89話 おっさん、才能の片鱗を見いだす
すっかり夜も更けた頃、大部屋にはどんちゃん騒ぎの名残が残っていた。
転がった酒瓶。
方々から聞こえてくる大いびき。
子供たちは部屋の奥に用意されたハンモックで眠っている。
ひとり目を覚ましてしまった俺は、辺りを見回して軽く伸びをした。
開け放たれた窓から控えめな夜風が入り込み、そよそよとカーテンを揺らしている。
酔っ払いたちが雑魚寝してる割に、アルコールの匂いが薄いのは、夜風のおかげだろう。
そう思って体を起こした俺は、衝立の向かうから光が漏れているのに気づいた。
誰か起きてるのか?
他のものの眠りを妨げぬよう、そっと覗き込む。
するとそこには、ラビたちを連れて先に引き上げたカトリの姿があった。
「カトリ、眠れないのか?」
「あっ。すみません、起こしちゃいました!?」
「いや、そういうわけじゃない。うん?それは……」
カトリの周囲に散らかっているのは、何枚もの設計図だ。
一階の独特な間取りと部屋数の多さから、一目みただけで宿屋のものだとわかった。
「宿の内装をいくつか閃いたので、図面に起こしてみたんです」
「すごいな。これ全部か?」
「はいっ。ここまでの道中、ダグラスさんやラビちゃんが、宿のご主人一家のお話を色々聞かせて下さったので。とても参考になりました!」
そう言って、カトリはその中の一枚を手渡してくれた。
「もちろん施主であるご一家とお話をしてから、正式な図面を作成するつもりです。ただ、こちらでもアイデアを用意しておいたほうがお役に立てるかなって」
「そうだな。こういうものは、素人ではよくわからないからな。職人の率直な意見が聞ければすごく助かると思う」
俺は渡された図面に視線を落とした。
丁寧に書き込まれていて見やすい。
その上、文字での解説なども添えてあって、図面だけではわかりにくい箇所もきちんと理解できるようになっている。
「職人の書く図面は、ここまで詳しいものなのか?」
「あ、いえこれは、皆さんにお見せするために作ったので。補足説明がないと読みにくいかなと思って」
「そこまで配慮してくれたのか」
カトリはなんでもなさそうに言うが、これだけの枚数すべてに説明を添えるなど、相当な労力だっただろう。
「疑問があっても、言葉では聞きにくかったりしますよね。そんなときのサポートにもなるといいなあって考えたんです」
「ありがたい」
俺は真摯に礼を言い、図面を読みこんでいった。
「ん?台所の流しの高さが少し高くなっているのか」
「そうなんです。標準となっている高さって、女性に合わせてあるんですよ。それだと男の人には低いことが多くて。エイハブさんの身長次第でまたそこは調整するつもりです」
なるほど、たしかにカトリの言う通りだ。
エイハブはよく、厨房に長く立っていると腰が痛くなると嘆いていた。
この図面を見たら、是非採用したいと思うのではないだろうか。
「奥さんの趣味がガーデニングだともお聞きしたので、玄関周りに小さな花壇をつける案も書いてみました」
「おっ。本当だな。窓の位置が前と別の場所に設置されてるのも意味があるのか?」
「はい。朝食は食堂でとるんですよね?それだと東側に大きな窓があると、朝日が差し込んで気持ちいいかなって思ったんです」
「すごいな、カトリ。使う人のことをよく考えられている」
「あはは、ありがとうございます。でも、褒めても何も出ませんよー」
「いや。社交辞令で褒めているんじゃない」
俺はカトリを見て言った。
「家を建てるのは一生に関わることだ。色々聞きたい、こだわりたいと思っていても、職人に時間を取らせて相談するのはなかなか気が引ける。大工の側が施主の気持ちに寄り添い、一緒に建物を作ろうとしてくれたらこんなに心強いことはないぞ。お前に家を作ってもらう人間は幸せだ」
「え……」
その途端、カトリの目が潤んだ気がした。
気のせいだろうか。
カトリはすぐに俯いてしまったので、よくわからない。
「おい、カトリ?どうしたんだ?」
何かまずいことを言ってしまったかと慌てていると……。
「いえ……う、嬉しくて」
カトリは鼻をすすったあと、顔を上げてにっこりと笑った。
「そんなふうに言ってくれた人、ダグラスさんが初めてです……!」
よかった。
褒められたことが嬉しくて、感動していたようだ。
カトリはいままで、仕事に恵まれてこなかったと言っていたもんな。
本当にもったいない話だ。
カトリのように住む人間の立場に立って、家を建てられる大工が、仕事にあぶれているなんて……。
「これまでカトリの才能が埋もれていたのは惜しいことだな」
「ふふっ。ありがとうございます。ダグラスさんの言葉に恥じないよう、頑張ります!」
「ああ。だけど、もう夜も遅い。ちゃんと休んでくれ」
「はい!キリのいいところで休みます!」
張り切るカトリに笑顔を返す。
いい大工に出会うことができてよかったな。
エイハブたちにも早くカトリの書いてくれた図面を見せたい。
彼らもきっと喜んでくれるに違いない。
そんな思いを噛み締めながら、俺はハンモックで眠るラビの様子を見に戻った。