1話 おっさん、冒険者ライセンスを剥奪される
「冒険者ライセンスが剥奪されましたにゃ」
ギルドの簡易受付で、案内役の妖精ネコが言い放つ。
いつものようにクエストを受けようとしていた俺は、あんぐりと口を開けてしまった。
「……なんだって?」
「このカードは無効ですにゃ。20日以内に総合受付で返却手続きの説明を受けて欲しいですにゃー」
「ライセンス剥奪って……。ど、どういうことだ……?」
みっともなく上擦った声が自分の口から零れ落ちる。
何かの間違いだと信じたい。
「ちょっと待ってくれ……」
カウンターに身を乗り出そうとしたら、腰がピキッと嫌な音を立てた。
「うっ……」
二十年あまり鞭を打ってきた体は、あちこちボロボロだ。
とくに腰と肩の痛みは悩ましい。
俺は情けない顔で腰をさすりながら、突き返されたライセンスカードを受け取った。
それを着古したシャツの袖でごしごしと拭って、再び妖精ネコに差し出す。
「これでもう一度確認してみてくれ」
妖精ネコは俺の望みを叶えてくれたが……。
「冒険者ライセンスが剥奪されましたにゃ。このカードは無効ですにゃ」
戻ってきたのは、さっきとまったく同じ答えだった。
嫌な汗が背中を流れ落ちていく。
(そんな……。ライセンスを剥奪されたらクエストを一切受けられなくなるというのに……)
たしかに最近の俺は危うい状況だった。
クエストに出ても、なかなか結果を出せていない。
それでもまだギリギリ挽回できると思っていたが……。
(見通しが甘すぎたってことか……)
がくりと肩を落として項垂れる。
恐れていた最悪の事態が起こってしまったのだ。
頭を抱えてしゃがみ込みたくなったそのとき――。
後ろを通り過ぎていったパーティーが「おい、あのおっさんライセンス剥奪だってよ」「ぷっ……かわいそ」などと笑い合っているのが聞こえてきた。
恥ずかしさのあまり顔がカアッと熱くなる。
(とにかく問い合わせを行わなければ……)
俺はでかい体を縮こませて、職員が対応してくれる窓口のほうへ移動した。
一番端の空いているカウンターに立つが、なかなか気づいてもらえない。
カウンターの向こうの職員たちは忙しそうに動き回っている。
「コ、コホンッ……」
ちょっと気が引けるが、咳払いをして存在をアピールしてみる。
まだ気づかれない。
まいった。
「……ウッ、ウンッ……!!」
もう少しがんばってみたら、いかにもおっさんくさい咳払いになってしまった。
けれどようやく数人がこちらを見てくれた。
顔見知りの若い男性職員が窓口へ近づいてくる。
「ああ、ダグラスさん。ハハ、どうもっす」
男性職員は俺の名を呼ぶと、気まずそうな愛想笑いを浮かべた。
それを見て悟る。
俺がライセンスを剥奪されたことをギルドの面々はすでに知っているのだろう。
しかし無理やり笑い返して、平静を装った。
気を使われるほど惨めな気持ちになるものだから。
「忙しいところすまないな。実はその……ライセンスのことで少し話があってな……」
「ライセンスカードの返納手続きっすね。オッケーっす!」
「ああ、いや……。返納ではなく……。ライセンス剥奪を解除してもらいたいんだ」
「え……。……解除ですか?」
男性職員の眉が下がり、面倒なことになったという顔をされてしまった。
「手間をかけてすまないな」
謝りながら自分をみっともなく感じた。
それでもあっさり諦めるわけにはいかなかった。
なんせ生活がかかっているのだ。
見栄を張っている場合ではない。
「とりあえず今日一日だけの仮解除でもいい。そうしたらすぐCランク任務を達成して、ギルドポイントを稼いでくるから。なんとか融通してもらえないだろうか?」
Cランクのクエストはだいたいレベル30半ばの冒険者に適した難易度だ。
この世界の冒険者の平均が30ちょうどぐらいなので、普通より少し強いぐらいで十分にこなせる。
ちなみに俺のレベルは68。
(レベルだけでいったらCランククエストで失敗するわけもないのだが……)
俺は今年、37歳のおっさんだ。
若い頃の無理が祟ったのか、35を越えた頃からあちこちガタがきて、とにかく身体能力の衰えが著しい。
眼精疲労、片頭痛、腰痛、肩こり。
そして慢性的な倦怠感。
しかも1年前から奇怪な症状に悩まされていた。
気づいたらスキルを使うごとに、HPの最大値が減少していく体になっていたのだ。
一度減った最大HPは二度と復活しない。
症状を自覚して震え上がった俺のため、当時の仲間が慌てて万能薬師を連れてきてくれたのだが……。
下された診断は無慈悲なものだった。
『スキルの使用に体が耐えられなくなっているようだな。珍しい症状だが、これまでも何人か見てきた。残念ながら治ったものはいない。スキルを使用し続けてHPがゼロになれば、命は潰えるだろう』
冒険者をやめるか、命を削りながらこの道で生きていくか。
絶望した俺はその晩、浴びるほどの酒を飲み大いに酔っぱらって、最終的に吐きながら涙を流した。
翌朝、俺はすっきりした気持ちで、パーティーの仲間たちに告げた。
「HPがゼロになるまで冒険者を続けることにした。もうしばらくの間、仲間としてよろしく頼む」
俺にはこの生き方しかないから。
今さらすべてを捨てることなどできなかった。
そしてこの1年でHPは減り続け、今の俺のHPは2500。
これはレベル一桁台の駆け出し冒険者と変わらない。
本来レベル68の戦士なら50000はくだらないんだがな……。
「うーん……。Cランク任務……。ダグラスさん、たしか3回連続でクエスト失敗してますよね。なんでちょっとギルドでもCランクをこれ以上依頼するわけにはいかない状態でして……」
「……ああ、厳しいのはわかっている」
それぞれの冒険者ギルドには総合ギルドポイントというものがある。
そのギルドで請け負ったクエストを冒険者が達成すると、冒険者本人とそのギルドにギルドポイントが付与されるシステムだ。
逆に失敗するとギルドポイントが減少する。
冒険者はギルドポイントによって、様々な恩恵を受けられる。
何より冒険者ライセンスはある程度のギルドポイントを保持していないと、所持し続けられない。
しかし何ポイント以上あればいいという明確な数字は公表されていない。
持っている総合ポイントプラス、クエスト達成数、ギルド貢献度、本人のレベルなどから判断されるため、俺は今回ライセンスを剥奪されるまで、危機的状況に気づけなかったのだった。
ギルドポイントの恩恵を受けれるのはギルドも一緒だ。
総合ポイントが高ければ、ギルド本部からの支給金も増える。
逆に所持ポイントがあまりに低いと、ギルドマスターが左遷されたり、最悪は取り壊しなんてこともありえる。
だから俺がクエストを失敗するほど、ギルドに迷惑がかかってしまうのだ。
それは本当に申し訳なく思っている。
俺もかつてはこのギルドいちのポイントランカーだったのだが、ここまで落ちぶれるとは。
自分で自分が情けない。
「だが今回はいつもと違って、万全の体制を整えてきたんだ。ほらこれを見てくれ」
そう言って後ろを振り返る。
俺は背負っていたリュックを男性職員に見せた。
パンパンに膨れ上がったリュックの中には、奮発して買い込んだ回復薬がごっそり入っている。
瓶に入った液体の回復薬は、一本でも結構重い。
この重さは凝り固まった肩にかなりくる。
ここに持ってくるまでも重労働で、正直しんどかった。
「あー……。すごい量っすね……」
「だろう? これさえあれば、きっと今回のクエストは乗り切れるはずだ!」
俺は剣だこだらけの拳を握って熱弁した。
さすがに俺だって3回連続クエストを失敗して、これではまずいと焦った。
ライセンス剥奪の問題もそうだし、何より報酬がもらえなければ生活が苦しくなる。
俺の懐具合はかなり厳しい状態が続いていた。
「たしかにアイテムの量からすごい気合いを感じますね。その量背負って戦闘できるんかい! って感じっすけど。ますます攻撃を喰らいやすくなるんじゃないですか?」
「ま、まあな。瞬発力は下がるが、でも俺は魔法戦士だから。避けるというより防御でしのぐ戦い方だ」
「……けどダグラスさん、現状最大HPもかなり低いですし、戦士だとキツイっすよね。パーティー組んで回復役がいるならまだしも、1ヶ月前からずっとソロですし……。そんな状態でCランクに挑むのは無茶だってわかってますよね?」
「い、いやでもな……今回は気持ちが違うから。勝てる気がしているんだ」
「ハハ……。まいったなほんと……」
男性職員は露骨なため息を吐いた。
彼は根気よく俺の話に付き合ってくれていたが、さすがにがうんざりしてきたのだろう。
肩身が狭い。
「ダグラスさん、こんなこと言いたくないけど……今のあなたはうちのギルドのレベルに見合っていない。正直、ここ1年ぐらいずっとお荷物状態です」
「……っ」
レベルに見合っていないお荷物。
自分でもわかっているからこそ、彼の言葉がひどく応えた。
「そもそもCランクのクエにこだわってますが、Dランクだってきついと思いますよ。いくらレベルが高くても、HP2500じゃワンパンで瀕死っすもんね。いっそ森で蜂蜜採集でもしていたほうが……」
「その辺にしておきなさい」
奥から出てきた小柄で品のいい男が、男性職員の肩を軽く叩く。
男性職員はハッと息を呑んで口を噤んだ。
俺と同級の小柄な男は、このギルドのギルドマスターだ。
ギルドマスターとは十年来の知り合いで、彼がまだ一般職員だったときから親しくしてきた。
俺はギルドマスターが出てきてくれたことにホッとした。
彼ならわかってくれるだろう。
「よかった、ギルドマスター。どうにかあと1回、俺にクエストを――……」
言葉が続かなかったのは、相手の渋い表情を見て気づいてしまったからだ。
彼は俺の味方をするため出てきたわけではない。
さっきの若い男性職員に代わって、俺を説得するために腰を上げたのだ。
「ダグラス。あんたの気持ちはわかる。だがもうそのくらいにしておけ。あまり大事になるのはおまえも好まぬだろう」
そう言ってギルドマスターは周囲に視線を向けた。
「あ……」
指摘されてようやく冷静になる。
促され辺りを見回すと、案内所にいる他の冒険者たちは俺たちのやり取りを面白そうに聞いていた。
「なになに? あのおっさん、ゴネてるの?」
「Dランクでギリだって」
完全に悪目立ちをしている。
「す、すまん。取り乱したりしてみっともなかった……」
カラカラになった喉から声を絞り出し謝罪する。
俺が謝ったところで気まずい空気は変わらない。
「ダグラスには私たちギルドも感謝している。若い頃の貢献を忘れたわけではない。だからこそあんたが無駄死にするところを見たくないんだ。わかってくれ」
「……そうだな」
十五歳で故郷を離れてから、二十二年。
冒険一筋でやってきた。
他には能がない。
この道に人生を捧げた。
しかし俺がどれだけ執着したところで、この場所に留まっていることはもうできないのだ。
難関ダンジョンを有するため、数多の冒険者で賑わうこの街バルザック。
そんな大都会のギルドで一時はトップランカーだったのだ。
当時『傷目のダグラス』といえば名の知れた魔法剣士だった。
実を言うと半年前までは勇者パーティーに所属していた。
そのすべてが過去の栄光だ。
「……」
認めよう。
今が引き際なのだ。
「色々迷惑をかけてすまなかった……」
頭を下げて背を向けたその時――……。
「待て、ダグラス」
ギルドマスターに名前を呼ばれた俺は、情けないことにまだ少し期待してしまった。
引き留めてくれるのではないかと。
だが伝えられたのは無情な言葉だった。
「悪いがライセンスを剥奪されたものは、レンタル武器を返す決まりだ」
「あ、ああ……。そうだったな」
俺が使っているのはギルドから借りているレンタル武器だ。
昔はそれなりにいい武器を自前で持っていたのだが、生活が困窮し手放してしまった。
受付脇のレンタル武具店で返却の手続きを行う。
手元に残ったのは、安いナイフがひとつ。
いつもの手癖で柄を握りたくなった手が空を切る。
どうしようもない寂しさを覚えて熱くなった目元を、俺は指先でグッと押さえた。