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■ わたしたちは何種類の魚を食べているか
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北九州市内の鮮魚店。この写真にもさまざまな地域性があらわれています。
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みなさんはこれまでに何種類の魚を食べたことがありますか?マグロ、サケ、ブリ、アジ、イワシなど、あれこれ思い浮かべてみてください。ひとくちにマグロと言っても、その中にはクロマグロ(ホンマグロ)やキハダ、メバチ、ビンナガ(ビンチョウマグロ)などがあり、イワシにはマイワシ、ウルメイワシ、カタクチイワシがありますから、しっかり数えてみると意外に多魚種にわたる可能性があります。家庭で調理して、あるいは惣菜として食べられた魚はごく限られているかもしれませんが、回転寿司で流れてくる寿司ネタを考えてみるとマグロだけでも複数種、アジ、イワシ、サンマ、サバ、コノシロ、ウナギ、アナゴ、サーモン、マダイ(タイ)、カツオ、ブリ、カンパチと、15種類ほどになります。そうやって数えていくと、だいたい20~40種、多い方では100種ぐらいになる方もいらっしゃるでしょう。そんなあなたはきっと相当な魚好きです。
世界には3万種を超える魚が知られ、日本国内だけに限っても淡水・海水を合わせて約4500種類(※亜種を含む)もの魚が報告されています。この中にはきわめて稀なものも含まれますので、そういうものを差し引いて、さらに一般に流通しているものだけに限るとだいたい300~400種ぐらいになります。魚の流通には地域性と、季節性があります。たとえば、淡水魚食の盛んな長野県中部ではコイの切り身を年中見かけることができますが、ここ北九州ではまず見かけることがありません。逆に、日本海に面した北九州では、カレイの仲間、特にソウハチ(きつねがれい)やアカガレイなどを頻繁に見かけますが、これらは当然、長野県の山奥ではほとんど見かける機会のないもので、同じように海に面していても、太平洋側の各地では馴染みが薄いものです。これだけ冷蔵・冷凍流通の技術が発達した現代においても、全国どこでも、同じように流通しているのはマアジやサンマ、サケなど、一部の種類に限られています。長きにわたって築かれた地域の食文化が、まだまだ日本各地に残っているのです。
私が福岡市内の複数のスーパーマーケットを回って、1年間調べてみたところ、全体で流通する魚の種類は110種程度でした。今年は北九州市内の複数の鮮魚店に協力してもらい、1年間にどの程度の種類が流通しているのか、調べています。まだ途中経過ではありますが、やはり100種類を超える見込みです。これは全国でも多い方なのではないかと考えています。北九州市は全国の主要な都市と比較して、刺身の盛り合わせの消費金額が多いことが分かっています。これには新鮮な魚を、まんべんなく利用してきた文化的背景があると考えられます。一方で、魚全般に対する支出額の比率は他の地域と同様、年々低下する傾向にあり、一定の“魚離れ”の傾向もみられます。市内の古い鮮魚店で聞き取りをすると、昔のひとは色々な雑魚を含めてあれこれ工夫して使っていたが、今はアジやサバ、タイ、タラといった普通の魚しか売れなくなっていると言います。巷の料理本を見てみても、昔のものに比べレシピに登場する魚の種数は減っていて、これが全国的な傾向であることが分かります。
一部の養殖魚を除いて、魚は天然の資源に依存しています。養殖魚についても、その餌の原料は天然の魚です。特定の魚だけを食べることは、過剰な負荷と、その結果の資源の激減につながります。おいしい魚を末永く食べ続けるためには、色々な魚をまんべんなく利用することも、大事な要素のひとつです。
(自然史課学芸員 日比野 友亮)
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■ 棟方志功と北九州の人々(3)海道シリーズ
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昭和45年《西海道棟方板画》の取材で、九州工業大学正門前でスケッチする棟方志功(明専会提供)
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棟方志功(1903~75)は、「世界のムナカタ」と呼ばれた版画家で、北九州を代表する企業の一つ安川電機との関係が深いことは、先月号で紹介しました。
さて、志功さんは安川電機の企業カレンダーのために「海道シリーズ」という作品を手がけます。
志功さんは、昭和39年(1964)、駿河銀行の依頼で歌川広重なども描いた現代版の東海道五十三次《東海道棟方板画》を制作しました。
安川電機はカレンダー制作を企画する中で、全国版の海道シリーズを作る計画を志功さんに持ちかけます。この企画は毎年取材旅行を行い、取材した地方の景色や風物をカレンダーの原画として13点(表紙と12か月分)制作するというものでした。
昭和45年(1970)、《西海道棟方板画》の取材が行われます。この取材旅行は北九州を中心に北部九州を巡るものでした。13点の作品のうち安川電機本社、若戸大橋、和布刈神社は北九州の風景です。まさに北九州と志功さんの関係をあらわす作品と言えましょう。
この《西海道棟方板画》が完成した年、志功さんは文化勲章を受章します。日本を代表する芸術家を自社のカレンダー制作のために10日間も取材旅行で拘束し、オリジナルの作品を作ってもらう安川電機のカレンダー、日本一高い(価格が)カレンダーとも言われたそうです。
その後「海道シリーズ」は、九州南部を取材した《続西海道棟方板画》(1972)、四国を取材した《南海道棟方板画》(1973)、『奥の細道』の歌枕を取材した《奥海道棟方板画》(1974)、《羽海道棟方板画》と続きます。
この企画には安川電機の社員が大いに関わりました。志功さんの要望を聞き、取材先を決め、旅程を組みました。カレンダーに寄せる解説文も、5回のうち4回は安川電機の社員が書いています。また志功さんと懇意だった社員は取材旅行に同行しました。
志功さん晩年の代表作「海道シリーズ」は、安川電機の社員の力がなければ出来なかった作品とも言えます。
この「海道シリーズ」計65点(13点×5シリーズ)は現在も安川電機で大切に保管されており、今回の展示で29年ぶりに全点を一堂に公開します。
芸術の秋、北九州にゆかりのある棟方志功の作品、「九州発!棟方志功の旅」展で是非ご覧ください。
(歴史課学芸員 富岡 優子)
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