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ZARD・坂井泉水は『負けないで』ヒット中も誰にも気づかれず、小田急線で通勤

永遠の歌姫 ZARDの真実 第4回

神舘和典dot.#永遠の歌姫ZARDの真実
坂井泉水さん(写真:株式会社ビーイング提供)

坂井泉水さん(写真:株式会社ビーイング提供)

命日の5月27日、多くファンが集った六本木の献花会場(写真:株式会社ビーイング提供)

命日の5月27日、多くファンが集った六本木の献花会場(写真:株式会社ビーイング提供)

寺尾広(てらお・ひろし)/株式会社ビーイングで長戸大幸プロデューサーの下、ZARDを始めさまざまなミリオンヒット・アーティストのディレクターとして、また作曲家、編曲家、キーボード、コーラスとして活動。現在は新人を世に送り出すべく準備中

寺尾広(てらお・ひろし)/株式会社ビーイングで長戸大幸プロデューサーの下、ZARDを始めさまざまなミリオンヒット・アーティストのディレクターとして、また作曲家、編曲家、キーボード、コーラスとして活動。現在は新人を世に送り出すべく準備中

■シュークリームが苦手だった坂井泉水

 坂井さんに気を遣わせてしまったという失敗もした。

「1994年のアルバム『OH MY LOVE』のレコーディング中に、坂井さんが誕生日を迎えましてね。僕、ふだんは手ぶらでスタジオへ行くんですけれど、その日はシュークリームを買って行ってみんなで食べました」

 寺尾氏にとっては、楽しい思い出の1つだった。また最も印象に残ったこととして、生前最後のオリジナルアルバム「君とのDistance」の制作時のエピソードをあげてくれた。

「長戸プロデューサーも僕も大阪で仕事をしているので、坂井さんもよく打ち合わせやレコーディングにやってきました。大きなキャリーバッグを両手で2つ転がしてきたこともあります。服が入っているのかと思ったら、1つは歌詞のもとが書かれたノートやレポート用紙がぎっしり詰まっていました。長戸プロデューサーから指示を受けた後は、歌詞ができるまでは一人で会議室にこもって書いていました」

 その大阪で忘れられない“事件”も起きた。前年2月6日、坂井さんは大阪滞在中に誕生日を迎えた。

「あっ、寺尾さん、どうぞお気遣いなく。誕生日のプレゼントはいりませんから(笑)」

 会うなり、坂井さんに言われた。事情を訊くと、坂井さんはシュークリームが苦手だったのだ。10年前の誕生日のシュークリームは、坂井さんにとっては苦い思い出になっていた……。

「ゴメンね。知らなかったので」

 謝る寺尾氏。

「いえ、大丈夫です」

 坂井さんは表情をほころばせる。

「でも、坂井さん、あの時、シュークリーム、食べたよね?」

「そりゃあ、あの状況では食べますよ」

 坂井さんはさらに笑顔になる。

 そのとき、別のスタッフがスタジオにやってきた。

「坂井さん、お誕生日おめでとうございます! これ、差し入れです!」

 そういって、シュークリームがたっぷり詰め込まれた箱を掲げた。その場がしんと静まる。

「あれ、どうしたんですか?」

 状況を理解できずに立ち尽くすスタッフ。

 坂井さんは笑顔で「ありがとうございます」と言ってシュークリームを食べた。

「あれ? 坂井さん……大丈夫?」

 寺尾氏の心配をよそに坂井さんは

「あ、いえ……、美味しいシュークリームだったら食べられます」
「うわ~俺のは不味かったのか……」

 次の瞬間、スタジオ内は爆笑が響いた。

■途中からセルフプロデュースだった坂井泉水

 ZARDの輝かしいキャリアにおいて、冒頭のエピソードでも触れたが「Good-bye My Loneliness」の「頭蓋骨を響かせるような声がポン!」と出ると寺尾氏が表現した歌唱が、持ち味の1つになったことは間違いない。

「2年後の『君がいない』のアルバムバージョンはコーラスも坂井さんですが、そこではE、つまり高音域のミまで、坂井さんは地声で出ましたから。かなり高い声です。最初は苦労していたけれど、2年ちょっとでこの音域が安定して出るようになりました。声は喉の筋肉によって発せられるので、正しく鍛えれば、どんどん状態はよくなっていきます。ただし、疲労もします。だから、2テイク目、3テイク目あたりまでがいいんです」


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