93話 おっさんと少女、傷ついた仲間に寄り添って励ます
建前の打ち上げ中、予想していた通りに雨が降りはじめた。
「本当に間一髪だったな……」
窓にあたる雨だれを気にしつつ尋ねると、隣にやってきたカトリが、俺と同じように窓の外を眺めながら言った。
「運が味方してくれましたね! 建前の日にいっきに屋根まで作っちゃうのって、雨対策のためなんですよ」
「そうなのか?」
「はい。骨組みを作ったあとに、雨に降られたら台無しですから」
たしかに煉瓦で造られている基礎の部分と違い、骨組みに使われているのは木材だ。
雨に打たれたら一巻の終わりと言える。
「屋根ができていれば、室内の工事は問題なく行えますし。というわけで明日もはりきって頑張りますね!」
「はは。頼もしいな」
◇◇◇
しかし翌日、身支度を整えて現場に向かうと、妙な人だかりができていた。
どうやら近所の住人が集まってきているらしい。
いったいどうしたんだ……?
嫌な予感を覚えつつ、ラビとともに駆け寄っていく。
その直後――。
「こ、これは……!?」
人だかりをかき分けて進んだ俺たちの目に、信じられない光景が飛び込んできた。
一体どうしたのだろう。
急いで駆け付けてみると、衝撃の光景が目に入った。
信じられないことに、昨日作ったばかりの屋根に、大きな穴が開いている。
そこから雨が吹き込んだのだろう。
建物の中はずぶ濡れになって、ひどい有様だ。
「そんな……」
それ以上、言葉が続かない。
「ここまで浸水していては、一度解体してやり直さないとだめなんじゃ……」
「やり直しって、父さん本気で言ってんのかよ!?」
ルーイの言葉にニキが驚きの声を上げる。
俺もエイハブも、ルーイの予想が正しいだろうことは察していた。
「予備の木材は用意してあっても、さすがにやり直すほどの量はないよな……」
エイハブの言葉に頷き返す。
困ったことになった。
俺たちにはもう、新しい材料を同じだけ買うほどの金はないのだ。
俺が皆まで言わなくとも、その場の面々には事態の深刻さが嫌というほどわかっていた。
皆、顔色が悪い。
「いったいどうしたらいいんだ……」
青ざめたエイハブの言葉とともに、全員が意見を求めるように、カトリを振り返る。
「ご、ごめんなさい……。私のせいです……」
耳をぺたんとたらし、項垂れていたカトリが震える声を零す。
「カトリ?」
「本当にごめんなさい……っ」
叫ぶようにそう言った直後、カトリがタッと駆け出した。
涙の粒が流れ落ちるのを見た気がして、ぎょっとなる。
「カトリ! おい、待て!」
「お姉ちゃん……!」
俺とラビは慌ててカトリのあとを追い掛けた。
ああ、くそ。速いな……!
亜人の脚力は凄まじいものがある。
全力で走られたら到底追いつけない。
「ラビ、掴まれ!」
「うん……!」
俺はラビを抱き上げると、脚力を増加させるためのスキルを唱えた。
《漲る力湧き上がれ――加速アクセラレーション!!!》
ぐんっ! と加速した俺は、どんどんカトリとの距離を詰めていく。
ラビに負担が掛からないように注意しても、数秒でカトリに追いつけた。
「えっ、ダグラスさん……!? うそ!? 人間が私の速度に追いつけるなんて……!」
驚きのあまりカトリが立ち止まる。
その頬は涙で濡れていた。
「カトリ、逃げないでくれ。話をしよう」
「う……」
堪えきれないというように顔をくしゃくしゃにさせたカトリがその場に座り込む。
そしてそのまま、わっと泣き声を上げはじめた。
「私のっ、私のせいなんです……っ! 私が女だから……!」
「何を……」
「伝統に背いたせいでバチが当たったんです……っ。ひっく……。女なのに、みんなの優しさに甘えてしまったから、災いを招いてしまったんです……!」
「馬鹿なことを言うな。そんなことがあるわけないだろう!」
カトリの言葉をきっぱりと否定する。
「あの屋根の穴は、誰かが故意にあけたものだ。もちろん天罰なんかじゃない。辺りに木くずが散らばっていたから、きっとノコギリか何かを使ったんだ」
「え……」
カトリは少し驚いた顔のあと、すぐに俯いて首を横に振った。
「なおさら私のせいです。私への嫌がらせとしか思えませんから」
「カトリ……」
「私が女だからいけないんです……」
俺はなんとかカトリを励まそうとした。
しかしどんな言葉を並べ立てても、虚しく響くばかりだった。
「お前のおかげでエイハブも嬉しそうなんだ」
「でも壊されちゃいました……」
「そ、それに、あの丁寧な図面はお前にしか書けないと思う」
「家が完成しなきゃ意味ないです……」
淡々と言うカトリの心は深く傷ついている。
どうしたものか……。
俺が悩んで黙り込んだとき、不意にラビがすっと前に踏み出した。
「ラビ……?」
「お姉ちゃん、大丈夫」
まるで言い聞かせるように、ラビがカトリの手にそっと触れる。
「あのね、私も同じだったの。だから気持ちわかるよ……。言われた悲しい言葉とか、怖かったことが心の中で黒いモヤモヤになって膨れ上がっちゃうんだよね……」
ラビは一生懸命に言葉を探しながら、たどたどしい言葉で、カトリに語りかけた。
「お父さんが大丈夫だよ、俺がいるよって言ってくれて、うれしいって思ったのに。怖いことが起こると、黒いモヤモヤがまたブワーって襲ってきて、全部もうダメになったような気がしちゃうの」
「ラビちゃんも……?」
カトリは顔を上げ、呟く。
「今の私みたい」
「うん、一緒だよ。でもね、私が怖くなった時、何回でもお父さんは大丈夫だよって言ってくれたの。私の心の中の怖いことを何回もやっつけてくれたの。お姉ちゃんもおんなじだよ。怖くなったら、私のお父さんがやっつけてくれるよ。ね、お父さん」
「……ああ」
ラビの言葉が迷っていた俺の背中を押してくれる。
さっきまで空回っていた気持ちが、正しい場所に落ち着くような気持がした。
どんなふうにカトリを励ませばいいのか、もう考えなくてもわかった。
「お前がされたことは本当に理不尽なことだ。完全に立ち直り、女だと言うことを気にせずにやっていけるようになるまでは、相当な時間がかかるだろう」
「ダグラスさん……」
「悪意の威力は恐ろしいものがあるよな。俺もわかるよ。たった一言で、相手が大切に守っていたものを粉々にできたりする」
俺も人生の中でそういった経験をしたことはある。
ひどく傷ついて、なかなか立ち直れなかったし、今思い出しても、相も変わらず胸が痛む。
いや、でも今はカトリの話だ。
「今後もこの世界で生きていく限り、嫌な思いをすることもあるはず。だけど負けたらダメだ」
「私……」
カトリはぐっとくちびるを噛んだあと、絞り出すような声で言った。
「私、負けたくない」
小さな手が懸命に涙を拭う。
「だって、この仕事が好きだから」
涙を浮かべた瞳に、今は力強い意志が宿っている。
差別に屈したくなどないという彼女の想いが伝わってきた。
そうだよな。
悔しいよな。
カトリの気持ちは痛いほどわかる。
悪意とはなんなのか。
どうして人は人を傷つけたがるのか。
どうして悪意は善意より圧倒的に強烈な存在であるのか。
答えはわからない。
だが確かなことが1つだけ。
どれだけ傷つけられても、俺たちは再び立ち上がれる。
小さくて頼りない光でも、優しさを与えてくれる誰かの存在があるのなら……。
胸をえぐるほど力強い悪意の渦から救い出してくれるのが、そいつらに何度も踏みにじられて負けそうになる、それでも決して消えることのない小さな優しい灯火だというのは、とても不思議で奇跡的なことだ。