プロローグ 「ハロー、ハッピーワールド!」
それは星の記憶からみれば遥かに短く、瞬きをする間に過ぎ去るような時間であっただろう。
私が故郷を訪れ、そして
私は今日から、新しい環境での生活を始める。
この半年間、色々なことがあった。
花咲川女子学園への入試は問題なく通過し、特待生としての待遇を受けることができた。これは私が努力し、自分の力によって勝ち取ったものだ。超能力による不正など、これっぽっちも考えていない。そんな後ろめたい方法を使って、あの街に帰りたいと思えないから。
それまで敬遠していた人付き合いもある程度は改善し、それなりに会話も増えた。友達…………は、どうなんだろうか。クラスメイト達は友達と呼べるのだろうか。
いや、勘違いしないでほしい。私が極端に冷淡だとか、そういうことではない。長い間孤独に生きてきたせいか、友達という存在へのハードルがやけに高いのだ。具体的には、私の秘密を打ち明けられるくらいに親密じゃないと、友達として認識できるのか怪しいくらいに。
…………うん、まぁ。結局のところ、胸を張って友達と呼べるような存在は一人しかいないのだ。悲しいことに、そして…………不謹慎だが、喜ばしいことに。
あの子とはあの夏以降、直接出会うような事はなかったけど…………それでも、連絡は欠かさないようにしている。あの子は毎日が楽しくて仕方がないようだから、もしかしたら私のことなんてすぐ忘れてしまうのではないかと…………そう思うこともあったけど、結論から言えばそれは杞憂だった。
っていうか、なんかもう、逆にビックリするくらいよく連絡をしてくれた。大体はその日あった楽しいことだとか、見つけた綺麗なものだとかの話で、喋り続けるのはいつもあの子。私は基本的に聞き役だ。
たまに…………私の事を、ちゃんと笑って過ごせているかを聞いてくることがあるけれど。そういう時は私も、自分が体験した事を面白おかしく伝えている。
まぁ、あの子ほど楽しそうに語れている気がしないし、そもそも私自身が喋る事を苦手としているから、ちゃんと伝わっているか分からないけど。それでも…………あの子は私の話を、まるで自分のことのように嬉しそうに聞いてくれる。それが妙に心地よくて、ついつい長話をしてしまう事が多い。
お互いに自分の生活があるから、会話ができるのはいつも夜だけど。
「こっちは星が綺麗に見えます。あなたの方はどうですか」なんて、少しだけ大人びたことを言えるから、それはそれで嫌いじゃない。
…………本当は、毎日でも顔を合わせて話をしたかった。
私にはそれを実現できる力があるし、彼女にはそれを可能とする行動力がある。きっと、私が一言でもそれを望めば、彼女は喜んで私に出会ってくれることだろう。
でも、それは友情じゃない。依存だ。
何を今更、既に手遅れだろう、と。私の心の弱い部分が、毎日のように囁いてくる。でも、だからといってあの子に甘えていい理由にはならない。
だって、私はあの子の友達でいたいのだ。
私は彼女に友情を向けていたいし、それと同じくらい、彼女から友情を向けられていたい。
だから、もしも。
彼女から私へと向けられる感情。そこに少しでも、ほんのちょっとでも、憐れみや、同情の色が混ざってしまったのなら。
私はきっと、自分のこの気持ちを抑えていられる自信がなくなってしまう。彼女の広大な心の海に溺れて、どこまでも深く沈んで、そして消えてしまうだろう。
だから私から「会いたい」と伝えたことはない。世間知らずであっても愚蒙ではない、変に鋭くて聡明な彼女のことだから、そのことを理解して、私に歩幅を合わせて接してくれている。それはまるで、対等に付き合おうとしてくれているみたいで。その心遣いが、私にはとても嬉しかった。
そういうところが私を夢中にさせるんだということは、分かっていないんだろうけど。
でも、やっぱり、会えないことを寂しいと感じる私もいるわけで。それはきまって、星が綺麗に輝く夜で。
そういう時はいつも、あの子と出会った日に見た星空のことを思い出しながら眠りにつく。
黒一色の世界に煌めいた、無数の星の輝きと。それを覆い隠すように広がった、金色のカーテンが、私の弱さを優しく包み込んでくれる。
我ながら女々しいとは思うけど、そんな人間らしいことを考えながら生きていけることに、感動を覚えたりもする。
それもこれも、全部全部…………あの子が私に贈ってくれたものだから。だから私は、この日を心待ちにしていた。あぁ、やっとだ。
────
☆ ☆ ☆
電車に揺られて、目が覚めた。
携帯の時計機能で時間を確認すると、ちょうど目的の駅に着く予定時刻の十分前だった。画面の電源を落とし、ポケットの中へと戻す。
目覚めたばかりの頭では深く物事を考える事ができなくて、肩肘を窓際の淵にかけ、何の気なしに外の景色を眺めた。そのまま、流れていく時に身をまかせる。
空調から流れてくる風が頬へとあたり、髪留めで止めた前髪を撫でるようにして消えていった。
放心している、というのだろうか。
今の自分にどことなく現実味がなくて、ついつい微睡みに飲み込まれそうになる。
この日をあれほど待ちわびていたというのに、いざその時が迫ってくるとどうすればいいのか分からなくなってしまうなんて。緊張しているのか、それとも落ち着きすぎているのか。
今日のために、沢山の準備をしてきた。
自分で似合わないと思いながらも可愛い服に身を包んで、贈り物も用意した。再開した時になんと言うのかも考えたし、金持ちであろうあの子の役に立つかは分からないけど、引き出せるだけの現金も用意した。
何かあった時、では遅いから。それまでまともに向き合っていなかった超能力の訓練も欠かさずこなしてきた。
必要ないとは思ったけど、筋肉がつきすぎない程度に体を鍛えもした。いや、ほんと素でポテンシャルが高いから必要だったかは疑問だけど。でも、あの子が飛びかかってきた時に出来るだけ優しく抱きとめたいし、一応、ね。
綺麗な笑顔が作れるように、表情筋のマッサージとかも試してみた。クラスメイト達が揃って「明るくなった」と言ってくるくらいには、日常から笑って過ごすようにした。
だって、いざあの子と会うって時に下手くそな笑顔を見せたくないし。それでも彼女は素敵だと言ってくれるかもしれないけど。できればあの子の目の前では、一番綺麗な私でいたい、なんて。
あぁ、認めたくないけども。
私ってば寝ても覚めても、あの子のことばかり考えているんだ。まるで、恋する乙女みたいじゃないか。本当に似合わない、笑ってしまいそうだ。
ある程度距離を取れば、この執着じみた想いも薄れるんじゃないかって思っていた。実際は、真逆の結果になってしまったけど。
声を聞くたび、星を見上げるたび、夢に見るたび、恋しくなった。それは歯止めがきかない感情で、誰かを想うって…………こんなにも、幸せな気持ちになれるんだと。
まだ、それがちょっと怖いけど。
この半年間で、嫌という程思い知らされた。私はもう十分、弦巻こころという輝きに魅入られてしまっているって。
だからもう、仕方がないと思うことにした。
これは運命だったんだと。この出会いが、私のこれまでの人生の意味そのものだったんだと。一度そう思ってしまえば、妙に納得できてしまえて。心につっかえていた色々な、抵抗感とか、そういったものが纏めて消え去って、目の前が明るくなった気がした。
陽の当たらぬ場所から、陽の元へと。
私が一人思い悩んでいたことは、実はすごく簡単なことだった。それこそ、日陰から日向へと飛び出るだけで解決してしまうような。そんな、それだけのことが。一人でいた頃はあんなにも、難しいことのように感じられて。
だからやっぱり、凄いことなんだよ。弦巻こころは、間違いなく凄い奴なんだ。
…………はは、私、何考えてるんだろ。熱に浮かされているのかな。まだ、肌寒いくらいなのに。
顔が熱くて、胸の中が暖かい。
…………思い出したよ。思い、出せたよ。
これが、この気持ちが、人を好きになる事なんだって。
こんなにも心地よくて、こんなにも暖かくて。そしてほんのりとだけど、切ないんだ。
『次は、◯◯ーー』
あの日と同じアナウンスを、あの日とは全く違う気持ちで聞いている。荷物は全て住居へと送ってあるから、身につけているものは少ない。
財布と、携帯と、それと帽子だけ。
あれから人の目を見ることへの抵抗はなくなったけれど、それでも帽子だけは被り続けている。
力を理性で抑える訓練を経て、私は必要がなくなった前髪をバッサリと切り揃えた。二つの意味で視界が広がって、なんだか世界が変わって見えた。
だけど、慣れ親しんだ帽子だけは手放せなかった。こう…………何か被っていないと落ち着かないんだ。それに視界を遮るものが完全になくなってしまったら、私はきっと、あの子の顔から目が離せなくなってしまうだろうから。
思っていたよりも遥かに赤面症だった私の羞恥心も、隠してくれるわけだし。
空気の抜けるような音とともに、ドアが開く。
一歩足を前へと差し出す。まだまだ冷たい風が、優しく私の体を打ち付けた。だけどその冷たさを感じることはなく、私の周囲だけは心地よい温度が保たれている。ともすれば、今すぐにでも眠ってしまいそうなほど快適だ。
駅に────私の街へと、足を踏み出した。
ただいま、帰ってきたよ。私の大切な人が、楽しい毎日を過ごしている場所。
☆ ☆ ☆
「────────みさきっ!」
改札を出た途端、体に衝撃が走った。
ずっと、聞きたかった声だ。
毎晩聞いているはずなのに、毎日話しているはずなのに。それなのに、その声を聞いただけで。私の視界がボヤけそうになる。
涙は見られる前に、念動力で吹き飛ばした。
鮮明になった視界を下へと向ければ、私の胸元へと抱きついている誰かさんの、綺麗な頭頂部がよく見えた。
彼女は私の背中に両手を回して抱きしめた姿勢のまま、顔だけを上へと向ける。この体勢は、上目遣いといっていいのだろうか。
それがあまりにも眩しかったから、正面へと目をそらす。遠くの影からこちらを見守っている黒服の人たちと、目があった。気まずくて、もう一度下へと顔を向ける。
彼女だ。私の大切な友達が、私の腕の中に入り込んでいる。
言いたいことは、沢山あったのに。言うべきことも、たぶん、あったはずなのに。
彼女のどこまでも澄んだ瞳と目が合っただけで、その全てが思考から消え去ってしまった。言葉が、出てこない。
ズルイじゃないか。だって、きっと、私だけだ。私だけがこんなにも、胸の音を大きくしているんだ。
こんな、ちょっとしたスキンシップで。再開に感極まって、勢いでハグをされただけなのに。なのに、なのに!
なにか、言わないと。
そう思って開いた口は、掠れた呼吸音を繰り返すばかりで。そんな不甲斐ない自分に、目の前が真っ白になりそうだった。
あぁ、なんて言えばいいんだ。
久しぶり? 毎晩会話していたのに、変に思われないだろうか。また会えたね? そりゃ、それが目的なんだから当たり前だろう。
思考が坩堝に陥り、同じような問いと答えを繰り返す。目が回ってきた。呼吸って、いつもどうしてたんだっけ。さっきまで寝ていたけど、口臭くないよね。
えっと、それと、それから、あぁ、そうか、言いたい言葉が溢れて選べないんだ。こんなにも沢山の気持ちが、私の中で、心の中で、隠れていたなんて、だから────。
彼女と、視線がぶつかる。
彼女の黄金の瞳は相変わらず宝石のように綺麗で、それでいて────どこまでも、優しげだった。だからこそ、私は落ち着きを取り戻した。取り戻すことができた。
最初から、こうすれば良かったんだ。
瞳の奥を通じて、彼女の心の中へと、私の心を触れさせる。
覗き込むんじゃなくて、包み込むように。
心の奥底から湧いてきた正直な気持ちを、君に届けたい。
たった、一言。
【ただいま、こころ】
「おかえりなさい! そして……
これプロローグって書いてあるけどそのままエピローグでもいいんじゃないかって思えてきました。
そういえばひまわりの約束編を完結させた日に野良でひまわりの約束が選曲されまして、そのまま初APしちゃったんですよ。こんな事ってあります? 涙が止まりませんでした。