4-4 これ絶対罠よ
早朝、宿の裏庭で鍛錬をする。
勇者様は、「なぜ宿には裏庭や中庭が必ずあるのかしら? 普通は無いわよね?」と言っていたが、宿屋は洗濯物も多い。干す場所が広くとられているのは自然なことだ。
本日からパトロン探しを開始するわけだが、まずは鍛錬。勇者様が寝ている間に終わらせておく、というわけだ。
軽く走った後の体は程よく温まっており、上半身裸で素振りをする。
勇者様が触れていた装備の一つ、剣がどう変化しているのかを知りたかった、というのもある。だが、特に変わったとは思えない。
重さも、長さも、握った感触も、自分には変化を感じられなかった。
もしかしたらだが、変われば慣れるまでに時間がかかると思い直し、触れただけに留めてくれたのかもしれない。
さすが勇者様だ。そういったことにも気付いてしまう。
おっと、感心している場合ではない。雑念を捨て、剣を振れ。
だがたまには、掃除を手伝えと蹴飛ばされたときを思い出し、感情を乗せることも大事だと兵士長が言っていた。ちなみに、兵士長の奥さんは超美人で常識人なので、たぶん悪いのは兵士長である。
無心で剣を振る、というのは難しい。だが、感情を乗せることは難しくない。
自身が追い詰められたときを、今後追い詰められるであろうときを想像し、剣を振ればいい。例えば……そう、オルベリアとかを思い浮かべてだ。
「死ねええええええええええええっ!」
……中々に気合の入った剣だった。ヘクトル様ほどではないが、かなり感情を籠められたと思う。
その後も死ね! くたばれ! 消えろ! と連呼しながら素振りをしていたら、当たり前のことだが、宿屋の親父に怒られた。胸の中で思うだけにした。
朝は涼しく、心地よい。一人で鍛錬をするのならば、早朝か夜に限る。
ただただ剣を振った。自分に才能があるからではない。今よりも強くなるためでもない。
これ以上
強くなっているのか、強くなっていないのか。厳密には分からないわけだが、弱くはなっていないと思う。
なぜかこの旅に同行してから、体が少しずつ軽くなっているように感じていた。
ただの勘違いなのか、環境が変わったことで、本当に強くなっているのか。
少し考えつつ素振りをしていると、声を掛けられた。
「おはよう、ラックスさん。早いのね」
「おはようございます、ミサキお嬢様」
もう一度だけ剣を振った後、勇者様を見て頭を下げる。
彼女はなぜか腕を組み、意味ありげに頷いた。
「上半身裸だからって動揺すると思った? わたしの世界では、男性の裸くらいググれば好きなだけ見れるのよ? だから、やっべぇ実は脱いだらすごい筋肉ついてるじゃない。ラックスさんは細マッチョだったのね、とか思っていないわ」
「は、はぁ、そうですか……?」
とりあえずなにが言いたいのかは分からなかったが、動揺しているということは分かった。
確かに、女性の前でこの姿は良くなかったと思う。それに男性の上半身が裸であれば、やはり動揺してくれるほうが慎み深い女性だと言えよう。
後、関係は無いが、自分は恥ずかしがってくれる女性のほうが好みである。
「《アクア》」
水の魔法で濡らした布で体を拭き、上着を着る。
「あぁ……」
「はい?」
「朝食の用意ができているって、宿屋の親父さんが言っていたわ」
「了解しました」
少し落ち込んだ声を出していた気もしたが、お腹が減っていたのかもしれない。女性からお腹が減った、とは中々言い辛いものだ。
「はー! お腹減ったわー!」
……勇者様はその限りではなかったようだった。
支度も整い、二人連れだって町中を進む。
新しい鎧。新しい槍、新しい剣、新しい盾、新しい鎖帷子。
誰だって新しい物を手に入れれば嬉しい。ニヤニヤしていると、勇者様が不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「勇者様にいただいた鎖帷子や、新しい装備が嬉しく、つい頬が緩んでしまいました」
「そこまで喜んでくれると、プレゼントした甲斐があったわ」
俺も笑顔、勇者様も笑顔。とても良い一日になりそうだ。
「最初の目的地は?」
「勇者様が仰っていた通り、サニスの町一の富豪。良い噂ばかりの人格者。クヤレラヤ家へ向かいます」
「すごく言いにくい家名ね……」
そう言われても、クヤレラヤという家名をつけたのは俺ではない。頑張ってクヤレラヤという名前を憶えてもらおう。どうせ断られそうだから忘れてもいいと思うが、クヤレラヤ家に向かうのだ。
町の中心から近い場所に大きな三階建ての屋敷。広い庭には噴水。これでもかというほどのお金持ち、クヤレラヤ家の前へ辿り着いた。
本来ならば鉄柵の門扉を押し開き、中へ入るべきだろう。なのだが……俺と勇者様は、足を止めていた。
眉根を寄せ、勇者様を見る。目の合った彼女は、笑顔のまま言った。
「これ絶対罠よ」
「同感です」
勇者様は眼鏡をクイッと押し上げ、口を開いた。
「まず、門番がいないわ。普通はいるわよね?」
「いますね」
「次に、この辺りに人がいない。町の中心近いのに、歩いている人すら見ない。明らかにおかしいわ」
「おかしいですね」
「さらに、あれよ」
指差した方向は、屋敷の玄関。
まだ随分先にあるが、なぜかそこは開かれていた。しかも手招きをするように、ギィギィと揺れている。風も吹いていないのに。
「では、ここで多数決を採ります。罠だと思う人―」
二人とも挙手したため、満場一致である。今、ここではなにかが起きているので入らない。当然の答えが出た。
「では、ピエールへ伝えに行きましょう。対処をしてくれるはずです」
「こういったイベントでは、大抵ヤバいやつが潜んでいるわ。町の人を逃がしておいたほうがいいかもしれないわね」
「でしたら、詰所の地下には避難場所があります。なんせ魔族と戦っていますからね。本土決戦になったときのことを考え、有事の際には備えております」
「戦争しているんだなぁ、という実感が、今さらながらに沸いたわ」
うへぇ、という顔をしている勇者様と共に詰所へ向かおうと歩き出す。
「……キャアアアアアアアアアアアアアアアアア」
「勇者様! 自分は屋敷の中へ入ります! 詰所へ援軍を呼びに行ってください!」
「待って待って! 絶対罠よ! 100%罠よ! なんなら命賭けるわ! 賭けないけど!」
自分を止めようとする勇者様の両肩を掴み、ハッキリと告げた。
「例え罠だと分かっていても、助けを求める声があれば行かないわけにはいかぬのです。自分は、王国の兵士。民を守ることが責務です」
「それ完全に死亡フラグだから!? ま、待ってよラックスさーん!」
俺は申し訳ないと心の中で謝罪をしつつ、十中八九どころか十中十は罠であろう屋敷の中へ入った。
『ダメだ! 逃げろ!』
妖精さんの声で足を止めたが、すぐに、また悲鳴が聞こえる。
「……キャアアアアアアアア」
二階だ。正面の階段を駆け上り、二階へ。廊下へ出て前後を見回した。
「キャアアアアアアア」
二階じゃなかった、三階だ。もう一度階段へ戻って上る。廊下を見れば、一つだけ少しだけ開かれており、光の漏れている扉があった。
「キャー」
間違いなくあそこだ。確信を持ち、扉を蹴り飛ばして中へ入る。中途半端に開いていたので邪魔だったからだ。
室内に入れば、部屋は天井まで真っ赤に染まっており……などということはない。ソファに一人、女性が腰かけているだけだった。
金色の片側だけ巻かれた髪。褐色の肌。背中の開けた赤いドレス。
見ているだけで、じわりと手に汗が滲んだ。
「追いついたわ! 無事ね、ラックスさん!」
来て欲しくなかった。だが、来てくれた。そんな勇者様の行動が嬉しくもあり、悲しくもある。
相反する感情のまま、勇者様の前に立つ。腰を下ろし、盾を強く握った。
ソファに腰かけている女性は、ゆっくりと顔だけをこちらへ動かす。
「まさか、本当にうまくいくとはねぇ。あいつの情報も使えるじゃなぁい」
左目には深い傷跡、右目には紫色の美しい瞳。
魔貴族が一人、オルベリア=アクアロールは、背筋が冷たくなるような笑みを浮かべていた。