はじめに・ご挨拶
はじめまして。多くのプロジェクトが存在する中、このページにお立ち寄り頂き、ありがとうございます。
「困難に負けず牡蠣養殖を続ける漁師のじいちゃんに恩返ししたい!!」発起人の友野と申します。
病気(双極性障害Ⅱ型)からのリハビリを兼ねて「のんびりした所で暮らしてみたい」と思い、瀬戸内海に浮かぶ北木島に移住したのが4年前。当座の生活のため、現地で牡蠣養殖を手掛ける漁師の藤井さんご一家の仕事を手伝っていました。
先輩移住者さんの手引きがあったとはいえ、漁師さんの手伝いという未経験の分野に飛び込むのは勇気が要りました。
冷たい隙間風が吹き抜ける加工場の中、ある人は故国で応援してくれている家族のために、ある人は進学し島を出ていく娘のために、手がかじかむような寒さにも負けずに働いています。
最初に担当したのは、牡蠣殻についたフジツボを機械で除去していく仕事。暖房のない作業場なので、長靴にカイロを仕込んでいなければ足先が冷え切ってしまいます。1日の仕事を終えた後には両肩がカチカチに凝り固まり、何度もバンテリンやサロンパスの世話になりました。
取り替えたばかりのゴム手袋も、2・3日すれば穴が開き、冷たい水がじわじわと侵入。手指も荒れ放題で、クリームを何度塗ってもケアしきれません。カサつきひび割れた指先は摩擦力をすっかり失い、買い物の際に財布から紙幣を出すのも、ポリ袋の口を開けるのもままならないといった具合です。
イカダでの作業はさらに過酷です。場合によっては夜が明ける前に出港。少々の波風で船が揺れるのはお構いなしに漕ぎ出し、時には氷点下まで冷える海水の中に手を突っ込み、牡蠣の育ったロープを引っ張って水揚げします。僕は加工場での勤務中心だったおかげで、厳冬期のイカダ作業に駆り出されることはありませんでしたが、過酷な最前線で体を張ってくれた仕事仲間には敬意と感謝の念が絶えません。
その後は仕事ぶりを評価して頂けたのか、出荷担当も拝命。発送予約の確認や在庫の確認など、現場と事務所をつなぐ役として動き回りました。出荷用の牡蠣が入ったカゴ(重量15~20kg)の上げ下ろしを何度もこなしたおかげで、背筋も伸び腕も太くなりました(体重が5kg増えたけど、付いたのは筋肉だと信じたい……^^;)。
冬場の出荷を3シーズンお手伝いし、 牡蠣工場の従業員さんや島の人たちにも可愛がってもらえるまでになりましたが、現在は仕事を離れて休養中。服薬治療の傍ら、島での新聞配達・観光施設の受け付けなど、簡単な仕事をしながらコンディション調整をしています。(おかげさまで、経過は良好です)
テンションと活力が異常に上がる躁状態・反動で何もできなくなる鬱状態を繰り返す病気です。服薬や運動などで、症状の軽量化・再発防止を狙います。画像は「いらすとや」さんから引用。
おおらかな空気が流れる北木島ですが、ここにもコロナ禍の影響が降りかかって来ています。
魚介類の需要減と、それに伴う出荷価格の低迷。親方が手掛ける牡蠣も例外ではなく、最高に身入りが良くなる2月・3月を前に、販売は苦戦を強いられています。
この現状を何とかしたい!
そんな思いに押されて、プロジェクトを立ち上げました。
藤井家 牡蠣養殖の歴史
「島に帰ってきた良和のために、何か仕事を作ってやらんとな」
牡蠣養殖のきっかけとなったのは、息子を心配する幸男さんの親心でした。
大学を出てサラリーマンをしていた、次男の良和(りょうわ)さん。
病気を患い、退職して島に帰ってきたところ、幸男さんの助力もあって、牡蠣の養殖を始めます。
イカダ1台からのスタート。養殖事業が早く軌道に乗るようにと、幸男さんや奥さんを筆頭に、親族の方々も手伝い始めます。
携帯電話で注文を取り、眠い目をこすりながら伝票処理を行う良和さん。取引先もイカダの数も増えてきた中、悲劇が起こります。
軽トラックで資材を運んでいた良和さんが突然のてんかん発作を起こし、車は道路横の壁に激突。事故の衝撃に見舞われた良和さんは、そのまま帰らぬ人となってしまいます。
余りにも突然の出来事でした。
いきなりの訃報に、藤井さん一家にも動揺が走ります。
「責任者が亡くなった以上、牡蠣の事業を廃業しては」という意見も出ましたが、「良和が育てた事業を潰すのは忍びない」と、兄の和平(かずひら)さんが手を挙げ、自らが親方となって牡蠣養殖を引き継ぐ事になりました。
その後、和平さんの息子・勇人さんが高校を卒業し、家業に合流します(本人曰く、「小学生の頃からイカダの上を歩き回っていた」漁師っ子。現在は定置網漁の傍ら、牡蠣養殖も手伝っています)。
(喜多嬉かき(きたきかき:Lサイズ)を軸に、ひながき(M)、美海がき(みうがき:LL)の3サイズを展開)
屋号を良和さん時代の「マルヨシ水産」から「勇和水産」に変え、「めでたい祝いの席で使ってほしい」との思いから「喜多嬉かき」と新たに名付け販路拡大に取り組み始めた2018年の夏ーー
近隣地域を大水害が襲います。(西日本豪雨災害)朝日新聞「西日本豪雨に関するトピックス」より
北木島の海岸にも、巨大な流木やドラム缶が漂着。
そして、急に大量の土砂が流れ込んだ事により、周辺海域に赤潮が発生。
普段の綺麗な海はそこには無く、濁った海面には魚が腹を浮かべて死に絶え、腐臭が何日も海岸まで漂う地獄絵図となりました。
北木島の牡蠣も難を逃れることはできず、8割が死ぬ大損害を受けました。
海の透明度が元に戻って迎えた出荷シーズン。幸いなことに、無事だった牡蠣は身入りの良さと味を評価され、高級レストランのメニューに採用されるという嬉しい出来事もありました。
そして現在、北木島の牡蠣は、コロナショックという新たな危機に直面しています。
飲食店の営業自粛などで、業務用の出荷が低迷。身入りが良くなり最高の状態を味わえるシーズン到来を前に、現在も多くの牡蠣が販売先を見つけられずにいます。
美味しさのヒミツ
白状しますと、実は僕、北木島に移住するまで牡蠣が食べれませんでした(貝類の生臭みが苦手)m(_ _)m
食べれるようになったきっかけは、加工場の休憩時間に仕事仲間のおじさんが特大の牡蠣を剥いてくれたこと。
「ほれ、食うてみぃ」
と差し出された牡蠣を、「実は苦手で…」と断るのも気が引け、思い切って食べてみたところ、まったく臭みもないので抵抗なく食べることができて驚きました。
「牡蠣って、ホントはこんな味だったんだ……」
北木島周辺の海は「ボラが刺身で食べられる」ほどに綺麗で、周りに大きな河川もなく、過疎地ゆえに生活排水の汚れもありません。「水が綺麗=栄養分が少ない」という特徴でもあるので、成長スピードは遅くなりますが、すんなりと食べられる生臭みの無い牡蠣へと育ちます。
波の穏やかな湾内に浮かぶイカダ。ここで牡蠣は育つ。
そしてこれからの時期に、牡蠣はベストシーズンを迎えます。
出荷の前に1個1個機械で計量し、身のしっかり詰まった個体を選び出します。
殻の縁ギリギリまでプリップリの柔らかな身が詰まった牡蠣。蒸してよし、焼いてよし。クセのない食べやすさから「もう1個」とついつい食が進んでしまう逸品です。
日本酒ライター・市田真紀さんによる食レポはこちら。弾ける大粒、あふれる旨味。清浄な海域で大切に育てられた北木島のブランド牡蠣「喜多嬉かき」
リターンのご紹介
お礼のメール
ご支援いただいた方に、お礼のメールを送らせて頂きます。
1000円となっておりますが、お気持ち分を上乗せ頂くことも可能です。大事に使わせて頂きます。
ひながき・喜多嬉かき
メインのリターンとして、ひながき(Mサイズ:1個あたり60g~79g)と喜多嬉かき(Lサイズ:1個あたり80g~99g )をご用意しました。
Mサイズ(60~79g)1.5kg入り 1箱に22個前後入っています。
(※箱のサイズの都合上、レンジ加熱用パック・橙は同梱しません。ご了承ください。)
Mサイズ(60~79g)3kg入り 1箱に45個前後入っています。
Mサイズ(60~79g)5kg入り 1箱に72個前後入っています。
Lサイズ(80~99g)3kg入り 1箱に33個前後入っています。
Lサイズ(80~99g)5kg入り 1箱に55個前後入っています。
各種牡蠣共通の注意書き
・支援金額には、商品代金・送料が含まれます。
・消費期限は加工場発送日から4日後までです(例:1日に発送→5日が消費期限)。
・到着後は冷蔵庫の中など低温の場所で保管し、必ず加熱してお召し上がりください。
・同梱品は、パンフレット・保冷剤・レンジ加熱用パック・橙です。(橙は季節ものなので、時期によりお付けできない場合があります)
・サイズ・kg数・注文個数のお間違えの無いようお選びください
・発送日調整などで連絡が取れるよう、メールアドレスのご記入にご協力をお願いします。
・お届け希望日・時間帯のある方は、備考欄にてお知らせください。可能な限りご希望に添わせて頂きます。
資金の使い道・スケジュール
皆さまからの支援金は、
・システム利用料・手数料
・各種リターン品の代金・送料
・企画の宣伝費
・関係者への謝礼
に充当させて頂きます。
牡蠣、お礼のメールは、プロジェクト終了後の3月1日以降、順次発送・送信させて頂きます。
(牡蠣の生育状況によりましては、予定日より遅れての発想となる可能性もあります。あらかじめご了承ください。)
最後に
春霞の煙る穏やかに晴れたある日、イカダへと向かう船の中で、初めての冬シーズンを終えてホッとしている僕を横に従え、幸男さんが時間つぶしを兼ねて自らの生い立ちを話してくれました。
・中学を出てすぐに、島の採石場で働き始めたこと
・雨が降らない限り、土日も関係なしに屋外で石を切り出す過酷な労働環境だったこと
・作業時に発生する石粉(いしこ:砕けて粉状になった岩石片)を吸い込み、肺を悪くする労働者が相次いだこと
・「長く務める場所じゃない」と見切りを付け、島を出て神戸でトラック運転手の職に就いたこと
・北木島出身の奥さんと出会い、結婚したこと
・時代は高度経済成長期。昼夜の別なく働き、給料もかなりの額に上ったこと
(「ボーナスをもらっても、右から左ですぐに実家に仕送りしちゃうんだから。ウチに残ったためしが無いわよ」と、奥さんが苦笑しながら話してくれたのは、もっと後の話)
・見限るように出て行った故郷だが、家を継ぐために渋々帰ってきたこと
・石材業か漁業かの2択しかない北木島。「石の仕事には就きたくないから」という理由で、消去法的に漁業を始めたこと
・「網を入れる場所を変えるだけで、水揚げ量もずいぶんと変わるもんだ」と、漁業に創意工夫の楽しさを見出したこと
(「まだ製氷設備が無く、魚を氷締めにして出荷できなかった(良い値で売れない)頃の北木島で、「市場に卸すよりも稼いでやろう」と観光底引き網漁船も操業。「おじさん、わざと魚のいないところに網を入れてないかい?」と難癖をつけてくる客をなだめた」、というエピソードも後に聞かせてもらいました。「無骨な性格の漁師さんが多い中、どおりで幸男さんは客あしらいが上手なはずだ」と納得)
「このお爺さんの人生、面白い!」
苦労話もちらほらあるので、「面白い」と思うのは不謹慎かもしれませんが、興味を抱いたのは事実です。
牡蠣の出荷シーズンが終わった後も、僕は親方の下で働くことになり、そこでさらに幸男さんの「パワフル爺さん」ぶりを目の当たりにする事になります。
・夏は夕方から深夜まで自身の漁船で操業。仮眠の後、朝の4時に港に集合し、昼過ぎまでイカダでの作業や定置網の撤去作業に加わったり。
牡蠣の稚貝が付いたホタテの貝殻をロープに組み込み、20本を1束にしてイカダに仮置きする
25mプールと同程度の広さのイカダに、仮置きしていたロープを均等に割り振る。その数、イカダ1台につき約2000本。揺れるイカダの上にしゃがんでの作業は、かなりの重労働。・島にやってきたばかりのベトナム人実習生に、イケナイ言葉を教えたり。
爺「なんじゃお前ら、わけの分からん言葉ばかり喋りおって! 『チ○チ○勃ってる』って言えるか?言うてみぃ!」
べ「チ○チ○タッテル~」
爺「おう、そうじゃ!!」
僕「(……もう滅茶苦茶だよ)┐(´~`)┌ 」
(その数か月後、イカダへ往復する船の中では放送禁止用語が飛び交う事態に。「下ネタは年齢も国境も越える」。バカバカしいけど愛すべき温かな雰囲気が、船内にはありました)
イカダでの作業を終え、帰港するところ。じいちゃんと実習生は、すっかり仲良しに。
・少しでも食費を節約したいベトナム人実習生のために、休日返上で彼らを車に乗せ、隣町の激安スーパーまで買い出しに出かけたり。
・正月イベントの準備のため、元日に牡蠣加工場へ自主的に出向いた時には、「おう、友野、お前も仕事か? 設備が止まってるこんな日でもなけりゃ、ゆっくり直せんからなぁ」と、ポンプの配管点検をする幸男さんに出くわしたり。
・僕が機材を壊した時でも、「ケガは無かったか?機械は壊れても簡単に直せるが、人の体はそうはいかんからのぅ」と怒るより先に気遣ってくれたり
・実習生が帰国する際、本土の港まで送った後、帰りの船の中で涙を流したり
パワフルで働き者で、時に(しょっちゅう?)短気で、おバカでひょうきんで、漢気があって、人情があって、涙もろくて……
仕事仲間や島の人たち実習生たちから、尊敬され、愛され、たまに呆れられる、人間味あふれるじいちゃんの姿がありました。
幸男さん本人は、「家族のために金を稼がんと。そう思ってやってきただけじゃ。何も大した事なんぞ、しとりゃせんぞ」と謙遜するかもしれません。
だけど、幸男さんが船の上で自身の半生を語ってくれた時に、島の人たちから幸男さんの評判を聞く時に、仕事ぶりを間近で見せてくれる時に、ベトナム人実習生たちとバカ騒ぎしてる時に、皮が鋼のように分厚くゴツゴツになった手を見る時に、僕は考えるのです。「人として大切な生き方とは何か」と。
牡蠣の親方業が次男から長男に移った後も、幸男さんは現場の第一線に立ち続けてくれています。
朝の4時から準備にかかり、船でイカダへ往復し、大胆かつ正確なハンドルとアクセル捌きでフォークリフトを乗り回し、休憩時間にはコーヒーマグを片手に実習生とボケやツッコミの応酬を楽しむ……そんなじいちゃんの姿が、明日もあることでしょう。
訳あって牡蠣工場を離れた身。「コロナ禍で販売が伸び悩む中、何か力になれないか」と思ってこのプロジェクトを立ち上げましたが、一番の原動力となったのが、じいちゃんこと幸男さんの仕事に対する姿勢でした。
じいちゃん達の努力の結晶である牡蠣と、それに込められた思い。皆さんに届き、味わって頂けるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。
「美味しかったよ」というお便りをもらって、じいちゃんや加工場の皆さんが笑顔になる日が来てくれれば良いな、と思っています。
ご支援頂けましたら幸いです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
プロジェクト発起人 友野雅天
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
リターン品の生産・発送は「勇和水産」様にご協力いただきます。
勇和水産 https://www.kitaki-kaki.com
〒714-0301 岡山県笠岡市北木島町6631-23
TEL・FAX 0865-68-3751(対応時間:9時~16時 土曜日定休)
E-mail info@kitaki-kaki.com
プロジェクト発起人
友野雅天(本名:友野雅典)
〒714-0301 岡山県笠岡市北木島町7863
TEL 090-3873-8523
E-mail yadian2004@gmail.com