11話 おっさんと少女、仲直りする
マットロック孤児院の扉に駆け寄った俺は、ライオンのドアノッカーを三度叩いた。
――ドンッ、ドンッ、ドンッ。
感情が乱れているせいで、巨人の足踏みのような音を響かせてしまった。
「はぁはぁ……」
ごくりと息を呑み、カラカラになった喉を潤す。
輪っかを咥えるライオンを見つめながら待っていると、少しして扉が内側から開かれた。
出て来たのは下働きらしき男だ。
「はい、何かご用でしょうか?」
俺を見てニコリと微笑む。
笑い方の癖が院長とよく似ている。
まるでモノマネをしているんじゃないかと思ったくらいだ。
目尻を垂れさせて、口角をつりあげた笑い方。
ちょっと滑稽でだからこそ親しみやすく感じさせる。
俺はラビを迎えに来た、やはり孤児院に預けることは取りやめたいと伝えた。
「はぁ……そうですか。ちっと院長に確認してくるので、少しお待ちください」
そう言って男が扉の向こうに消える。
待たされている時間は異様に長く感じる。
ソワソワと扉の前を歩き回り、飽きるほどため息をついた頃、男が戻って来て中へと入れてくれた。
「やあ。おはようございます」
階段ホールの上から声をかけられ顔を上げると、ニコニコと笑うマットロック院長が影を背負って立っていた。
「心配になって様子を見にいらっしゃったのですね?」
マットロック院長は笑顔を張り付けたまま俺の元まで降りてくると、気さくな仕草で握手を求めてきた。
「ただどうでしょう……。あの子のためにもお会いにならないほうがいいですよ。身よりのない子ならまだしも、わけあって預けられた子というのは、最初は必ずホームシックになります。あなたと会わせてしまうのはあの子の寂しさを煽るだけです」
「いや、そうではない。俺はラビを迎えに来たんだ」
「おや……。迎えに、ですか。でもあの子のほうからここに来ることを望んだのでしょう? 昨日本人がそう言っていましたよ」
「……ああ。わかっている。だがそれは行き違いからなんだ。ラビはこのまま連れて帰る。あの子に会わせてくれ」
「……」
マットロック院長が目を細めたまま、じっと俺を見つめてくる。
それから彼は、殊更優しい雰囲気を出してうんうんと首を縦に振った。
「わかりました。この時間なら他の子たちと庭で遊んでいるでしょう。お連れしますよ」
◇◇◇
院長に案内され庭へ向かう。
ラビは他の子たちと馴染めず、庭の隅でポツンと土いじりをしていた。
「ラビ……!!」
名前を呼びながら駆け寄る。
俺の姿を見た瞬間、ラビの瞳が大きく見開かれた。
「あ……。……ど、どうして……?」
「迎えに来たんだ。俺と一緒に帰ろう」
「……!」
ラビに向かって手を差し出す。
ラビは反射的にその手を取ろうとしたあと、なぜか力なく腕をおろした。
「ラビ……?」
「……」
俯いて黙り込んでしまう。
パサリとサイドの髪がラビの頬に落ちる。
(……やっぱり俺と行くのは嫌なのか)
伸ばした手は行き場を失ってしまった。
胸の奥が針で刺されたように痛む。
「……い、一緒にいたら迷惑に……なるから……」
(え……?)
その言葉に驚いてラビを見下ろす。
ラビはギュッと唇を噛み締めて、肩を震わせていた。
大きな瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。
(なんで迷惑なんて……)
そう考えてハッとなる。
脳裏を過ったのは、洋菓子店の前でマッドロック院長が言っていた言葉だ。
『幼い子の面倒をみるのは大変でしょう。子供連れの旅は移動距離も制約されますし。子供を放って眠るわけにもいかず、ひとりで寝ずの番をすることもあったのでは? 何よりひとりでいたときよりお金もかかるはずです』
俺は自分のことでいっぱいで、後ろで聞いているラビが何を感じるかまで頭が回っていなかった。
この子の控えめで大人しく遠慮がちな性分を思えば、どんな気持ちになるのかわかりそうなものなのに……。
(自分の存在が俺に迷惑をかけてると思いこんでしまったんだな……)
だから宿に着いてからも元気がなかったんだ。
そんな事実に今頃、気づくなんて……。
(俺は馬鹿だ。馬鹿すぎる)
ラビならどんなふうに受け取るか。
しっかりとラビの気持ちに寄り添えばわかったはずなのに……。
(……待てよ。それならあの時も……)
俺の買ったワンピースが高かったか聞いてきたラビ。
(俺は安物だということでがっかりさせたと考えたが、そうじゃないんだ)
ラビは安かったと伝えたら「よかった」と言った。
その意味がようやくわかる。
自分の服を俺に買わせてしまったことを申し訳なく感じていたんだな。
だから心配して値段を聞いてきたんだ。
安かったならまだよかったと思ったのだろう。
そんなふうに引け目を感じているラビを一人残して、買い物に向かうなんて……。
自分のマヌケさ加減に呆れ果てる。
「ラビ、すまなかった!」
ガバッと頭を下げて謝罪する。
「おまえの気持ちをちゃんと考えてやれなくて。その揚句、思い込みで突っ走ってしまった……。このとおりだ。許してくれ」
「……!? あ、謝らないで……」
ラビが歩み寄って来る気配がして、小さな手が俺の腕に触れた。
謝罪の言葉を伝えてから恐る恐る顔を上げると、潤んだラビの瞳と目が合う。
「おまえのことを迷惑だなんて思ったことは一度もない。むしろ一緒に旅ができてよかったと思っている」
「……ほ、ほんとに……? 私……迷惑じゃないの……?」
「ああ、本当だ。だから俺のところへ戻ってきてくれるか?」
「……っ」
さっきからラビの瞳を濡らしていた涙がブワッと溢れ出す。
ラビは衝動にかられたように駆け出し、俺の腕の中へ飛び込んできた。
細い腕を必死に伸ばして、俺の背中にギュッとしがみついてくる。
「ほんとは……出て行きたくなかった……っ」
(ラビ……)
胸がいっぱいになって、俺まで泣きそうになってしまった。
言葉だけでは伝えきれない想いをこめて、俺もラビを抱きしめ返す。
「いいか、ラビ。俺は信頼できる相手でなければ、おまえを渡さない。おまえの安全と幸福が保証されている。そう確信が持てなければ、こうやって取り戻しに来るからな。それを覚えておいてくれ」
「うんっ……」
もうこんな涙は流させたくない。
(二度と、絶対にだ)
「ハハハ。素晴らしい。感動してもらい泣きしそうですよ」
俺はラビを片手で抱き上げてから、マットロック院長のほうを振り返った。
かなり失礼なことを言っていたのに、院長は笑顔を浮かべたままだ。
(初対面の時にはあの笑顔を見て、いい人そうだと感じたのにな……)
今は顔に張り付いた不気味な仮面のようにすら思える。
「色々と大変でしょうから手助けをしたかったのですが……。あなたがご自身で面倒をみるというのなら、引き留められませんね。さあ外までお送りしましょう」
「その前に聞きたいことがあるんだ、マットロック院長」
「聞きたいことですか? なんでしょう?」
俺は庭で遊ぶ子供たちを見回してから言葉を続けた。
「マットロック孤児院の子供たちは皆いずれ、東の大陸へ向かうのだと聞いたが本当か?」
「ええ。そうです。産業都市ブルボンか港湾都市バスティードのどちらかで暮らしていますよ」
「だが海の向こうの大陸へ子供たちを送るなんて、不安ではないのか?」
「それはもちろん。だから私も時折、巣立つ子供たちを見送りがてら、東の大陸を見に行くんです。頻繁に訪れるのは難しいですが。最後に訪問したのは1年前です」
「やはりいいところだったか?」
「もちろんですよ。人も多く賑わっていて、毎日がお祭りのような騒ぎでしたよ。向こうに越した子たちもそれはそれは幸せそうでした」
「そうか……」
残念ながら最悪の結果となってしまった。
(マットロック院長も被害者であったのなら、まだマシだと思っていたのだが……)
「ということはあんたが騙されてた訳ではないんだな」
「え? なんです?」
「東の大陸は3年前から魔王の四天王によって苦しめられている。とくに産業都市ブルボンは事実上支配されているような状態だ。そんな街に住んでいて『幸せそうだった』? だいたい観光客が訪問できるわけがない。万が一、街の中へ入れたとしても、外へなど出してもらえぬはずだ」
「ははは。恐ろしいことを言って脅かすのはやめてください。誰から聞いたのかわかりませんが、そんなことありえませんよ。私はこの目で見てきたのですから」
「おかしいな。俺もこの目で見てきたんだ」
「……」
マットロック院長は微笑みを浮かべたまま、俺は愛想の欠片もない仏頂面で睨み合った。
先に動いたのはマットロック院長だ。
「子供たち、すまないが少し屋敷の中に入っていてくれるかな」
子供たちは不思議そうに顔を見合わせながらも、院長の指示に従い庭から出ていった。
「何か起きた時のために避難させるぐらいの心はあるんだな」
ついそんな言葉を口にすると、院長がおかしそうに高笑いをした。
口元が歪んで、笑いの質が変わる。
「避難? 何を言ってるんだ。私は明日からもここで院長を続けていくのだよ。アンタを殺すところなんて見られるわけにはいかないだろう。ーーまあ子供が巻き添えになってひとり死ねば、商品がひとつ減るということだ。それは極力避けたいがね」
(この男……!)
俺は怒りで肩をわななかせながら視線をサッと動かした。
中庭に下男たちが集まってきている。
ラビを抱いた俺を取り囲むようにして、八人。
「殺せ」
院長が指示した途端、やつらが一斉に襲い掛かってくる。
俺は即座に氷魔法を詠唱した。
《絶対零度の聖域を守りし女神、我に凍てつく口づけを――氷魔法ヘル!》
「うわああっっ……!?! なんだこれはッッッ……!?!!」
俺が放った氷魔法は一瞬で下男や院長の脚を凍らせて動けなくした。
「んな……!? おまえ……攻撃スキル使いか!!!」
さすがに動揺したのか、初めて院長の顔から笑みが消えた。
「ラビ、ここで待っていろ」
抱いていたラビを下ろしてから、離れる理由もちゃんと説明する。
「他の子どもたちのためにも、あいつの悪事を完全に暴かなければいけない。もっと近くにいってしっかり話す必要があるんだ」
ラビは小さな両手を握りしめて、コクコクと頷いた。
心配そうではあるけれど、俺のことを信じてくれているのだと伝わってきた。
「院長、凍え死ぬのは嫌だろう?」
一歩ずつゆっくりと院長の元へ向かう。
俺が近づくほど、男の顔から余裕が消えていった。
「お、おい……。な、なにをするつもりだ……」
「ここを出ていった子供たちはどこでどうなった?」
「し、知らん……!」
「全身凍らせて凍死させることもできるんだぞ」
「は、はったりだ……! おまえは人を殺せる顔をしてないからな!」
(人を殺せる顔か……)
俺はたしかに極力殺しは避ける。
今はラビを連れていることもあるし、そうではないときもできるかぎり生け捕りにしていた。
優しさだけが理由なわけではない。
殺してしまっては情報を得られないし、その者が犯した悪事の償いをその者ひとりの命だけで賄えるとは思えないのだ。
とはいえ今は人殺しをしなさそうだというイメージが足を引っ張っている。
(……こういうときのために怖く見える表情の練習でもしておくべきだったか。……悪人に見える顔……ハッ、そうだ……)
俺はがんばってヘラヘラと笑い、目の前にいる院長の物まねをしてみた。
(目を下げて、口をぐっと上にあげて……よし、こんなところだな)
そのまま視線を上げたら――。
「ヒッ……!!!! 気味の悪い顔をしやがって……!!!!」
(おい)
これはおまえの真似だと言ってやりたい。
でもとりあえず怯えさせられたのでよしとしよう。
「俺もあんたと同じ、いい人のフリが得意なんだ。この本性を見ればわかるだろう? 白状しないのなら別に殺したって構わない。なんせわけを知っていそうなやつは他にもいるんだ」
院長から顔を逸らして、下男たちを見やる。
「あんたを殺してからあいつらを問い詰めれば、白状してくれそうだ」
「ま、待て……! こ、子供は変態貴族や娼館に売ったんだ!!」
「どこの娼館だ?」
院長が街の名をいくつも挙げた。
貴族の名前ももちろんすべて白状させた。
「……」
胃の内側が燃えるように熱い。
怒りをなんとかかみ殺そうと地面を見つめながら深く息を吐き出す。
そのとき、院長の嘲るような声が聞こえてきた。
「クハハッ、油断したな! 私だって火魔法ぐらいなら使えるのだ! 《火炎の聖霊、怒りの炎を我に貸し与えたまえ――火魔法サラマンダー!!!!》」
放たれたのは小さな火炎だ。
それをサッとかわして、院長の傍らに踏み込む。
「あっ……!? フゴボッ……!!!!」
吐き気を覚えるその顔に拳を叩きつける。
氷で固めた足ごと吹っ飛ばされた院長は、庭の木に激突して失神した。
◇◇◇
数時間後。
俺の通報によって、マッドロックとその手下たちは街の牢獄に幽閉されることになった。
周囲には騒ぎを聞きつけて集まってきたのか、人だかりができている。
どの顔にも驚愕の色が宿っている。
それはそうだ。
今、憲兵隊によって連行されていくこの男は、さっきまでこの街の住人達に好かれる院長先生だったのだから。
「や、やめろ……! わかった! わかったから! 違うんだ、私は実行犯じゃないッッ! 実際に手を下したのはあいつらなんだよ! おい、離せこら! 汚い手で私に触るな、くそが!!」
必死に暴れて仲間たちに罪を擦り付けようとするマットロック。
奴の手下も同じように大声でマットロックのしてきた悪事を喚いている。
街の人たちが浮かべていた驚きの表情に、だんだんと疑念の色が宿っていく。
「まるで別人みたいだわ……」
「あんな汚い言葉遣いを……」
「いやしかし、まだ信じられん……。街中で騙されていたなんて……」
そんな声を聞きながら、俺は憲兵隊とともに街の監獄へ向かった。
その後に聞いた話によると、院長の書斎から見つかった取引先の名簿により、子供たちの売られた先はすぐ見つけ出せそうだという。
子供たちは必ず見つけ出し、本人の意向を確認したうえで連れ戻すと、憲兵隊長が俺に約束してくれた。
今後の孤児院の経営に関しては、できるだけ早いうちに街の人々が話し合いを行うと聞いた。
取り潰すという手段は考えていないと聞いたのでホッとする。
今日から数日間は有志の者が子供たちの世話をしてくれるらしい。
無関心な人々の住む街でなかったことが唯一の救いだ。
(こんな事件、二度と起きて欲しくないな……)
本当だったらすべての子供を救いたかった。
でもそれは傲慢な考えだ。
時は戻せない。
俺は月の出た夜空を見上げて深いため息をついたのだった。
◇◇◇
その夜。
宿屋に戻ってから、俺はひどい勘違いで購入してきたリボンをラビに差し出した。
ラビはリボンを手のひらに載せたまま、不思議そうに首を傾げている。
「それはラビへの贈り物だ」
「え……!」
大きな瞳が零れそうなほど見開かれる目。
(少しでも喜んでくれるといいが……)
不安に思いながらラビの反応を伺っていると……。
「……!」
ふわっと柔らかく表情を崩して、ラビが満面の笑みを浮かべた。
本当にうれしそうに笑ってくれたのだ。
「ありがとう……」
「ああ」
ポカポカと心が温かくなる。
あのとき店で感じた恥ずかしさも情けなさも全部が報われた気がして……。
「ラビを置いて部屋を出たあと、これを買ってきたんだ。貧しい服を着せた負い目があってつい妙な態度を取ってしまった。すまなかった」
「私もごめんなさい……。勝手に……いなくなったりして……」
「いや、いいんだ」
お互いにぎこちなく笑った。
謝りあうのは照れくさいものだ。
「リボン、つけてもいい……?」
「もちろんだ」
「えっと……」
自分で髪に結わえようとしているがうまくいかないようだ。
「貸してみろ」
俺もそんなに器用なほうではないが、ラビからリボンを受け取りがんばってみる。
ひとふさ摘まんだ髪をリボンで掬って、なんとか飾り付けることができた。
「よし、できたぞ」
やっぱり水色のリボンで正解だった。
「うん、とても似合ってる」
はにかんだラビが首をすくめる。
「……でも、どうして……リボンくれるの……?」
「菓子店で他の子たちのかわいいドレスをうらやましそうに眺めていただろう? ドレスはまだちょっと買ってやれそうにないから、とりあえずそのリボンで勘弁してくれ」
簡素なワンピースを恥ずかしく思っていたわけではなくても、ラビが他の子の服装に憧れを抱いていたことはわかっている。
と思っていたのだが……。
なぜか俺の話を聞いた瞬間、ラビの顔が真っ赤になった。
「……ち、違うの……。ドレスじゃなくて……お菓子……なんだろうなあって気になったの……」
「え!? そっちだったのか!?」
どうやら俺が思っていた以上にラビは食いしん坊らしい。
「……ぷっ。……はははっ。そうかそうか。お菓子だったのか」
俺が堪えきれず笑うと、ラビも恥ずかしそうに笑い出す。
怒りや絶望、悲しみを覚える出来事を、こうやって笑い合うことで人は乗り越えていく。
そんなふうに思える夜だった。
次話は『おっさんと少女、「うちの子」と「お父さん」』を掲載予定です。
明日の夜、更新します