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■ 古墳の石
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宗像市桜京古墳の石室。奥壁などに板状の玄武岩が使われています。その他の石は柱状の玄武岩です。
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石の種類を見分けられて声を掛けるとどこでもやってくる学芸員というのは考古学研究者にとって有益な存在のようです。私はそのタイプにピッタリ当てはまるのでしょう。これまで多くの方にお声がけいただき貴重な体験をさせていただきました。その中から今回は古墳の石について紹介します。
古墳の内部には死者を埋葬する施設があり、その多くは石を積み上げて作られています。これを石室と言います(詳しくは当館の宮元学芸員に聞いてください)。使われている石は古墳によりさまざまですが、周辺で採ったものを使う場合と遠くから運んできたものを使う場合があります。考古学では特に「どこから運ばれてきた石か」が興味の対象になります。
数年前の話ですが、福津市や宗像市の埋蔵文化財調査担当の方々に誘われて古墳の石室の調査をする機会をいただきました。これらの古墳の石室には火山岩の一種である玄武岩が使われていました。よく調べると、玄武岩には板状のものと柱状のものがあり、特に板状のものはオパサイトという黒い斑点を含み、サイズが大きく、石室の天井や奥壁など重要な部分に使われていることが分かりました。同じ特徴を持つ石は古墳周辺になく、遠くから運ばれてきたことが明らかでした。
この板状の玄武岩はどこからきたのでしょう?私は学生だった頃に同級生の手伝いで玄界灘と周辺の玄武岩を見て回ったことがあり、この特徴的な玄武岩に見覚えがありました。それは古墳から10キロメートルほど海を隔てた新宮町の相島の石だったのです。さらに化学分析などの検証をへて「相島から海を渡ってきた石」という面白い結論が得られました。このことは、福津市のカメリアステージの展示でも触れられています(蛇足ですが、パネル写真に写っている人物は私です)。
実は「石の出所」を言い当てるのは簡単ではありません。論理的にはむしろ不可能に近いのです。その点では福津市や宗像市での研究は幸運でした。同じ特徴を持つ石の産地が少なかったこと、見覚えのある石だったことが新発見を引き寄せてくれたのだと思います。白状すると、玄武岩は私の専門外であり、学生時代に相島に行ったのも頼まれて仕方なくというのが本当のところです。もし、そのとき相島行きを断っていたら古墳の石の出所にたどり着けなかったかもしれません。
何かを体験するというのは大事なことなのだなと思います。これからも石の種類を見分けられて声を掛けるとどこでもやってくる学芸員という立ち位置で、より多くの体験をしていきたいと思います。
(自然史課学芸員 森 康)
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■ ウマと人のキズナ「銜(はみ)」
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「まるごとウマ展」会場入り口
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メル博192号で春の特別展「まるごとウマ展」の紹介をかねて、ウマと人とのキズナについて触れましたが、今回はその「キズナ」についてもう少し詳しく触れたいと思います。
草原を自由に走っていた馬が家畜として人間と暮らすようになったのは羊や牛が家畜になったのよりも少し遅く、紀元前3000年頃の中央ユーラシアであるといわれています。
馬を操(あやつ)るのに欠かせないのは、銜(はみ)または轡(くつわ)です。銜は馬の口の、歯が生えていない部分=歯隙(しげき)にくわえさせ、口からはみ出た部分に手綱をかけて使います。手綱から伝わる強弱で馬は騎乗者の意思を読み取り、走ったり歩いたりするのです。
銜は始め、骨や木で作られていましたが、より丈夫な金属である青銅、そして鉄へとその素材を変えました。また、初めは一本棒の形状をしていましたが、中央でつなぐジョイント形式をとるようになり、より繊細な騎乗者の意思を感じられるようになりました。驚くことに銜が発明されてから現在にいたるまでの長い間、その形状はほぼ変わりません。
展覧会の会場には紀元前10世紀のイランの銜と日本の古墳時代の轡、江戸時代の銜、現代の馬具メーカーが作られた銜をそれぞれ展示していますので、見比べてみると非常に興味深いのではないかと思います。
さて、馬を操ったり飾ったりする馬具の製作は世界各地で盛んにおこなわれましたが、そのことで金属加工や皮革製造、木工などのさまざまな工芸技術が発展しました。工芸品における技術発展の歴史は、馬具の製作がおし進めてきたといっても過言ではありません。
新しい動力が発明されるつい最近まで、馬は日常的に私たちのまわりで暮らしており、非常に身近な生き物だったということをこの展覧会で感じていただきたい、と考えていました。しかし、このたびの新型コロナウイルス感染症の拡大により博物館が臨時休館となり、本展覧会は中止することが決定いたしました。
一度も開幕することなく中止となった「まるごとウマ展」、またいつか皆さまの目に触れる日があることと期待します。それまでどうぞお健やかにお過ごしください。
(歴史課学芸員 宮元 香織)
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