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■ 自由研究の思い出
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今も自由研究を頑張っています。2018年夏
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みなさん、夏休みは楽しく過ごせましたか?自由研究をがんばった人もたくさんいらっしゃると思います。テーマ選びやまとめの苦労も夏の良い思い出と言えるでしょう。
小学生だったときの思い出の自由研究のひとつに“史跡めぐり”があります。郷土の偉人のお墓を訪ねて写真を撮るというものです。「理科じゃない」というご意見もあるでしょうが、自由研究なのでご容赦ください。実は当時流行していた心霊写真を撮りたいというのが真の目的だったのです。そのことを正直に言うと親の協力を得られないかもしれないので“史跡めぐり”ということに。その頃はフィルムカメラしかなく、撮影に費用がかかることがネックでした。また、私の郷土は酷暑で有名な群馬県館林市だったうえ、史跡は市内のあちらこちらに分散していたため、親の協力(とくに車での移動)が不可欠だったのです。
夏休みいっぱいかけてたくさんのお墓を訪ねましたが、結果的に心霊写真は撮れませんでした。そもそも偉人のお墓で心霊写真を撮ろうという考えが不遜でしたし、昼日中に撮影したことも優れた方法とは言えなかったと思います。しかし、自分の郷土に榊原康政(徳川四天王の一人に数えられる武将)や田中正造(足尾鉱毒事件で民衆の側に立った政治家)など多くの偉人がいたことがわかりました。写真の撮り方を覚えたのも歴史に関心を持つようになったのもこの頃です。研究目的(心霊写真)からすれば失敗作になりますが、岩石学に加えて考古学にも関わっている現状を考えると、この自由研究は私が学芸員になったことと無関係ではない気がします。
ところで、この自由研究にあたり多くの大人の協力をいただきました。親は週休一日だったにもかかわらず週末ごとに車を出してくれましたし、訪問先のご住職がアポなしの私に非公開の宝物を見せてくれたこともありました。また、学校の先生はお墓だらけのレポートに丁寧なコメントをくださったと記憶しています。この自由研究のことを思い出すとき、私は感謝でいっぱいの気持ちになります。みなさんの夏休みの自由研究も思い出深いものになったらいいなと願っています。
(自然史課学芸員 森 康)
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■ 博物館敷地内にも展示物が!―小倉城二ノ丸家老屋敷出土1号石棺―
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小倉城二ノ丸家老屋敷出土1号石棺(右側の7個の石は蓋石)(上) 展示中の細型銅剣(下)
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いのちのたび博物館は、館内だけではなく、敷地内にもいろいろな展示物があります。普通車駐車場入口の右側に、開館時は“駐輪場”とも揶揄された屋根付きの施設があります。ここには、市内で発掘調査された2か所の遺跡で検出された遺構が移築されています。1つは、小倉北区小倉城二ノ丸家老屋敷跡で検出された箱式石棺墓でもう1つが小倉南区の重留遺跡出土鍛冶工房跡です。いずれも北九州市指定有形文化財(考古資料)に指定されています。
今回は、二ノ丸家老屋敷出土の箱式石棺を紹介します。
この箱式石棺は、平成11(1999)年にリバーウォークの建設に伴う発掘調査で検出されました。遺跡の場所は、小倉城本丸から北側に一段低くなった位置にあります。この場所は、弥生時代には響灘に面して砂丘が広がり、その砂丘上に弥生時代の墳墓群が形成されていました。弥生時代の墓は、箱式石棺8基、土器棺墓9基、土壙墓29基、集積石1基の計47基確認されています。
この石棺墓は、1号石棺墓と呼ばれている石棺墓で、時期は弥生時代前期の終わりから中期初頭頃と推定されています。頭の位置が南、頭と足の位置の小口石と呼ばれる石は各一枚、側面の側石は、頭側は板石を一枚ずつ立て、脚側は2~3段に板石を小口積みに積んでいます。内面の大きさは、長さ256cm、幅53cm、深さ33cmです。底は平石を敷いています。7枚の平石を蓋石としていましたが、この石は現在石棺の横に並べています。
石棺の中からは、細型銅剣1本、碧玉製および凝灰岩製管玉83個が出土しています。管玉はネックレス状に被葬者の首にかけられていたもの、細型銅剣は長さ36.1cm、細身の鋭い剣身の作りで、朝鮮半島で作られたものと考えられます。剣身部分で二つに折って重ね、布に巻かれて、右肩の側面に添えられていました。銅剣は、同石棺の中にもレプリカで再現していますし、実際の青銅剣は、歴史テーマ館の「旧石器時代から古墳時代の北九州」で本物を展示しています。武器として十分実用性のある鋭い刃が付いています。併せて見学して、約2,000年前すでに朝鮮半島と活発な交流のあった北九州の弥生時代社会に思いを馳せていただければ、新たな発見があるかもしれません。
(歴史課学芸員 松井 和幸)
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