2-7 勇者の魔力
あの川を下り、上陸できる場所はここしかない。
緩やかなカーブを描き、流れも穏やか。広さも深さもあり、川岸も低く、簡単に降りられる。そんな好条件なのが、ここだった。
しかし、これからが問題だ。
我々の戦力は少なく、コブリンたちと戦えば太刀打ちできず、時間稼ぎなど数分もできない。
だが、我々に与えられた任務は、できる限りの時間稼ぎ。なにもできませんでした、では許されないのである。
馬車の荷台から、用意した木材を取り出す。
今回の指揮官である兵士長が、我々に指示を飛ばした。
「これを使って柵を作り、馬に乗った状態で矢を射かける。距離を取りつつ、王都ではない方向へ逃げ、うまく誘導しながら――」
「あの、ちょっといい?」
「ゆ、勇者様! ダメですって!」
兵士長が話しているところに割り込むなんて、規律が乱れてしまいます! と小声で注意をする。
だが兵士長は、快活に笑っていた。
「構わん構わん! で、どうしました勇者様? 作戦が甘いというのは自分でも分かってます。なにか良い方法があるなら、ぜひ教えてください」
「その、まずは謝罪をするわ。作戦にダメ出しをしようと思ったわけじゃないの。ごめんなさい」
「ハッハッハッ! 全然問題ありませんよ!」
器が広いなぁと、兵士長に敬意の念を抱く。勇者様もすごいが兵士長もすごい人だ。
勇者様は一つ咳払いをした後に、自分の考えを述べた。
「わたしには強い魔力があるから、《アースホール》を使って大量に穴を作るわ」
「……さすがにそれは勇者様でも難しいのではないか?」
「そうね。限界まで試したことはないから、絶対とは言えない。でも一助にはなるんじゃないかしら?」
「ですな! 採用いたします!」
即決である。兵士長の柔軟性に敬意の念を――。
上陸地点の左右は岩が乱立しており、整っている部分は少ない。まぁ正しくは、王都に荷物を届けるときに川を使うこともあるため、整えた部分なんだけどな。
ということで、コブリンたちも楽に通れる箇所を進むだろう。そして、そこを塞げば時間稼ぎになる。
勇者様は早速と、そこに魔法を放ち始めた。
「《アースホール》! 《アースホール》! もういっちょ《アースホール》! さらに《アースホール》! まだまだ《アースホール》!」
「「「……」」」
ドンドンと生産されていく穴。疲れの見えない勇者様。
「まさか、勇者様がここまでとは……」
兵士長が唖然とするもの当然だろう。なんせ、共に旅をしている俺だって唖然としていた。勇者様一人で何人分の働きになるのか、見当もつかない。
「あの、勇者様」
「次は穴の下に泥を敷き詰めるわ。そうすることで、出て来られなくなるわ」
「な、なにかお手伝いを」
「食事の用意をしてくれると嬉しいわね」
「りょ、了解いたしました」
どうやら俺にできることは食事の用意らしい。ならば、そちらに全力を尽くすのが男というものだ。
食料は十二分にある。精一杯のおもてなしをと、肉をたっぷり焼いて出した。
「少し休憩するわ。ふふふっ、罠を作るのって楽しいわね」
清々しい汗を掻き、眩しい笑顔を見せる勇者様。これはトラップを作りながら見せる笑顔ではないと思う。決して違うはずだ。
しかし、肉をおいしそうにムシャムシャと食べ、また作業に戻ってしまう。
女は肉よりも甘いものを好むんだぞ! と言っていた兵士長が、勇者様は肉も好きなんだな! と好感度を上げていたのが面白かった。
だが穴の準備が整えば、そこからさらに出にくくなるよう、柵を設置する。十分な量を持って来たつもりだったが、当然のように足りず、残りは魔法で石の壁を立てた。
残り魔法数は4。一日五発しか魔法を使えない貧弱な俺には、中々の痛手だった。
しかし、これで準備は万端。いや、予定よりも遥かにマシな状況になったと言える。特にあの勇者様が作った落とし穴だ。下がどうなっているのか、教えてくれないので分からないが、きっとすごいことになっているに違いない。
これならばいけるかもしれない。鼻息荒くしていると、兵の一人が声を上げた。
「遠目に氷の船団を確認! 数は……複数! コブリンはさらに多数!」
「細かい数は気にしないでいい! 全員馬に乗りこめ!」
当初の予定通り、馬に乗り込む。後は矢を射かけつつ距離をとり、時間を稼ぐ。それすら厳しくなったら、諦めて逃げる。大丈夫、間違いなく成功するはずだ。
馬に乗り込み、後ろに勇者様も乗る。すぐにぺたりと張り付いて来たところから、落下したときのことは、余程のトラウマになっているのだろう。
「しっかり掴まっていてくださいね」
「……えぇ」
そして、コブリンたちへの時間稼ぎが開始された。
一人は軍への伝令へ向かったため、残る人員は勇者様を除けば十人。兵士長以外はベテランとは言えず、まだ一年目の新米も混ざっていた。
この中では、俺は中堅になってしまうかもしれない。新米に恥ずかしいところを見せぬよう、頑張らなければならない。
氷の船が岸に到着して、コブリンたちが降り立つ。氷は水に浮くものだが、あれだけの人数を乗せられるものだろうか? なにか仕掛けがあるのかもしれない。
コブリンたちは当然というか、真っ直ぐに走りやすい道を駆けだす。先に見えている自分たちを視野に入れ、襲い掛かるために。
最前列を走っていたコブリンたちが、スッと姿を消す。そして後ろに続いていたものたちも、同じように消えて行った。
「よし! 成功だな!」
「狙い通りですよ! ミサキお嬢様!」
「……バッチリね」
緊張しているのか、勇者様の声に覇気がない。
だが今は追撃するべきだと、我々は矢を射かける。狙いなどつける必要もない。あれだけの群れだ。届きさえすれば、どれかに当たる。
その考えは正しかったらしく、矢は次々とコブリンを射抜いた。簡単すぎて、笑みが浮かんでいるものすらいた。
しかし、俺たちはコブリンというものを甘く見ていたようだ。思っていたよりも、頭が良かったということではない。思っていた以上に、やつらは頭が悪かった。
最初に気付いたのは、兵士長だった。
「なっ……撤退! 急ぎ撤退するぞ! ピルーペ! お前は伝令に走れ! 時間稼ぎは想定ほどの効果を発揮できなかった、と伝えろ!」
「なにを言っているのですか! 勇者様の策はうまくいっており、まだまだ時間が稼げます! 伝令など必要ありません!」
新兵ほど、うまくいっているときに昂揚してしまうものだ。己を律することよりも、興奮が勝ってしまい、制御ができない。
数年の兵士生活を経ている俺には、兵士長の焦りが分かっていた。
「ピルーペ。いいから早く逃げろ。一番若いやつから逃がす、というのが決まりだ」
「ラックスさんまで!? 見てくださいよ! 逃げる必要なんて――」
「まだ分からんのか! さっさと行け! 命令だ!」
「……え?」
ピルーペは目を細めた後、これ以上ないほどに見開いた。
「ま、まさかあいつら……
「そうだな、我が国ではあり得ない。だが、過去の戦争では、人も同じことをしたと記録されている。……これは実戦だ! 分かったらさっさと行かんか!」
「っ!? ピルーペ! 急ぎ、本隊に伝令へ向かいます!」
ようやく事態を理解したピルーペがこの場を去り、自分たちは撤退を始める。すでに柵の一部分は破壊されており、コブリンたちは侵攻を始めていた。
「並べ並べ! 射かけるぞ! ……ってー! 確認は必要ない! 即時移動を開始しろ!」
打っては逃げ、打っては逃げ。なによりも距離を保つことを優先しながら、あまり効果の無い攻撃を続ける。
ダメだ、このままでは。
そんなことは俺でも分かっていることであり、兵士長ならば余計だろう。
どうにかする方法は……ある。
俺はやるべきだと判断をして、仲間だと言ってくれた少女へ声をかけた。
「ミサキお嬢様! 我々で時間稼ぎ、を」
「……はぁ……はぁ……」
「お嬢様……?」
額には大粒の汗。勇者様の風邪にも似た症状は、大量の魔力を失ったとき、一時的に現れるものに酷似していた。
そうではない。現実を見ろ。
勇者の魔力は膨大だが、無限ではない。彼女は今、満身創痍となっており、すでに戦える状況ではない。間違いなく、魔力が足りていないのだ。
一度深呼吸をし、兵士長へ馬を寄せる。
「兵士長、よろしいでしょうか」
「言ってみろ」
「この中で一番足が速いのはアルフェです」
「うむ、そうだな」
「弓の扱いがうまいのはプルラドです」
「……うむ」
「剣の――盾の――」
皆の一番優れている点を上げ続ける。そのたびに、兵士長の顔が渋くなっていった。恐らく、俺がなにを言おうとしているのかを察してくれたのだろう。
「そして、この中で一番生き残る確率が高いのは、兵士長であると思われます」
「……あぁ、そうだ、その通りだ。分かっている、分かっているが、それ以上は言わないでくれ。なぁ、頼む。頼むからやめてくれ、ラックス。……我々は、確かに便利屋扱いしていた。だがそれは――」
「分かっています」
兵士長の言葉を遮り、笑みを浮かべた。
俺が馬を止め、兵士長も馬を止める。勇者様を馬に括り付け、手綱を兵士長に預けた。
「皆を連れて帰れるのは兵士長だけです。そして、この中で二番目に生き残る確率が高いのは、間違いなく自分であります」
「ラックス!」
「ご決断を、兵士長」
自分は意見を具申した。しかし、決定権があるわけではない。あくまで決めるのは、この場で最も位の高い兵士長である。
彼は拳を強く握り、振り上げた後……ゆっくりと下ろした。
「ラックス=スタンダード」
「ハッ」
「策はあるのか」
「もちろんです。一時間とは言いませんが、十分は稼いでみせます。じゅっぷんだけに、じゅうぶんでしょう」
「そのくだらない冗談の説教は、十分では終わらんぞ。……だから、生きて帰れ」
「ありがとうございます。……彼女のことはよろしくお願いいたします。それと、いつかまた共に旅を、とお伝えください」
「分かった、必ず伝える。そして、この命に代えても守り抜くと誓おう」
俺が深々と頭を下げるのを見て、兵士長たちが移動を再開する。ゆっくりと顔を上げれば、彼らの姿はすでに小さくなっていた。
では、と振り向く。
見渡す限りのコブリンの波が、こちらを飲み込む濁流に見えた。