40年前、牡蠣養殖を始めたきっかけは、美しい地元の海を守るためでした

伊勢志摩国立公園の中にあり、波穏やかな鳥羽市安楽島(あらしま)の海。近くには離島も多く浮かび、四季折々の魚介類が数多く水揚げされる良質な漁場として知られています。

そんな豊かな海で40年前から牡蠣養殖をしているのが「竹本水産」です。この海で牡蠣養殖を始めたパイオニアである竹本昭和さんと、息子の敦史さん、真人さん、敦史さんの妻の緑さんの4人で作業を行っています。

 

鳥羽市安楽島の牡蠣養殖の特徴は、養殖筏の間隔を広く取り、ゆったりとした環境で育てていること。こうすることで牡蠣ひとつひとつにまんべんなく栄養が行き渡り、ぷっくりと身の肥えた、味の良い牡蠣に育ちます。

 

牡蠣の成育状況に合わせて環境を変える

 

それでは牡蠣養殖の現場へ行ってみましょう。

港から一番近い漁場には、稚貝を吊した種筏(たねいかだ)が並びます。台風などがやってきても波の影響を受けにくい内海で小さいうちを過ごします。

 

これらの稚貝はすべて宮城県石巻などで採取されたもの。毎年8月頃に採取された牡蠣の種を仕入れ、波の穏やかな海域でおよそ8ヶ月間かけてゆっくりと育てられます。

 

その後はもう少し沖合にある本栽培漁場で、種筏の時よりもさらに広く間隔を取って、海の中に吊されます。

 

この海域はプランクトンは豊富ですが潮の流れが速いため、牡蠣はたっぷり餌を採ろうと殻の開閉を多く行います。それによって貝柱が大きく、しっかりと運動をしたぷりぷりの身となっていきます。さらに、潮の速さはフジツボなど余分な生物が付着しないようにする効果もあるのです。

本栽培漁場は2ヶ所ありますが、潮の流れが異なるため、牡蠣をつり下げる間隔や量を調整しており、そこに長年の技術や経験が生かされるそうです。

こうして本栽培漁場で5ヶ月ほど育てられた後、いよいよ牡蠣が出荷されます。

 

竹本水産での牡蠣の出荷シーズンは11月頃から4月頃まで。特に2月から3月頃は、牡蠣の旨みとなるタウリンやグリコーゲンが十分に身に蓄えられ、一年で一番美味しい季節。産卵をさせない「一年かき」のため、クセがないのも大きな特徴です。

家族経営のためあまり大量に生産しておらず、豊洲市場などへ一部出荷される他、直接注文を受けて出荷することがほとんどだそう。ゆえに、安楽島の牡蠣は知る人ぞ知る存在となっています。

 

過度の開発からふるさとの海を守りたい

 

今では十数軒の牡蠣養殖業者がいる安楽島の海ですが、養殖を始めたきっかけは「過度の開発から海を守るため」でした。

1970年代後半、日本各地でリゾート開発が進められていた頃、この海にも大規模マリーナの建設計画が持ち上がります。

昔から人々が生活の糧として漁業を行っている場所で、高速のモーターボートが走り回るようになっては漁師さんが生きていけない。そう感じた昭和さんは大手メーカーの技術職を退職し、この海で牡蠣養殖をすることにしました。

 

鳥羽市には浦村地区という牡蠣養殖の先進地がありましたが、このとき安楽島地区で養殖に取り組む人は皆無。しかし昭和さんは技術者ならではのアイデアと研究心で、安楽島の海での牡蠣養殖を成功させ、技術を確立します。

 

そんな父の姿を見て育った息子の敦史さんと真人さんも、今では一緒に牡蠣養殖に励んでいます。もともと敦史さんも真人さんも漁業とは全く縁のない仕事をしていましたが、次世代にきれいな安楽島の海を残してあげたいとの思いを強く持ち、いつしか父と共に牡蠣養殖に取り組むようになりました。

「自分たちはもうけのために牡蠣養殖をしているのではない。自分たちの子どもが将来牡蠣養殖をしたいと言ったとき、それができる海を残すのが宿命かなと思って」

と敦史さんは力強く答えてくれました。

 

 

養殖業者ならではの美味しい食べ方を提案

そんな海で育った牡蠣はセル牡蠣や剥き牡蠣として出荷される以外に、最近では牡蠣の加工品づくりにもいかされています。

 

甘辛くさっと炊いた「しぐれ煮」、串に刺して天日で干した「干し牡蠣」、山桜のチップでいぶした「燻製かき」、ニンニクや唐辛子と一緒に漬けた「オリーブオイル漬け」が、現在販売されているラインナップ。身が縮むため干し牡蠣には一番大きくなった時期の牡蠣を使うなど、養殖業者ならではの知恵と技術で、牡蠣の美味しい食べ方を提案してくれています。

また、牡蠣の味噌汁(http://www.mainichigrillbu.com/ouchigohan/recipe/7785/)や、湯通しした牡蠣のおろしポン酢和えなど、出荷で忙しい時期でもさっと作れるお手軽牡蠣レシピは、主婦である緑さんの得意とするところ。

 

家族で力を合わせより良い牡蠣づくりを

 

養殖筏や、船の荷下ろしに使う船着き場、ベルトコンベアーで蛎殻を集める作業机などは、すべて家族による手作り。技術者であった昭和さんの知識がここでも活かされています。また、牡蠣の加工品の開発や生産には、調理師であった真人さんの知識や技術が役立っています。家族それぞれが自分の持つ技術や知識を持ち寄り、より良い牡蠣を作るために力を注いでいます。

 

「家族でやっているので、これ以上手を広げるよりも、良いものを作ることに努力したい。家族が笑って過ごせるぐらいのもうけがあれば十分です」

そういった敦史さんの言葉を体現している様子が、家族みんなで働く姿からうかがえました。

これからも豊かで美しい安楽島の海を守りながら、美味しい牡蠣を食卓へ届けるため、竹本さんファミリーは自然と向かい合い、力を合わせていくのでしょう。

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