第101話 奴隷、ベネトナシュを選ぶ
俺は今さらか、と思わざるを得なかった。
馬車を降りてから、アイネスはセレティアの肩にずっと座っていたからだ。
アイネスはふわりと空中へ飛び出し、ベネトナシュたちの前へと飛んでゆく。
「アタシは水の精霊アイネスよ。ベネトナシュだっけ? よろしくね」
「精霊なのですか……初めて拝見しました」
「ふふふっ、アタシは高位精霊よ。敬いなさい」
「承知しました」
ベネトナシュ一同は頭を下げ、アイネスに敬意を表す。
「アイネス、もうそのくらいにしておけ」
「だってぇ、セレティアもネイヤも、アタシに全然敬意を表さないんだもの」
批判された二人はお互いの顔を見て、驚いたような表情をする。
セレティアは「敬意はあるわよ」とそっけなく答え、ネイヤに至っては「そんな風に思われていたとは残念です」とアイネスに責任を持っていった。
「そう、それよ! ここはもっと前向きに考えるところでしょ。どうしてアタシが悪いみたいになってんのよ。ウォルス、何か言ってやってちょうだい」
ぷんすか怒るアイネスが俺にの顔にまとわりついてくる。
そんなアイネスの姿を見て、セレティアとネイヤが吹き出した。
「もう何なのよっ」
「アイネス、二人ともアイネスを敬っていないわけじゃない。そんなことを言っていたら、俺もアイネスを尊っていないことにならないか?」
「そうは思わないけど……」
「尊敬してはいるが、腫れ物に触るような扱いは嫌だろう?」
アイネスは結構わがままな部分がある。
セレティアもネイヤも、そこは甘やかすことはなく、それなりに規律を重んじて反対の意見を述べる。それがアイネスの不満となっているのだろう。
「あれね、二人とも素直になれてないのね?」
「ま、まあそんなところだろ」
アイネスは仕方がないわね、という表情を見せ、セレティアの肩へ座り直す。
そんなやりとりを見てか、ベネトナシュたちの表情が柔らかくなってゆく。
どうやら今のやりとりで、アイネスと俺たちがどういう関係か理解できたようだ。
「ベネトナシュ、さっきの話に戻すが、俺たちが謁見すると見越して、ユーレシアの馬車を用意したと思うんだが、ベネトナシュから見て、カーリッツ王国はどうだったんだ」
ベネトナシュの表情が、瞬時に真剣なものへ変わり、さっきまでの空気が一変する。
「周辺国に比べ、かなり楽観ムードが漂っています。アルス・ディットランドを英雄視する者が多く、カーリッツ王国にアルス・ディットランドあり、と吹聴して回っている者さえいます」
「ここ最近の評価の、正反対になったわけか」
「そうですね、王都の中は被害はそれほどでもなく、王宮が半壊している部分もありましたが、凄まじい速度で復旧させていました」
「ちょっと待て、王都の中へは入れたのか?」
「はい、ユーレシア王国の名を出せば、もう王都内へは普通に入ることはできます。何度も中へ入り、調査してきましたから。特に尾行されることもなかったので、馬車を用意させ、今日に至ったという次第です」
そこまで用心して中へ入り、調査した結果、馬車を用意したということは、ベネトナシュの見解としても、そこまで危険ではないと判断したのだろう。
仮に危険だと判断すれば、馬車を用意することさえしなかったと思われる。
「それなら、話に乗ったほうがいいんじゃないかしら。下手に断って、印象を悪くするのは得策じゃないわよ」
セレティアが、俺よりも先に答えを出す。
全員セレティアの意見に賛同するように、頷いてみせた。
「それなら条件がある。フィーエルとネイヤ、それにアイネスにはここへ残ってもらう」
「どうしてでしょうか。フィーエルは事情があるのでわかりますが、私が残るというのは納得がいきません」
ネイヤが強い口調で言うと、フィーエルも同じように頷いて同調してくる。
アイネスに至っては、フィーエルと待機するのは何でもないらしく、既にフィーエルの肩へと移動している。
「勘違いしてもらっては困るんだが、今回、俺たちが誘われている理由は、あくまで俺とセレティアが邪教と間違えられた件だ。フィーエルのことは知られていないだろうし、知っていたなら、連れていけばそれこそあちらの思うツボだ。だが、連れていかなければここが襲われることも考えられる。そうなると、接近戦に特化しているネイヤがいてくれたほうが助かるんだよ」
「そういうことでしたら、承知いたしました。ですが、アイネスもここで待機ということは……」
「それなら問題ない。王宮へは、俺とセレティア、それに、そこのベネトナシュに来てもらう」
「――――――――は? 私がでしょうか!?」
突然の指名に、ベネトナシュが初めて取り乱した姿を見せる。
ネイヤを差し置いて、自分が行くことになるとは思ってもみなかったのだろう。
褐色の肌には、うっすらと冷や汗が浮かんでいるのが確認できる。
いつも冷静なベネトナシュが、ここまで焦って目を泳がせる姿は、これはこれで面白い。
「既に王都に何度も入っているのなら、ベネトナシュに付いてきてもらうほうがスムーズに事が運ぶ。身の安全なら俺が保障してやる」
「いえ、そういう問題では――――」
ベネトナシュはしきりにネイヤの様子を窺い、自分が行っていいのかどうか、ネイヤの判断を仰ぐような素振りをみせる。
「――――そうですね、ベネトナシュなら、セレティア様とウォルス様のお役に立てるでしょうし、今回はベネトナシュにお願いすることにしましょう」
「本当に私でよろしいのでしょうか」
「何事も経験です。ウォルス様からいただいたチャンスを、わざわざ無駄にすることはありません。胸を張って、全うしてきなさい」
「はっ!」
一瞬で気合が入った態度、声になるベネトナシュ。
他の者もここで待機する意味がわかり、同じように気合を入れ直しているのがわかる。
「俺たちは明朝出発する。他の者はその間ここで待機しておいてくれ。セレティア、これでいいな?」
「ええ、動くなら早いほうがいいわ」
ベネトナシュたちは胸に手を当て、セレティアに向かって敬礼をすると、準備にとりかかった。