-
■ 江戸時代の貨幣事情
-
国際社会の今日、外国旅行や商取引には、円とドル・ユーロなど外国貨幣との交換相場が気になることでしょう。ところが江戸時代の人々は日本国内において、同じような交換相場に悩まされていたのです。
江戸時代のお金は、金・銀・銅を主材料にした3種類の硬貨です。金貨の代表である「小判」には、「壱両」の額面が刻まれています。金貨の単位は4進法で、1両=4分(歩)=16朱となります。慶長小判の重量は約18グラムですが、金の純度は実に86%余の高品質でした。
銀貨はナマコ型の丁銀(ちょうぎん)と小粒の豆板銀(まめいたぎん)ですが、これには額面が刻まれておらず、しかも大きさは区々であるために、天秤(てんびん)で重さを量って金額をきめました。銀貨の単位は貫・匁(目)・分・厘・・・となりますが、1貫は1000匁、1匁以下は10進法です。丁銀1枚の重量は43匁(161.25グラム)内外ですので、端数は豆板銀で調整しますが、江戸時代初期には、丁銀を鏨(たがね)で切って使ったこともありました。
最も大量に造られ、庶民が日常生活で使用したのが、銅や鉄を材料にした銭(ぜに)です。単位は貫・文で、1貫=1000文となります。小判とともに江戸時代を代表するお金といえば「寛永通宝」でしょう。「寛永通宝」には最小額の1文と4文があり、同じ4文通用では「文久永宝」、外には10文通用の「宝永通宝」、「天保通宝」は100文相当でした。
徳川幕府は金・銀・銭貨の交換率を、1両=銀60匁=銭4貫文などと定めましたが、時・場所、さらには品質の変化などによって公定相場は一定せず、物価にも影響したのです。各地に両替商が設置され、国際社会さながらの光景が想像できます。
ちなみに江戸時代のそばは16文。また大凡ですが、1両で米1石(150キログラム)を購入できるとして、米価を比較基準にすれば、1両は現在のお金で7万5千円~10万円位と換算するわけです。
|