川瀬賢太郎の真摯な指揮が開く子供の音楽心
日本フィル第40回夏休みコンサート2014
日本フィルハーモニー交響楽団の子供向け「夏休みコンサート」が今年で40年目を迎えた。将来のクラシック音楽ファンをつくろうと、手抜きなしの本物のオーケストラ・サウンドを子供たちに聴かせてきた。注目の若手指揮者、川瀬賢太郎(29)の指揮による千葉県文化会館(千葉市)での7月19日初日の公演を聴いた。
「子供向けのコンサートは本当に厳しい。子供は正直だ。拍手や驚きの反応で面白いかつまらないかがはっきり分かってしまう。ごまかしが利かない。真剣勝負です」。本番前、Tシャツ姿の川瀬はこう言って気を引き締める。1975年に始まった伝統の夏休みコンサート。今年は「日本フィル第40回夏休みコンサート2014」と題して、千葉市を皮切りに東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県で8月3日までに16公演を催す。7月27日までの公演を川瀬、その後の公演を園田隆一郎が指揮する。
川瀬の「子供」についての発言は、モーツァルトの音楽を思い起こさせる。多くの演奏家が「モーツァルトの曲はごまかしが利かない。失敗がすぐにばれる」と言う。偉大な作曲家は子供心を持ち続ける。純真無垢(むく)の子供は音楽の天才なのだ。その子供相手の演奏会となると手抜きは一切許されない。日本フィルが夏休みコンサートに真摯に取り組んできたことは、歴代の指揮者の顔ぶれを見るだけでも分かる。日本フィル創設者の渡辺暁雄をはじめ、大友直人、高関健、下野竜也ら常に第一線の指揮者が担当してきた。
川瀬は2006年の東京国際音楽コンクールの指揮部門で最高位(2位)に入賞。今年4月には神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。6月27日の神奈川フィル第300回記念定期演奏会ではマーラーの「交響曲第2番『復活』」を指揮して聴衆の感動を呼び、このライブCDの発売も予定されている。そんな活躍著しい若手指揮者のエンターテイナーぶりを、子供たちが見て、聴くのである。
親子連れや祖父母と孫らが会場に入ると、まずはゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685~1759年)の「水上の音楽」より「アラ・ホーンパイプ」から華やかに始まった。「軽快な曲調で幕開けにふさわしい。前菜として楽しんでほしい」と川瀬。周りを見渡すと、子供たちはぽかんとして舞台を眺めている。特に驚いたりウキウキしたりといった様子でもないが、最初はそんなものだろう。少なくとも眠りこむ子は見る限りいなかった。
1曲目が終わったタイミングで舞台に登場したのが、「お話とうた」を担当する江原陽子だ。東京芸術大学声楽科在学中からNHKの番組「うたって・ゴー」に「歌のおねえさん」としてレギュラー出演していた。1991年から「夏休みコンサート」の歌と司会をずっと務めている。「音楽の後に『みなさんこんにちは』と言葉を挟むのはとても悩ましい。音楽の品位を損ねないよう毎回気をつけている」との発言には長年このコンサートに取り組んできた歌手ゆえの重みがある。単なる司会ではない。音楽に合わせて、話す声の音程や抑揚にも気を使うという。プロ中のプロである。
その江原がナレーションを務めるのが2曲目、ベンジャミン・ブリテン(1913~1976年)の「青少年のための管弦楽入門」だ。江原は日本フィル楽団員に混じって着席し、音楽の合間に楽器の説明をしていく。そういう作品なのだ。英国の誇る大作曲家ヘンリー・パーセル(1659~1695年)による旋律が冒頭に流れる。川瀬の力みなぎる指揮でパーセルの短調のメロディーが華々しくも荘厳に響き渡る。今までうつむいていた隣の女児が思わず顔を上げて舞台を見つめた。
パーセルの旋律から導かれて、様々な変奏が各楽器群ごとに繰り広げられる。その合間に入る江原の解説によって、1曲聞き終える頃にはオーケストラの各楽器についてすっかり詳しくなっているという趣向だ。最後に再びパーセルの印象深いメロディーを合奏して「管弦楽入門」の演奏が終わり、休憩となった。
「孫を連れてきました。オーケストラの楽器を初めて一通り理解できました」。孫と手をつないだ中高年男性は休憩時間に感激した様子でこう話した。ここまでが第1部。「夏休みコンサート」は3部に分かれており、後半の第2部はオーケストラの演奏に合わせて日本女子体育大学の新体操部とダンス・プロデュース研究部のメンバーがダンスを披露する。第3部は江原が中心となっての「みんなで歌おう」だ。
第2部で新体操の振り付けと演出を担当するのはダンサーで振付家の山田うん。「バレエにはない柔軟性とアクロバット的な動きがある」と山田は芸術としての新体操を語る。「曲ごとに違うインパクトを出して、カラフルなコンサートにしたい」と山田は抱負を語った。ヨハン・シュトラウス2世の「美しく青きドナウ」やチャイコフスキーの「くるみ割り人形」、ビゼーの「アルルの女」などからの人気曲に乗せて日本女子体育大のメンバーが様々な衣装と振り付けで踊る。
印象深かったのがベートーベンの「交響曲第7番第4楽章」での踊りだ。「繰り返しのリズムが多い曲だから、これはもう運動会を連想させる振り付けを意識した」と山田は言う。ワーグナーが「舞踏の神格化」と呼んだベートーベンの第7交響曲は特にこの第4楽章がリズムの洪水だ。子供たちはいよいよ舞台を食い入るように見つめる。スポーティーなダンスの後ろでは、壮絶ともいえる気迫で川瀬が日本フィルを指揮している。ダンサブルな演奏ではなく、むしろこの曲の武骨で野性的な響きを引き出している。ストラビンスキーの「春の祭典」にもつながる原初のエネルギーに満ちた舞踊音楽だ。ダンスと対決するような熱演がスリリングな楽しみを倍加させていた。
第3部はいよいよ子供たちが江原と一緒に歌う。恥ずかしがって歌わない子がいるのではないかと思ったが、杞憂(きゆう)だった。大ヒット中の人気アニメ映画「アナと雪の女王」からの歌を交えてみんな元気よく歌っていた。
最後はロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」より高らかに「スイス軍の行進」。さらにアンコールでは会場全体の手拍子でヨハン・シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」と、マーチの連続だ。子供は威勢の良い行進曲が好きなものである。白いお面をかぶった川瀬がブレイクダンスさながらに踊り回りながら指揮をして終演した。
気がつけば「超」が付くほどの名曲と人気曲のオンパレード。2時間にも満たない公演だが、大人も子供の頃を思い出しながらもっと聴き続けたくなる曲目なのではないか。プライドや虚栄心に邪魔されにくい幼少時にクラシック音楽を心から楽しんだ人は、それを生涯の友とするだろう。その一人、川瀬は演奏会後のサイン会で「小さい頃からどんな人になるか決めていた」と子供たちに語り始めた。「ひらがなもまだちゃんと書けない頃だったけどね」。将来なりたい職業についてこう書いたという。「しきしや」と。
(編集委員 池上輝彦)
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