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■ ムカシトンボ
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ヒマラヤムカシトンボ(博物館の展示解説より)
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ムカシトンボの仲間は、日本・ヒマラヤ・中国にそれぞれ一種ずつ分布しています。幼虫は水温の低い清流に生息しており、成虫になるまで何年もの時間がかかります。
ムカシトンボは、体が太いというトンボ類(不均翅亜目)と、前翅と後翅が同じ大きさで、翅を閉じてとまるというイトトンボ類(均翅亜目)の、両方の特徴を備えています。そのため、トンボの中でも、原始的な特徴をもつトンボとして考えられてきました。
このように、ムカシトンボは、名前の通り生きた化石としても広く知られるトンボです。日本とヒマラヤのムカシトンボが非常によく似ていることが指摘されたこともあるのですが、長い間、ジュラ紀に生息していたムカシトンボの祖先の一部が、限られた地域でのみ生き残り、長期間それぞれの地域で隔離されてきたと考えられてきました。
ところが、ドイツを中心とした研究チームがDNAの解析を行ったところ、進化速度の早い(DNAの変化が早い)領域であっても、日本・ヒマラヤ・中国のムカシトンボ三種にはほとんど違いが無いという結果になりました。他のトンボと比べると、ムカシトンボの塩基配列の違いは、種内の変異に収まる程度の違いです。これはこれまでの説とは全く異なる結果で、ムカシトンボ三種はごく最近(といっても「万年」の単位ですが)まで、ひとつの集団を形成していたことを示しています。
これまでジュラ紀の終わりに多くが絶滅してしまい、それらの生き残りが細々と生きてきたと考えられてきたムカシトンボですが、今は2万年前ぐらいまで広い範囲で生き残ってきたムカシトンボの祖先が、氷期が終わった後の温暖化により寒い地域に追いやられた結果、今の日本・ヒマラヤ・中国という分布となったと考えられています。ムカシトンボが、トンボ類とイトトンボ類の特徴を備えた、トンボの進化を考える上で重要な種であることには変わりありませんが、今の分布になるまでの進化史についてはがらりと変わってしまいました。
(自然史課学芸員 蓑島 悠介)
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■ 棟方志功と北九州の人々(2)
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左から棟方夫人、棟方志功、村上伊三郎、廣澤旦
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2015年2月10日のメル博131号で「棟方志功と北九州の人々」という記事を書かせていただきました。あれから4年の歳月を経て、当時の記事を元にした特別展「九州発!棟方志功の旅-彫り起された足跡と交流-」が、10月12日から開催される運びとなりました。なんとも感慨深いです。
おさらいにもなりますが、棟方志功(以後、志功さん)は青森県出身の版画家です。昭和30年(1955)ブラジル・サンパウロ・ビエンナーレで最高賞、翌年イタリア・ヴェネツィア・ビエンナーレでグランプリを受賞するなど、国際的な評価を受け、昭和45年(1970)文化勲章を受章しました。
さて今回の特別展は、昭和27年(1952)に志功さんと安川電機の村上伊三郎さんの縁が出来たところから始まります。村上さんは志功さんの人柄に惚れ込み、安川電機の同僚や上司等に志功さんを次々と紹介して回りました。これがきっかけで、志功さんは安川電機に関する仕事をするようになります。特に安川電機のカレンダーを手掛けたことは有名で、現在も同社のカレンダーには志功さんの作品が使われ続けています。
また、安川電機の人々は、関門民芸会という同人会にも所属していました。この同人会が中心となり、昭和29年1月、小倉井筒屋で志功さんの九州初個展が開催されるに至ります。(メル博131号参照)この個展をきっかけに、志功さんと安川電機の関わりは一層深まりました。
安川電機との関係で面白いのは、社員から社長まで幅広く志功さんとの付き合いがあった点です。例えば安川電機の社員の一人、廣澤旦さんは、昭和30年頃、八幡から東京に転勤になり、志功さんの自宅近くの社員寮に住んでいました。廣澤さんは棟方家で産まれた子猫「ゴマ」を譲り受けます。棟方家に残った猫は「シオ」、併せて「ゴマシオ」。何とも洒落が利いています。志功さんはゴマが養子に行った後、ゴマ宛の手紙を書いています。
「シオよりゴマくんへ。初めの日は、ぼくも淋しかったが、なれれば、なれるもんでもう淋しかあなくなったよ。ゴマくんがあったかい御主人(廣澤さん)のせなかにこびりついてゐるなんては、ゼイタクだ。猫道以上なたいぐうを受けてゐるのはうらやましいね。ぼくのところの半はげ主人(志功さん)は、やかましやで、ぼくを大きらいのと違ふところがうらやましいよ。とにかくおたがいに日本の鼠族どもを片っぱしから噛み盡し[す]ことだね。又」
手紙の内容からは志功さんの人柄と猫愛、そして廣澤さんとの関係性も垣間見ることができます。今回、多くの作品とともに、このハガキも展示します。志功さんの作品の素晴らしさ、そして人となりを感じていただきたいと思っています。
(歴史課学芸員 富岡 優子)
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