「日本トップリーグ連携機構」会長 川淵三郎さんに聞いた!リーダーに求められる資質とは?【加藤綾子/一流思考のヒント】

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多くの個を束ね、組織を成功に導いている一流のトップには、どんな思考があるか?会社のマネジメントにも役立つ”ヒント”を加藤綾子さんがそっと探り、お届けする。

第12回「日本トップリーグ連携機構」会長 川淵三郎さん[前編]

加藤 綾子さん、川淵三郎さん
加藤さん衣装:ブラウス3万6000円/コバート、スカート2万2000円/エストネーション、靴3万3000円/チェンバー(以上エストネーション) ピアス1万5000円/アデル ビジュー(アデル ビジュー)

※最後に加藤綾子さんのスペシャルフォトギャラリー付き!

Profile
加藤綾子 Ayako Kato
1985年生まれ。2008年フジテレビ入社、看板アナウンサーとして活躍。’16年よりフリーアナウンサーとなり、さらに活躍の場を広げている。現在は『ホンマでっか!? TV』(CX)、『世界へ発信! SNS英語術』(NHK)、『MUSICFAIR』(CX)にレギュラー出演中。

川淵三郎 Saburo Kawabuchi
1936年生まれ。大阪府出身。早稲田大学、古河電工サッカー部でプレー。’70年に現役引退。サッカー日本代表監督などを経て、Jリーグ初代チェアマンに就任。現在は日本サッカー協会相談役、日本バスケットボール協会エグゼクティブアドバイザー、日本トップリーグ連携機構会長など、多数の肩書を持つ。

ビジョンがあって努力するのとしないのとでは、モチベーションも変わってくるはず。漫然と生きるのとは絶対に違いますよ
(川淵さん)

どんな逆境にあってもじたばたするべからず

加藤東京2020オリンピック・パラリンピックの開催まで2年を切りました。川淵さんは、1964年の第18回大会に出場して、強豪アルゼンチンを相手に1ゴール1アシストの大活躍。チームの逆転勝利と、ベスト8進出に貢献されましたね。

川淵昨日のことのように覚えています。特に印象に残っているのは開会式。実はその2時間も前から日本選手団は集合させられて、そこで初めて行進の練習をしたんだけど、あれには頭に来たなあ。足並みが揃ってなくてもいいじゃないか!とね(笑)。すっかり待ちくたびれてしまって、いよいよ入場門から競技場の中に入ると、ウワーッ!というどよめきと歓声に包まれた。僕の一生の中で、あの瞬間ほど胸が熱くなったことはありません。

加藤現役を引退された後は、サッカー日本代表監督などを経て、Jリーグ初代チェアマン、日本サッカー協会会長などの要職を歴任し、組織を束ねてこられました。ずばり、リーダーに求められる資質とはどのようなものだとお考えでしょう?

川淵まずは明確なビジョンを提示し、達成のための道筋をつけてやること。例えば「100億の売り上げを500億にするぞ!」とはっぱをかけるだけじゃ、「勝手なこと言っとるわ」と部下にそっぽを向かれて終わっちゃう。付いてきてもらうためには、彼らが納得できるような説明をしないと。

加藤なるほど。そういえば川淵さんの最新刊『黙ってられるか』では、好きな言葉として「ビジョン&ワークハード」を挙げていらっしゃいましたね。

川淵うん。もともとはノーベル生理学・医学賞をおとりになった山中伸弥さんが、留学先で働いていた研究所の所長から言われた言葉で、「君がよく働いていることは知っているが、では何のために研究しているのか、ビジョンは何なのか」と問われたそうです。これには共感しました。ビジョンがあって努力するのとしないのとでは、モチベーションも変わってくるはず。漫然と生きるのとは絶対に違いますよ。

加藤そうか。川淵さんはいつもビジョンを持っているから、ご自身の発言で炎上しても笑って流せるんですね(笑)。

川淵ハッハッハ。確かに僕はまったく気にしない。

川淵三郎さん

どんな逆境にあっても、トップは動揺しているところを見せちゃダメ
(川淵さん)

加藤昔から言いたいことをはっきり伝える性格だったとか。

川淵そうね。サラリーマン時代も、相手が上司だろうが忖度しない。思ったことは言わずにいられなかった。それが一番いいと思うから。でも、若いときからビジョンを持っていたわけじゃない。思えば55歳を過ぎてからだね、人間的に成長したのは。

加藤55歳というと、Jリーグのチェアマンに就任された頃ですか。

川淵うん。あの頃からマスコミに批判されるようになって。読売新聞の渡邉恒雄さんにもずいぶんと鍛えられたなあ。

加藤「鍛えられた」のはめげない心とか?

川淵それもそうだけど、一番気にしたのは、動揺しないってこと。僕が動揺すると、周りや部下に影響してしまうでしょう。

加藤わかります。設定は異なりますが、番組の進行中にカメラの前でカンペを出している方が焦っていると、こっちもつられそうになりますもん(笑)。

川淵だよね。僕にとって印象深いのは、Jリーグが開幕して5年目に勃発した、横浜フリューゲルスと横浜マリノスの合併劇。一つのクラブが消滅するという話だから、サッカー界には危機感が充満していたけど、だからこそ、チェアマンである僕は泰然自若としていなきゃならないと固く心に誓った。僕が動揺したら、さらにおかしなことになると思ったから。サポーターが僕に直談判したいと言ってきたときも、Jリーグの関係者は「会わない方がいい」と進言してくれたけど、僕は会う、と。マスコミもたくさん集まっているし、ここで正々堂々とサポーターと対面して、誠意をもって説明することが、事態を収拾することになると考えてね。僕は割と顔に出ちゃうタイプだから、実は必死だった(笑)。

加藤アハハ。辛抱されましたね。

川淵顔には絶対に出しちゃいけない。これは選手時代の記憶なんだけど、プレーがうまくいかないとき、ベンチをちらっと見て、監督が平然とした表情をしていると、「おっ、まだイケるんだ」って前向きになる。逆に曇った表情だと、「やっぱりダメなのか」と弱気になる。そのことを身をもって知っているから、どんな逆境にあろうとも、トップとして感情を顕にしないように努めました。

加藤堂々としてなきゃいけないとなると、見掛け倒しにならないように備えも必要になりますよね。相手を納得させるだけの情報を用意しておかないと。

川淵僕はこう見えても、準備は念入りにやるんですよ。とにかく徹底的に情報収集する。長い間、リーグが分裂していたことで国際資格を剥奪された日本バスケットボールを改革するときもそう。ありきたりの知識じゃ難局は乗り切れません。多くの情報が必要になる。それをもとに何が大切なのか、どこを解決していくべきなのかを読み取っていくんです。そういう分析力は、サラリーマン時代に培われたんだろうなあ。マスコミにはプロ化する意義をよく質問されたけど、なるべく説得性のあるエピソードを盛り込みながら説明しましたね。今まで話がわかりにくいと言われたことはないし、自分自身でも一定の理解を得られたという実感を得ています。

2002年FIFAワールドカップ記念日本サッカーミュージアム

2002年FIFAワールドカップ記念日本サッカーミュージアム

2002年日韓共催W杯がもたらした遺産を活用し、次世代のサッカー文化を振興させるために開設。日本サッカーの歴史を振り返る映像、トロフィー、メダル、ユニフォームなど、展示されているものはどれも貴重なものばかりで、ファンの探求心を満たしてくれる。
公式ウェブサイト:http://www.jfa.jp/football_museum/
住所:東京都文京区本郷3-10-15 JFAハウス
TEL:050-2018-1990

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