆっくりと開く。
「あれは……誰だ?」
中からは、見覚えのない冒険者姿の少女と、衛兵とは思えない重装備の騎士が一人、こちらに向かって歩いてきた。
騎士は厳しい表情で俺を一瞥すると、すぐに視線をセレティアへと戻した。
「セレティア殿下、ご健勝そうでなによりでございます」
「ルヴェンも元気そうね」
「はっ!」
セレティアとかなり親しい感じのルヴェンと呼ばれた騎士は、セレティアの前で片膝を突く。
その姿を眺めていると、もう一人の少女が俺に近づいてくるなり、俺をジロジロと観察し、ブツブツと独り言を呟き始めた。
「俺に何か用か?」
「奴隷なのに生意気なのね、ルヴェンが
「何を言って――――」
続きを言おうとした瞬間、胸の血契呪が疼き、強制的に片膝を突かせられる。
この瞬間、目の前の冒険者の格好をした少女が、セレティアが言っていた、妹のフレアだと理解できた。
「フレアやめなさい。ウォルスも立って。もうフレアの言うことは聞かなくていいから」
血契呪は血の呪いだ。
契約をしている王族には逆らえないが、契約主であるセレティアが命令すれば、大抵のことには従わなくてもよくなる。
俺は血契呪の強制力がなくなったことを確認し、何事もなかったように立ち上がり、フレアを見下ろした。
「お姉さま、これはどういうことです? 奴隷なのに、私の言うことを聞かなくていいだなんて」
「以前から言っていたでしょう。わたしはそういうのが嫌いなの。無理やり膝を突かせて、何の意味があるの」
考え方が、完全に水と油だ。
こんな場所で問題を起こされても困る、そう思い、俺は自ら本来の奴隷を演じることにした。
「セレティア様、ひと目見て、フレア殿下と気づけなかった私が悪いのです」と俺はフレアの前に自ら膝を突いた。
「お姉さまのお付きの奴隷とは思えないほど、よくできた奴隷ですね」
フレアは感心したように言うと、俺を立たせる。
そして次の瞬間、とんでもない言葉を口にした。
「このウォルス・サイ、私にくださいません?」