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■ 学会と国際シーラカンスシンポジウムの開催
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昨年、当館で日本古生物学会年会が開催されました。ここでは2回目、自然史博物館時代を含めると3回目の古生物学会です。1回目は1986年の第135回例会で、分室(旧水道局の建物)の塔屋で行いました。この塔屋はプレハブで、今から考えるとよくあんな建物で学会をやったものだと思います。私にとっては初めての古生物学会で、当館に寄贈された「松本コレクション中の“大分県玖珠郡中村”産魚類化石について」発表しました。
2回目は当館オープン2年目の2004年の年会でした。この時は国立科学博物館との共同研究「IT広域ミュージアムスクール、博物館講座の新たな試み」について、当館の初代ミュージアムティーチャーであった丸山誠吾先生、津島大輔先生、山本智美先生らと発表しました。また、この講座の受講者による研究をポスターで発表しました。この時の様子は次のホームページに掲載されています。(http://www.kmnh.jp/kenkyutai/04k2.html)
そして、昨年3回目の学会、正確には2回目の日本古生物学会年会を6月9日から11日にかけて開催しました。古生物学会は年2回、年会と例会があります。私は大会委員長ということでしたが、ほとんど全ての準備と運営は当館の大橋、御前、太田学芸員が行い、私はシンポジウムと普及講演会を担当しました。
古生物学会年会では、開催館がシンポジウムと普及講演会を企画することになっています。当館は魚類化石の発見が契機となって開設されたことから、「魚類化石研究の現状と可能性」といったタイトルで、私も含め国内の6人の研究者によるシンポジウムを計画しました。シンポジウムは学術的な硬い内容ですが、普及講演会は学会員だけでなく、一般も対象としていますので、「シーラカンスの研究 化石から現生まで ―白亜紀の絶滅をどのようにして生き延びたのか―」といったタイトルで一般の方も興味がもてそうなお話にしました。シーラカンスということもあって普及講演会には子どもも含め123名の参加がありました。このうち古生物学会の化石会員は14名だったそうですので、100名以上の一般の方が学会行事に参加したことになります。
古生物学会のちょうど2ヶ月後、8月9日から11日にかけて、世界のシーラカンス研究者を招聘し、当館でシーラカンスに関する国際シンポジウムを開催しました。一昨年のネイチャーコミュニケーションズにシーラカンスの肺の研究を発表したリオデジャネイロ州立大学のパウロ ブリトー博士とカミラ クペロ博士(これはネットでも大きな話題となりました)、南アフリカで現生のシーラカンスの研究を行っているフランス国立自然史博物館のガエル クレマー博士、ヨーロッパの化石シーラカンスを研究しているジュネーブ自然史博物館のライオネル ケビン博士(スイスで見つかった奇妙なシーラカンス化石はネットでも話題になりました)など、日本も含め6カ国12人の研究者が集まって、それぞれのシーラカンスに関する研究を発表しました。
その後、13日に福島県のアクアマリンふくしまでガエルさんとカミラさんが講演を行い、全員でパネルディスカッションを行いました。さらにパウロさんとカミラさん、そして私で神奈川県立生命の星・地球博物館でシーラカンスに関する講演会を16日に行いました。神奈川の講演会の様子は次のホームページに掲載されています。
(http://blog.livedoor.jp/kpmtomo/archives/51947606.html)
これに先立って、7月26日から当館アースモールのぽけっとミュージアム2に「シーラカンスと海のおいたち」という展示を制作公開しました。また、テキストブックとワークシート「シーラカンスから海を学ぶ」を作成し、8月9日午後、11日午後、12月24日午後に室内講座と展示見学会を行いました。
国際シーラカンスシンポジウムの開催は8年前にブラジルのサルバドールで魚類化石の採集調査を行った時にパウロさんと話したのが始まりです。この時カミラさんは修士の学生としてシーラカンスの研究を始めたところでした。具体的になったのは一昨年にパウロさんを日本に招聘し、アクアマリンふくしまでインドネシアシーラカンスを研究している安部義孝館長と岩田雅光さんにお会いしてからです。
本シンポジウムの目的は、これまで交流のなかったインドネシアシーラカンスの生態を研究しているアクアマリンふくしまと南アフリカでシーラカンスを研究しているガエル クレマーさんらが互いの研究を発表すること、ヨーロッパ(北半球)と南アメリカ(南半球)の化石シーラカンスの研究者が互いの研究を発表することでした。活発な討議が行われ、次のシンポジウムはパリで、といった意見も飛び出しました。シンポジウムの様子は次のホームページに掲載されています。
(http://www.kmnh.jp/exhibition/coelacanth/Round-table1.html)
一昨年のパウロ ブリトー博士の招聘には船の科学館海の学びミュージアムサポートプログラム3、昨年の国際シーラカンスシンポジウムと関連講演会の開催、ぽけっとミュージアムの制作、テキストブックとワークシートの作成については同プログラム2の支援を受けました。ここに記してお礼申し上げます。
なお、この内容をポスターにして、特別展「アクア・キングダム ―スピノサウルスと水に還ったどうぶつたち―」に展示しています。特別展「アクア・キングダム」のホームページは次のとおりです。ぜひ、ご覧下さい。
(http://aquakingdom.jp)
(自然史課学芸員 籔本 美孝)
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■ 今から7,500年ほど前に対馬海峡を渡った黒曜石(こくようせき)
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腰岳産黒曜石 北九州市八幡西区茶屋原遺跡出土ナイフ形石器(後期旧石器時代)(上) 姫島産黒曜石 北九州市小倉南区下吉田遺跡出土石鏃(縄文時代)(下)
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金属の道具がまだない石器時代、ものを切るための鋭利なナイフは非常に貴重な道具でした。その役割を担っていた代表が黒曜石(obsidian)です。黒曜石は、火山で噴出した岩漿(がんしょう)が急冷してできた完全にガラス質の火山岩で、黒色、赤褐色、乳白色などの種類があります。割ると貝殻状の断面をして、剥片(はくへん)の縁辺は非常に鋭利で規則正しく割ることができるため、肉などを切るための鋭利な刃を付けたナイフや先端が突き刺さりやすいように加工された石鏃(せきぞく)として使われました。
黒曜石は限られた火山でしか産出しません。日本列島では北海道、本州中部、九州地方に集中して産出地があります。
九州および中国地方では、佐賀県・腰岳(こしだけ)、長崎県・松浦半島、大分県・姫島(ひめしま)、島根県・隠岐島(おきのしま)に産出地がありますが、腰岳、隠岐島産のものは黒く、姫島産のものは乳白色をしているので、肉眼観察でだいたいの産出地が推定できます。北九州市内の旧石器や縄文時代の遺跡からは、腰岳産の黒色あるいは姫島産の乳白色両方の黒曜石が出土しています。
縄文時代前期には腰岳産の黒い黒曜石は、九州全域と山陰西部、瀬戸内海中部に広く分布し、姫島産黒曜石も東九州から南九州の一部、四国西部、瀬戸内海西部から中部まで石材が分布しています。このように限られた場所にしか産出しない黒曜石は、石器時代には非常に貴重な石材として、原石、石核や製品が交易品として遠くまで移動しました。
韓国・釜山広域市の釜山港沖の影島(ヨンド)の東岸にある東三洞貝塚(トンサンドンかいづか)は、新石器時代のゴミ捨て場の遺跡ですが、約7,500年前の時期から佐賀県・腰岳産と考えられる黒色の黒曜石が出土しています。
最近では、化学組成やフィッション・トラック分析法などの方法で、各地から出土する黒曜石の原産地が特定されています。これによると腰岳産黒曜石は北は朝鮮半島南部から、南は沖縄まで、隠岐島産黒曜石はロシア沿海州まで分布していることがわかっています。
昨年秋から冬にかけて東北や北海道西岸に多くの北朝鮮の漁船が流れ着きました。ほとんどが長さ10mあまりの木造の船ですが、一応エンジンが付いた船です。7,500年も前、手漕(てこ)ぎの丸木舟に近いような簡易な木造船で玄界灘や日本海を横断して行き来していた日本や朝鮮半島・沿海州の先史人がいたことに驚かされますし、それだけ当時黒曜石が貴重な石材だったことがわかります。
(歴史課学芸員 松井 和幸)
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