10話 おっさんと少女、慈善の街アディントンへ
キリのいいところまで入れたら3日分の文字数になってしまいました
長くてすみません(;´Д`)
お金の表記をシルバーから銀貨に修正しました!
マクファーデン村を出て5日。
農村に泊まりながら南下を続けた俺とラビは、その日の昼過ぎにアディントンへ辿り着いた。
アディントンはなだらかな丘陵地帯に作られた街で、北側の高台に古びてはいるがとても立派な建物を有している。
街の目印でもあるその建物は『マットロック孤児院』だ。
行きの道でこの街を通った時、孤児院の立派な建物を見てかなり驚いた。
それなりの規模の街にはだいたい孤児院がある。
だが、だいたいどこも金に困っていて、でかいだけのおんぼろ屋敷を利用していることがほとんどなのだ。
じゃあなぜマットロック孤児院はまともな建物を維持していられるのか。
前回、酒場でチラッと聞いた話をぼんやり思い出す。
(たしか交易で財をなした男が院長となり、私財を注いで子供たちを育てていると言ったな)
世の中には随分立派な人がいたものだ。
そんな人だから人望も厚く、街の人々にかなり好かれているらしかった。
酔っ払いばかりの酒場ですら、院長の悪口はまったく出なかったのはすごい。
(……さて、まずは)
俺はどこの街に行っても最初に宿の確保をする。
アディントンでもそれはもちろん変わらない。
(泊まるのは前回と同じ宿でいいだろう。飯が美味かったからきっとラビが喜ぶはずだ)
宿の場所は記憶に残っているので、ラビを引き連れ街の中心部へ向かう。
人や馬が往来する通りは活気に満ちていた。
「わあ……」
ラビは小さな口を開けて、辺りをきょろきょろ見回した。
賑やかな街の雰囲気に圧倒されたらしい。
今まで寄ったのは小さな農村ばかりだったからな。
とくに馬車に興味があるようで食い入るように眺めている。
「ラビは馬車に乗ったことはあるか?」
「ううん……」
「もう少し南へ行けば乗合馬車も増える。そのうち乗せてやれるぞ」
「……!」
勢いよく俺を見上げて、パアッと顔を輝かせる。
言葉がなくてもラビの喜びがはっきり伝わってきた。
(これも短い前髪のおかげだな)
そんなことを思いながらラビに微笑みを返そうとした時。
向かいの店から人がドバッと出てきて、辺りが一際騒がしくなった。
「美味しそうなお菓子いっぱい買ってもらえたね!」
「院長先生ありがとう!」
「見て! 私が買ってもらったジンジャークッキーすっごくかわいいでしょ!」
「それなら僕のキャンディだって負けてないよ」
「ははは、みんなそんなにはしゃいでは危ないよ」
洋菓子店から出てきたのは、子供たちを10人近く連れた真っ白な髪をした男性だ。
ふくよかな体躯はぬいぐるみのクマのようで愛嬌がある。
なにより優しい笑い方に人の良さが滲み出ていた。
子供たちは院長先生と呼んでいた。
(もしやあの人が孤児院の院長だろうか?)
それにしては連れている子供たちの身なりが随分といい。
仕立ての良さそうなシャツを着た男の子。
ドレスのように華やかなワンピース姿の女の子。
まるで貴族の子供たちのようだ。
なんてことを思ってハッとした。
あの子たちに比べて俺がラビに与えた服や靴はどうだ。
「……」
選択肢がなかったとはいえ無地の地味なワンピースと木靴。
チラッとラビを見た直後、さらに打ちのめされた。
ラビが子供たちに向かい憧れを抱くような眼差しを向けていたのだ。
馬車を熱心に観察していたときとはまた違う。
喉から手が出るほど欲しいもの。
それを前にしたときのような表情である。
(うらやましいんだろうな……)
俺と目が合うと、ラビは恥ずかしそうに顔を俯かせた。
俺がかける言葉を見つけられずにいるなか、子供たちがじゃれ合いながら駆け出してきた。
そのうちのひとりが夢中になっていたせいで、ドンッとラビにぶつかる。
(あ……!)
よろめいたラビをとっさに助けようとした。
けれど近くにいた白髪の男のほうが先だった。
「すまないね。大丈夫だったかな?」
ラビがこくりと頷く。
「それはよかった。お詫びにこれをお食べ」
差し出されたのは色とりどりのキャンディだ。
人見知りのラビがパアッと目を輝かせる。
もらっていいのかというように俺を見上げてきたので頷き返してやった。
ラビはキャンディを一粒受け取ろうとしたが、男はニコニコと笑って手にしていたすべてをラビに握らせた。
大盤振る舞いに驚いたらしく、ラビはモゴモゴとお礼を告げてから俺の後ろに隠れてしまった。
「すみません……そんな高価な菓子をいただいてしまって」
「いいや、こちらこそ失礼致しました、お父様。ほらおまえたち。ちゃんとこの子に謝りなさい」
「はーい。ごめんなさい」
穏やかに諭され、子供たちが少し照れながら謝ってくる。
そのやりとりだけで彼らの関係性の良さを感じた。
「うちの子供たちは元気すぎて、このとおり手を焼いていますよ」
優しく笑って俺とラビを見比べる。
ただその直後、丸々とした顔におやという表情が浮かんだ。
「これは申し訳ありません。親子だと思ったのは私の早とちりだったようですね」
あっさり見破られどきりとした。
確かに髪の色は異なるし、顔も似ているわけじゃない。
でもそういう親子だっていなくはないだろう。
今後のためになぜ親子ではないとわかったのか尋ねると、男は朗らかに笑いながら答えた。
「距離感ですよ。あなたの後ろに隠れても、触れるのは躊躇っている。親子ではありえないでしょう」
(なるほど……)
「それでおふたりはどういう関係なのですか?」
ちょっと心配そうに尋ねられ、今度はぎくりとなった。
もしや人さらいだと疑われてるのだろうか。
「ぎ、義理の親子です。まだなったばかりなのだが」
できるだけ心の動揺を隠してそう伝える。
「そうでしたか。では生活も一変したでしょう。その年のお子さんがいきなり自分の人生に入ってきては戸惑うことも多いはずです」
「はあ、まあ……」
なんと答えるのが新米父として正解なのかまったくわからない。
俺は額に汗を浮かべながら、目を泳がせた。
「ははは。まだ自分の育児にたいして不安が多いのですね。そんなに青ざめなくても大丈夫ですよ」
「あ、いや……」
「奥様が支えてくれるでしょう」
「その、つ、妻はいないので」
「え?それではあなたお一人で血の繋がらぬ少女の面倒を見てらっしゃるのですか?」
しまった。
余計なことを言ったようだ。
そう気づいた時にはもう遅かった。
俺が慌て始めたのを見て、男は同情の色を濃くした。
「……差し出がましいとは思いますが、なにやら事情がおありのようですね。私はこの街で孤児院を経営しているマットロックと申します。もしよろしければご相談にのりますよ」
「いや、そんな……」
「幼い子の面倒をみるのは大変でしょう。子供連れの旅は移動距離も制約されますし。子供を放って眠るわけにもいかず、ひとりで寝ずの番をすることもあったのでは? 何よりひとりでいたときよりお金もかかるはずです」
まるで聖職者のような優しい笑みを浮かべて、男が頷く。
この人なら頼りたい、そう思わせる微笑みだ。
「相談って……」
「うちには事情があって預けられた子も大勢いますので」
「……!」
(ラビを孤児院にってことだよな……? いやいやいや、なんでそんな話になっているんだ)
マットロック氏の後ろで興味深げにやり取りを聞いていた子供たちが「この子もうちの子になるのかな?」と囁き合っている。
はしゃぐ子供たちの表情を見て危機感を覚えた。
このままとんとん拍子で話が進んでしまう気がしたのだ。
「お気遣いはありがたいが問題はないので……! で、では。ラビ、行こう」
俺は挨拶もそこそこに、ラビを連れて逃げるように立ち去ったのだった。
◇◇◇
宿屋に到着してからラビの様子が変だ。
口数が少ない。
食もあまり進まないようだ。
具合が悪いのかと聞くと首を振る。
(たしかに顔色はそんなに悪くないな……)
どうしたものかと思いながら様子を伺っていて気づいた。
たびたびワンピースの裾を掴んで伸ばしたり、俯いて眺めたりしている。
味気ない古着のワンピース。
「これ……」
「ん?」
「高い……?」
消え入りそうな声でラビが尋ねてくる。
俺は口を開けたまま固まり、すぐには言葉が出てこなかった。
「……い、いや。安いよ。ごめんな……」
絞り出したような声で謝ると、ラビが不思議なことを言った。
「よかった……」
(よかった?)
なぜ安いことがよかったのか。
混乱したまま首を傾げる。
ただ俺の頭の中にはさっきからずっと、今日見た子供たちの華やかな姿がちらついていた。
(……ラビが落ち込んでいたのもきっと服のせいだよな)
胸の奥がちくりと痛む。
ラビだってうらやましそうに見惚れていたじゃないか。
(院長の申し出を勝手に断ってしまったが、ラビは引き取られることを望んでいたのでは……)
同じ年頃の子たちもたくさんいるし、何不自由なく暮らせるようだった。
もともと俺だって知り合いに預ける気でいたんだ。
そっちでの生活が孤児院より勝るかどうかなんてわからない。
「ラビのことは院長に頼んだほうがよかっただろうか?」
ラビ自身の意思が知りたくて尋ねたら、彼女はビクッと肩を揺らして俯いてしまった。
「勝手に断ったりして悪かった」
無言のまま首を力なく横に振るラビ。
「なんなら明日、俺が頼みに行ってくるが……」
ラビは床を見つめて固まったまま、何も反応を示さない。
どうしていいのかわからずに、俺は重いため息をついた。
「孤児院に頼まなくていいのか?」
本当に微かに頷いた。
そうか……。
(……ならばせめて孤児院の子たちのように、子供らしいおしゃれをさせてやりたいな)
このままじゃ行く先々で、惨めな想いをさせてしまう。
(そうだ。ラビに何か喜びそうなものを見繕って来よう……!)
それでこの気まずい雰囲気も打開できるかもしれない。
「ラビ、ちょっと出かけてくる。ラビは宿屋で待っていてくれ」
「あ……」
物言いたげにラビが俺を見上げてくる。
一緒に連れて行ったら必ず遠慮するだろうから、ここはどうしてもひとりで行きたい。
俺は不安そうなラビに頷き返して、「行ってくる」と伝えたのだった。
◇◇◇
宿屋を出た俺はひとりきり、商業区へとやってきた。
(いつも行くような雑貨屋ではだめだな……)
大通りに面した商店をひとつひとつ眺めていく。
街のもっとも賑やかな辺りに近づいた頃、ようやく目当ての店を見つけた。
ショウーウインドウにレースのドレスを飾ったその店の名は、『婦人服・仕立て屋オールマンの店』。
勇気がいるものの意を決して近づいていく。
窓越しに中を伺うと先客が数名。
若い女性客が多いようだ。
かなり繁盛しているらしい。
ドキドキしながら扉を潜る。
当然、こんな小奇麗で洒落た店とは無縁の人生である。
もうすでにいま嫌な汗をかいていたが、ラビのためを思えば逃げ出さずにすんだ。
店内には様々な色の華やかなドレスが陳列されている。
(こりゃあすごいな……)
細かい刺繍、キラキラと光るビーズ、いったいいくらするのか。
店内にいた先客たちはそんな衣服を平然と着こなしているのだから驚かされる。
普段俺が出入りしてるような雑貨屋とは、雰囲気も客層もまったく異なる。
俺だけが激しく浮いていた。
(……だいたい服屋なのにいい匂いがするのはなぜなんだ)
戸惑いつつドレスにつけられた値札を確認した。
「……!」
(銀貨10枚……)
今の所持金はすべて合わせてもその半分以下。
とてもじゃないが俺では買えない。
服は仕事をして金を貯めるまでの間、待ってくれるよう頼もう。
(それ以外でもう少し手ごろな値段の商品はないものか……)
肩身の狭い思いをしながら店内を回ると、右手の脇に帽子やリボンを並べたコーナーがあるのに気づいた。
(今日見た少女たちもこのようなリボンを髪に飾っていたな)
ラビにもきっと似合うだろう。
いや、絶対に似合う。
(値段は……銅貨30枚か)
安くはない。
でもこれならなんとか買える範囲だ。
そろそろなにか日雇いの仕事をしようとは思っていたから、手痛い出費とはならない。
手に取ってみたいが、こんなおっさんのごっつい指で触れていいものか。
繊細で愛らしいリボンを見ていると気が引けてくる。
汚れだけはちゃんと落としてきて正解だった。
そう思いながらも躊躇っていると……。
「なにあのひと……」
「……リボンを見つめたまま思いつめた顔をしてるわよ」
「女性へのプレゼントを選んでるんじゃない?」
「あら、あんな朴念仁みたいな人が?」
女性たちの集団がくすくすと笑い声をたてる。
あまりの恥ずかしさに思わず店の奥の暗がりへと逃げ込んでしまった。
(なにをやっているんだ俺は。逃げてどうする)
自分を叱りながらも動けない。
結局、女子たちが店を出ていくまで俺はその場で立ち尽くしていた。
(さて……)
やっとのことでまたリボンのコーナーへ戻ってこられたが、今度はどれを選んでいいのかわからず困った。
結局、女性店員が見かねたように声をかけてきた。
ソワソワしたが、ここは彼女の手を借りることにする。
10歳ぐらいの大人しい少女に似合うものはどれかと尋ねたら、夏の花のような黄色いリボンと、水色の柔らかそうなリボンが勧められた。
(ラビに似合うのは……)
俺は水色のリボンをもらっていくと店員に伝えた。
「お包みいたしますか?」
払いを終えたあと店員に尋ねられ、またここでも迷った。
(リボンひとつを仰々しく贈るのはどうなんだ……?)
やりすぎだろうか。
こんなふうに物を人に贈った経験などほとんどないため困惑する。
きれいに包まれたリボンをラビに渡す自分を想像してみる。
いかん。
まったくイメージできない。
(……さりげなく渡すほうが気楽だな)
支払いを済ませた俺はそのままリボンを受け取った。
手汗で汚したくはないから、ロングコートのポケットの中に丁寧にしまったのだった。
宿までの道は、行きよりも心なし足取りが軽くなった。
(これでラビが喜んでくれるといいが……)
ラビの遠慮がちな照れ笑いを思い浮かべながら帰路を急ぐ。
なんと言って渡そうか?
「偶然見かけた」とか?
いやそれは白々しいな。
なら「ラビへの贈り物だ」はどうだ。
……ううむ。
贈り物というほど高価な品ではないしな……。
やっぱり「よければ使ってくれ」あたりか?
……うむ。
パッとしないところが俺らしいじゃないか。
それでいこう。
宿屋が見えると、今度は少々緊張してきた。
(いらないと思われたら落ち込むな……)
悪い想像のせいで足が止まりかける。
買った時はとても愛らしく思えたリボンなのに、いまいちな気さえしてきた。
「はぁ……」
まったく情けない。
道行く人々が不審げに俺を振り返っていく。
立ち止まっているわけにもいかないので、なんとか自分を奮い立たせて宿の扉を開けた。
一階の食堂は早めの夕食をとる客で賑わいはじめている。
ざわめきの合間をすり抜け、左手奥の階段をのぼっていく。
(頑張れ俺。なんとか気まずい状態を打破するんだ)
それにラビは優しい子だ。
真心を込めて謝れば、きっと元通りになれる。
そう信じてポケットの中からリボンを取り出す。
(よし……)
すうっと息を吸って、部屋の扉を開ける。
ところが……。
「……ラビ?」
室内はがらんとしていて、ラビの姿はなかった。
(トイレに行ってるのか?)
首を傾げつつ部屋の中へ入っていく。
手持ち無沙汰を感じながら室内を見回していると……。
(ん?)
書き物机の上に紙が1枚置いてある。
出て行く前はこんなものなかった。
その紙を取り上げた俺は、書かれている言葉を見て目を見開いた。
『いろいろありがとうございました。
いっしょにいられて、とってもたのしかったです。
私は孤児院のこどもになります
ラビ』
手紙には小さくて丸い筆跡でそう書かれていた。
「……」
よく見ればこれはオーダーをメモした紙の裏側だ。
下の食堂で1枚分けてもらってきたのだろう。
そんなどうでもいいことを考えながら、ベッドの縁に座り込む。
渡す相手のいなくなってしまったリボンが俺の手からすり抜けて、床の上へひらりと落ちた。
(そうか……。孤児院に……)
たしかに今日見た子供たちはとても幸せそうだった。
今の俺では買ってやれないようないい服を着せてもらっていた。
ラビが不自由なく暮らせるならいいじゃないか。
その場所が俺の知り合いの元であろうと、孤児院だろうと関係はない。
頭では分かっているのに。
やるせない気持ちが募っていくのが不思議だ。
寂しくなるのは、こんなにすぐ唐突な別れが訪れるとは思っていなかったからだ。
そんなふうに自分に言い聞かせてもみる。
だがこのまま別れてしまって本当にいいのだろうか。
広い世界だ。
一度、道が分かれたら二度と会わないことのほうがずっと多い。
別れの言葉ぐらい面と向かって言うべきじゃないか?
そんなふうに思って、立ち上がりかけたが……。
(……やめておこう)
わざわざ手紙を置いて、出ていったのだ。
顔を合わせたくなかったことぐらい、いくら鈍い俺でも気づいた。
シンと静まり返った室内に、俺の深いため息が響く。
口数が多い子ではなかったから、一緒にいても沈黙なんてしょっちゅうだった。
しかし一人きりの静けさとは違う。
この静寂の中に優しい気配は一切ない。
たった数日、共に過ごしただけの少女。
それでも彼女の存在が俺の孤独を癒してくれていたのだ。
いなくなって初めて、その事実に気づかされた。
◇◇◇
翌朝。
目を覚ました俺はモソモソとしたくをしながら、ラビにネックレスを返していないことに気づいた。
(しまった。俺がこれを持っているわけにはいかんな)
避けられたような別れだったとしても、ちゃんと届けにいかなくては。
今日は朝一でセオ爺さんの店を尋ねると約束してあった。
先にそちらに顔を出し、ネックレスが売れなくなったと伝えてから孤児院へ向かおう。
心にぽっかり穴が空いた状態なのは変わらない。
それでももう一度ラビに会えると思うと、多少は気が晴れた。
教えられていたとおり商業地区の西側へ向かうと『セオの雑貨店』の看板はすぐに見つかった。
雑貨屋のわりに店構えはかなり大きい。
やはりあの爺さん、かなりやり手のようだ。
「どうも」
挨拶をして店内へ入っていくと、店の奥でセオ爺さんと、彼にそっくりな小柄な男性がワーワーと言い争っていた。
「だから父さん、棚卸なんてのは僕に任せてくださいよ。もういい年なんですから、腰を痛めたらどうするんです」
「はんっ。おまえのようなヒョロヒョロよりワシのがずっと丈夫じゃよ!」
どうやら親子喧嘩のまっただ中なようだ。
俺が棒立ちになって困り果てていると、言いたい放題やりあった親子がそろってこちらに視線を向けた。
「「いらっしゃい」」
ケンカをしていても挨拶はしっかりハモっている。
(仲がいいんだか、悪いんだかわからんな)
俺は苦笑しながら軽く会釈した。
「ん? おまえさん、今日はあの子を連れておらんのか」
俺が肩を落として事情を説明すると、親子の反応は真っ二つに分かれた。
「そりゃあその子、運がよかったですね。きっとしあわせになれますよ!」
「ワシはどうもあの男は好かんがのう。稼いだ金に執着しない商売人など聞いたことがない」
「まったく父さんはまたそんなことを言って。院長はもう商売から足を洗ったんですから。どうか気にしないでください。院長の悪口を言うのなんて、この街でうちの父ぐらいですよ」
息子が俺に向かって苦笑する。
「マットロック院長に預けたなら一切間違いがありませんから。養い親を探すにしても貴族以外は断ってるらしいですし。孤児院で成長した子たちは大きな街で独り立ちできるよう、取り計らってくれるんです。もう何人もの子が院長のもとを巣立っていきましたよ」
(ここも大きくて住み心地のよさそうな街なのに、わざわざ外へ出ていくのか?)
北部の人間はあまり故郷を離れたがらない。
それはこの辺りの交通網があまり発達していないからだが……。
不思議に思いながら疑問を口にすると、息子のほうが返答をくれた。
「ここから南東に行くと海に出るのはご存じですか?」
「港町シップトンか。ん? だがシップトンを利用できるのは近距離用の小さな漁船と商船だけだろう。ギルド内が揉めているだかで、もう何年も旅客船が泊まらないんだよな?」
そのせいで海を横切ることを諦めたからよく覚えている。
数年前の話だ。
まだ俺が勇者パーティーにいる頃――。
東側の大陸は10年前から魔王による侵略が激しく、魔族による残虐行為が繰り返されていた。
そいつを退治するためシップトンから東へ渡ろうとしたのだが……。
(まあ、いまはその結末について思い出している時ではない)
「シップトンは旅客船を受け入れるようになったのか?」
「いえ。でも院長は商船に乗っていた頃の知り合いに顔が利きますから。いつでも船を出してもらえるんですよ。ここもまあそれなりに大きな町ですが、海を渡った大陸の東側は規模が違うと言うじゃないですか。私だって憧れる気持ちはありますよ。きっと院長もそういう街のほうが幸せになれると思っているのでしょう」
「……!?」
目を見開き息を呑む。
ありえない。
たしかに勇者アランによって東の大陸の安全は一度取り戻された。
しかし、今また東側の大陸は四天王によって苦しめられている。
そんなところで幸せになれるわけがない。
(院長は何も知らずに子供たちを送り出しているのか!?)
目の前にいるこの商人は魔王の侵略のことなどまったく知らない様子だ。
北の街は人の出入りが極端に少ないせいで、情報が止まったままなことが多い。
(……それにしてもやはりおかしい)
子供たちを送っていった者は、東の港に入るのだ。
情報は絶対に入って来る。
院長が知らないとしたら、その者が隠しているからということになる。
(だがいったいなんのために?)
何か言いようのない不安を感じる。
(どちらにしろラビをそんなところに預けてはおけない!)
迎えに行くことがラビの迷惑になっても、たとえ嫌われようとも、安全な場所以外は認められない。
突然、ガッと顔を上げた俺を見て、親子が驚いたように目を見開く。
「すまんが失礼する!」
「え!? 急にどうしたんです?」
「ラビを取り戻しに行ってくる」
俺がそう告げるとセオ爺さんのほうはニヤリと笑った。
「うむ。行って来い」
「また改めて顔を出させてもらう!」
そう告げて店を飛び出した。
「おい、若いの! 急ぐなら馬を使え!」
セオ爺さんが俺の背中に向かって叫ぶ。
(若いの……!? いやたしかに爺さんよりは若いが……!)
「大丈夫だ! 馬より俺のほうが早い!!」
俺は振り返らずに叫び返した。
《漲る力湧き上がれ――
走りながら詠唱し、素早さのバフを自分にかける。
(まだだ! もっと早く! 加速! 加速!! 加速ッッッ!!!)
何重にもバフをかけた体で風のように駆け抜けていく。
一刻も早く。
ラビの元へ――……!