2-8 つい本音を語った平兵士
息を整えようとして、すぐに無駄と気付く。この状況でなにをしようとも平静を保てるはずがない。
震えながら、枯れた声で魔法を唱えた。
「《サンドストーム》」
ただ砂を巻き上げるだけの魔法だ。
だがこれで、俺の周囲は視界が悪くなった。残り三発。
「《アイスフロア》」
氷の床を作る魔法。視界が悪いため、コブリンたちは気付かずに踏むだろう。すぐに割れてしまうだろうが、前のやつらは転ぶはずだ。残り二発。
「《アースホール》」
勇者様が作った穴に比べればちっぽけだが、膝を折れば、自分が入れるほどの大きさはある。残り一発。
その中へ入り、盾を剣で叩く。ガンガンと音が鳴り響いた。
こちらへ向けて駆けてくれよと、穴の中でただ願う。
耳が痛いほどの足音が、地面を揺らしながら迫りくる。怖い、としか言いようがない。震えに耐えながらも盾を叩き、今だ、と魔法を唱えた。
「《ストーンウォール》!」
穴を塞ぐように、石の壁で蓋をする。これで魔法は使い切った。
後は、石の蓋が壊れないことと、コブリンたちがさらに砂埃を大きくして、同士討ちしてくれることを祈るのみ。
騒がしい音、踏みつけられる石の蓋。壊れないでくれよと、震えながら盾で押さえる。十中八九死ぬだろう。だが、生き残る努力は最大限しなければならない。
ドンッと一際強い衝撃。ピキリ、と嫌な音が聞こえた。
頼む、頼む、頼む。
俺は押しつぶされてもいい。だが、時間だけは稼がせてくれ。王都の人々を、勇者様を傷つけないでくれ。
――この暗闇の中で、どれだけの時間を過ごしただろう。
まだ数分のような気もすれば、数時間にも思える。
だが音は止んでおり、揺れなどもない。
軍が来たのならば、戦闘音がするだろう。そうではないということは、だ。やつらはここを通り過ぎ、先へ行ってしまったのかもしれない。
時間は、稼げただろうか? 震えが止まらぬまま、石の蓋を退かして、恐る恐る顔を出した。
「こんにちはぁ」
突如として声をかけてきた美女は、金色の髪が右側だけ渦を巻いている。長い耳に、褐色の肌。赤いドレス。
だがなによりも特徴的だったのは、右目だけ紫色の瞳だったことだ。
紫とは、魔族を象徴するもの。しかし、それは血の色であり、瞳の色だけで判断することはできない。
女性が手を差し出し、握るかを悩む。
『逃げろ!』
妖精さんの声。だが動くよりも早く彼女は手を引っ込め、指をパチリと鳴らした。
……気付けば、宙を飛んでいた。
なにかに押し上げられるような感覚。その後、宙を舞っていた。
眼下に広がるのは、俺がいた穴を包囲するコブリンたちの群れ。まるで時間が停止したかのように、その場で動きを止めていた。なにはともあれ、時間稼ぎは成功したようだ。
しかし、これは助かる高さではない。任は果たせたが、命は守れなかった。
生き残れたと思った、また旅ができると。
だが、さすがにこれはどうしようもない。魔力も空っぽ。空を飛ぶ道具もない。妖精さんの忠告があったのに、俺は活かすことができなかった。
諦めの境地にあったのだが、ドボン、と水の中に落ちる。あり得ない状況の中、もがいて水上へと顔を出す。目の前には、先ほどの美女がいた。俺は四角い水の中に落ちたようだ。恐らく魔法だろう。
「……」
「さて、ここで問題よぉ? ワタシは誰でしょうかぁ?」
「……魔族」
「大正解! 即答だったわねぇ」
カラカラと女性が楽しそうに笑う。コブリンたちが言うことを聞いている時点で、魔族であることなんて分かり切っている。
魔族の女は、隣の家のお姉さんかと言わんばかりに親し気な笑みで、自己紹介をした。
「魔貴族にして魔王候補が一人。オルベリア=アクアロールよぉ。すぐにお別れだけど、よろしくねニンゲンさぁん」
……あぁ、吐きそうだ。魔族の中でも最上位である魔王に次ぐ実力者が魔貴族。
その一人が今、俺の目の前にいる。気分が優れないのも当然だろう。
顔だけ出している状態を脱しようと、少しずつ体を動かす。だが、どうやらこの四角い水の塊は、自分の動きに合わせてついてくるようだ。抜け出すことはできなかった。
「あなたの作戦、驚くほど良かったわぁ。上陸してからの穴で二割。さっきの砂埃からの引き付けで一割。合計三割もコブリンを失っちゃったわぁ」
「……」
ほとんど勇者様のお陰だけどなぁ!
だが、まだ七割残っているらしい。
そして、オルベリアはすぐに俺を殺すつもりではないようだ。もしそうなら、顔を出した時点で殺してはずだ。
ならば、話を続けて情報を引き出し、時間を稼ぐのが理想的である。
嘔吐感に堪えながら、声を絞り出す。
「コブリン、の、遺体、は」
「あぁ、ここで死んだやつらのことぉ? 邪魔だから消しちゃったわぁ」
「消し、た?」
「そう、こんな感じにねぇ」
オルベリアがパチリと指を弾く。同時に、一体のコブリンがドロドロに溶けて消えた。
格が違う、なんていうものではない。しかも、これ以上に強い魔王という存在がいるというのだから――待てよ?
少しばかり冷静さを取り戻したからか、この状態に慣れつつあるのか。
先ほどオルベリアが言っていたことを思い出し、聞いてみることにした。
「魔王候補……?」
「そう、魔王候補。この右目を見てぇ? とってもキレイでしょぉ?」
紫色の瞳を、子供が玩具を自慢するかのように、オルベリアは指差す。
確かに綺麗だ。その右目だけは認めてもいい。だが妙に心がざわつき眉根を寄せていると、オルベリアが肩を竦めた。
「魔王が蘇った、っていうのは本当なんだけどねぇ。ワタシたち、もう魔王ウィズヴィース様に従うのは嫌だったのよぉ。でも、ほら、ウィズヴィース様は強いでしょぉ?」
そりゃ強いだろう。魔王ウィズヴィースは、この世界で唯一魔王と呼ばれている存在だ。
一度、何者かが封印したとは聞いていたが、また復活することも予言されていた。
つまり、彼女たち魔貴族は、全員で反乱を起こしたのだろう。そして、魔王ウィズヴィースを打ち取った。こんなところか。
どうせなら相打って滅びちまえばよかったのに。そんな感想を抱いていると、オルベリアが、ニタァと笑った。
「だから、ワタシたちはねぇ。封印が解けた直後、まだ意識が目覚める前に襲い掛かり、ウィズヴィース様の体を解体して食べたのよぉ」
「……は?」
今、なんと言った? 食べた、って言ったのか?
オルベリアはなにが面白いのか、腹を抱えて笑いながら話を続ける。
「強い魔力を持った体よぉ? そして、魔族でもっとも美しいと言われた人よぉ? ……だから、食べたの。その魔力と、この右目を。見て? 美しいでしょぉ? ずっとずっと欲しかったぁ。このウィズヴィース様の、アメジストよりも美しい右目がぁ! 今ではワタシのものよぉ!」
――狂っている。
理解の範疇を超えた行動を、喜々とした表情でオルベリアは語っていた。
「そして、ワタシたちは決めたのよぉ。一つ功績を立てるたびに、体の一部を食らう権利を得る。失態を犯したものは、その美しい体と魔力を失う。……最終的に、全てを手に入れた者が、新たな魔王となる。そう、決めたのよぉ!」
「新た、な、魔王」
「分かるぅ? 分かるわよねぇ? 強い魔力もほしい、魔王にもなりたい。けど、それ以上に大事なことがあるわぁ。……食べ続けることで、ワタシはウィズヴィース様になるのよぉ!? この世でもっとも美しい存在に、いえ、もしかしたらそれ以上の存在にぃ!」
彼女はイカれた表情のまま、同意を求めてくる。ここは生き残ることを最優先に考え、機嫌をとるのが最善だろう。
俺はニッコリと笑い、彼女へ言った。
「右目は綺麗だが、それ以外の全てが醜いな」
「……は?」
「そのクソみたいな口で言葉を発するな。泥みたいに濁った左目を向けるな。吐き気がする、って言ってんだよ」
ふぅ、なんてことだろうか。とてもスッキリしたが、作戦失敗だ。どうしても耐えられなかった。
『くっくっくっ』
それが面白かったのか。珍しいことに妖精さんが、危険を知らせるのではなく、笑っていた。死ぬ前に、笑い声が聞くという貴重な体験ができたな。。
「……」
オルベリアはフラフラとした足取りで二、三歩離れた後……自らの手で左目を抉った。
「ア、ア、ア、ア、ア、アアアアアアアアアアアアアアアアア」
どうやら魔族ってのは、キレるとこうなるのかもしれない。ベーヴェもそうだった。
……しかし、死ぬ前に一矢報いた、と言ったところか。自分にしては上出来だ。
奇声を上げながら、こちらへ手を伸ばすオルベリア。どのような恐ろしい目に合うのか。
不思議と恐怖は感じず、妖精さんの助言も聞こえなかった。
「放てええええええええええええええええええええ!」
響く声に、顔を上げる。高台の上から放たれた矢と魔法が、コブリンの群れへ降り注ぐ。
王都からの軍だ。時間稼ぎは成功していた。
すぐ目の前までオルベリアの手は迫っていたのだが、彼女は怒りを潰すように握り締める。そして左目から血の涙を流しながら、俺に言った。
「コブリンで、遊んだのが、間違い、だった、わぁ。次、は、こんな、もんじゃ、済まさ、ない」
まぁ事実だろう。コブリンなんかを使わなければ、もっと簡単に戦果は挙げられた。
オルベリアは、俺の左目を指差す。
「それをもらうわぁ。ワタシの、新しい左目にする。楽には殺さない。この屈辱を、永遠に忘れぬよう、ここへ納めるのよぉ」
左目をもらう宣言だ。今、殺して奪えばいいのに、もっと苦しめたいらしい。なんとも効率が悪く、悪趣味なことだ。
彼女は背を向け、コブリンの群れの中へ消えて行く。コブリンたちは狂ったように軍への突撃を開始して、なにもできずに散っていった。
そして俺は、コブリンに狙われることもなく立ち尽くしている。オルベリアの命令で、狙わないように言われているのだろう。
「……魔王候補である魔貴族の、頭がおかしい女に左目を狙われた平兵士、か」
正直、頭が痛い。……だが今は、生あることに感謝しつつ、この雨あられと降って来る矢と魔法から逃げることにしよう。
盾や鎧があっても刺さるときは刺さるんです! どうか神様、運悪く刺さりませんように! と願いながら盾で頭を守りつつ、必死に逃走するのであった。