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■ 魚竜化石の周りの様々な化石
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魚竜の胃内容物および魚竜と一緒に化石になったアンモナイト(上写真の魚竜を含む石の長辺は約350センチメートル、左下写真の肋骨と肋骨の間の幅は約2センチメートル、右下写真のアンモナイトの直径は約10センチメートル)
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博物館の恐竜が並んでいる隣に、ドイツ産のステノプテリギウスという魚竜の化石が展示されています。魚竜は水中での生活に適応した、イルカのような姿の爬虫類です。この魚竜化石はホルツマーデン頁岩というジュラ紀前期(約1億8000万年前)の地層から見つかったもので、全身の骨がほぼ元の位置関係のまま残された保存状態の良い化石です(頁岩とは、積もった層ごとに薄く板状に割れる特徴のある、泥が固まってできた岩石です)。ホルツマーデン頁岩は保存状態の良い化石をたくさん含むことで有名ですが、それは、この地層が積もった海底付近の酸素量が少なく、海底に沈んだ死骸が他の生物に食い荒らされたり分解されたりする影響が少なかったからだと考えられています。海底付近の酸素量が少なかったために、遊泳性・浮遊性の生物の化石が豊富なのとは対照的に、底生の生物の化石が少ないのもホルツマーデン頁岩の特徴です。
ところで、博物館に展示されている魚竜化石を含む石には、魚竜の骨以外にも様々な生物の化石が保存されています。魚竜のお腹の部分を詳しく観察すると、肋骨と肋骨の間に小さな黒いトゲ状のものが密集している所があるのが見えます(周囲の石も黒色なので懐中電灯などで照らしてじっくり観察しないと見つけるのが困難です)。これはイカやタコとともに鞘形類というグループに含まれるベレムナイト類やフラグモテウティス類の“カギ爪”の化石が密集したものです。ベレムナイト類やフラグモテウティス類はイカやタコと同じように複数の腕を持っていましたが、その腕には“カギ爪”が並んでいました。お腹のところに密集していることから分かるように、これらは魚竜に食べられ、胃の内容物として保存されたものです。
魚竜の餌食になった生物以外にも一緒に埋まって化石になった生物がたくさん含まれています。魚竜の周りを良く見ると多くのアンモナイトや二枚貝を見つけることができます。アンモナイトは、巻いた殻の化石だけでなく顎の化石も含まれています。また、アンモナイトの殻に別の生物が付着しているのも観察できます。その他、魚竜の尾の近くには、陸から流れてきた木の化石もあります。
このように、博物館に展示されている化石標本には、“主役”の化石以外にも様々な“脇役”が含まれている場合があります。博物館で、そのような“脇役”を探してみるのも面白いかもかもしれません。
(自然史課学芸員 御前 明洋)
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■ 祝!ユネスコ無形文化遺産登録 戸畑祇園大山笠行事
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西大山笠水引幕(伝 明治27年制作) 「勿来関の桜花」の場面 源義家が桜花を見て詠んだ歌「吹く風を勿来の関と思えども 道もせに散る山桜かな(来ないでほしい〔来る勿れ〕の「勿来の関」だから、風も吹いてくれるなと思うのだが、風が吹いて道いっぱいに山桜が散っていることだ)」は勅撰和歌集『千載和歌集』に収められている
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「ヨイトサ」の掛け声が街中に響く戸畑祇園大山笠行事は、村中に流行した疫病平癒を祝ったのが始まりで、享和3年(1802)から215年続くお祭りです。昭和55年(1980)には、国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年(2016)12月には、全国の「山・鉾・屋台行事」33件とともに、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。
祭りの魅力の一つは、昼と夜とでその姿を変えるところにあります。昼の「幟山笠」は、豪華絢爛な刺繍を施した幕や幟を付け、武者絵や虎など勇壮な姿が町を練り歩きます。一方、夜の「提灯山笠」では、昼の幕や幟を外した後、御神灯2個を含む309個の提灯を12段に積み上げます。その高さはなんと約10メートル、重さ2.5トンにのぼります。約80人の男たちが担いで戸畑の町をまわると、提灯の明かりが幻想的にゆらいでいます。
今回、ユネスコ無形文化遺産登録を記念し、歴史ぽけっとミュージアムでは、博物館が保管する戸畑祇園大山笠行事の幕類を展示します。この幕は明治期に制作されたもので、福岡県有形民俗文化財に指定されています。幕類に描かれているテーマにはよく知られた故事や説話が用いられていますが、特に武者絵が多く用いられています。
例えば、西大山笠の水引幕(伝 明治27年〔1895〕制作)には、平安時代後期の武士である源義家にまつわる3つのエピソードが描かれています。一つ目は東北地方の豪族安倍貞任が起こした反乱である前九年の役(1051~1062)との戦いの一場面「衣川の舘」で、逃げる貞任に向かって義家が「衣のたては ほころびにけり(衣川の舘は陥落してしまったぞ)」と詠いかけたところ、貞任が「年を経し 糸の乱れの 苦しさに(長年の戦いによって、糸が乱れてしまうように、柵は壊れてしまった)」と返します。この「衣のたて」は、「衣川の舘」と「衣のたて糸」の二つの意味がある掛詞になっており、貞任もそれの意味を理解して返答しています。二つ目の「勿来関の桜花」と「雁の乱れに伏兵を知る」は、出羽国の豪族清原氏の内乱がもとで起こった後三年の役(1083~1087)の際のエピソードで、文武両道を諭す好例とされました。
このような英雄たちが描かれた幕類は大切に受け継がれ、東、西、天籟寺、中原の各山によって異なる意匠が描かれています。戸畑祇園大山笠行事は毎年7月の第4土曜日を挟む3日間で行われ、今年は7月21日(金)から23日(日)の予定です。お囃子の響く戸畑のまちに、足を運んで見られませんか?
(歴史課学芸員 上野 晶子)
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