加ト吉で発覚した「循環取引」。産業界では珍しくない。これまでにも、間欠温泉さながらに循環取引が噴出してきた。
循環取引とは、商品を動かさずに、資金と伝票だけが複数の取引先を巡り、最終的に販売元に戻る取引のことを指す。売上高がかさ上げできるので、売上高のノルマ達成のために利用される。しかし、実態の利益がないのに、間に入ったほかの会社のマージンを上乗せした分を買わねばならないので、最後に買い戻す会社は、それだけ損失が膨らむ。 循環取引は、最後には必ず破綻する。過去に起きた循環取引の例を紹介してみよう。 |
■ 三洋興産事件
1986(昭和61)年、仕手集団の三洋興産グループが倒産した。同グループの崩壊は、未曾有の連鎖倒産を引き起こした。東証二部の東洋端子、同じく東証二部のオート、ベンチャー企業の大日産業など連鎖倒産した企業は100社を超えた。
原因は、三洋興産グループを核に、循環取引を行っていたからだ。取引の環が切れて、次々と連鎖倒産していったのである。
三洋興産はもともと、石油(重油)の業転を中心とする石油卸会社。当時は、「最強の仕手集団」として名を轟かせていた。仕手戦の軍資金は、石油卸会社、冷凍魚卸会社、石材加工会社などを取引に介在させ、伝票と手形だけが動く循環取引で調達していた。
「石油転がし」「魚転がし」「墓石転がし」が、三洋興産の使った手だ。「回転取引」と呼ばれる商品転がしの環を成り立たせるには、取引相手を信用させる必要があり、社会的に信用がある企業や名前が知られている中堅企業を取り込んでいった。転がしの環に加わったのは、三菱鉱業セメント系の不二興産、昭和電工系の昭光通商、飛島建設系の飛栄産業、東証二部上場の東洋端子やオート、新興企業では大日産業やレコードレンタルの黎紅堂などだ。
三洋興産は、大企業の子会社や上場会社から手形を受け取り、その手形を金融機関に担保に差し入れたり、割引したりして資金を調達。日本レースや日本航空などの仕手戦に投入していたのである。循環取引の規模は空前絶後だった。
■ カネボウ事件
2004年に産業再生機構の支援を受けたカネボウは解体して切り売りされた。名門カネボウを破綻に追い込んだのは粉飾決算。粉飾額は5年間で2,150億円にのぼった。「毛布のまち」大阪府泉大津市の最大の毛布メーカー興洋染織が粉飾の舞台になった。
カネボウは決算期前になると、取引先に多くの商品を買い取らせて決算後に買い戻す「押し込み」や、翌期の分を繰り上げて買わせる「前倒し」が常套手段だった。カネボウが「押し込み」を大掛りにやったのが興洋染織である。カネボウは興洋染織に毛布の原料であるアクリル繊維を「押し込み」、興洋染織は複数の商社に毛布を転売して売上と利益をつくった。
これを「備蓄取引」という。不需要期に商社がいったん毛布を買い上げ、冬場に寝具店に卸すわけだ。
需要期に毛布が売れれば問題はないが、売れ残ることもある。興洋染織は売れ残った在庫を買い戻すため、不良在庫をふくらませた。その悪循環で赤字が雪ダルマ式に増え、興洋染織の経営が悪化した。そこで資金繰りを立てるために取り組んだのが循環取引。繊維業界では「宇宙遊泳」(一度売った商品が複数の販売先を経て元の売主に戻る販売形態)と呼ばれる。
興洋染織、商社、カネボウで構成される「備蓄取引」の環のなかを在庫毛布がぐるぐると行ったり来たりするようになった。消費者に流れずに、空中を漂うことから「宇宙遊泳」と称される。
「宇宙遊泳」に危険を感じた大手商社や繊維専門商社は次々に逃げ出した。逃げ遅れたカネボウが興洋染織を丸抱えして泥沼にはまった。興洋向けの損失を隠ぺいするために、粉飾決算に弾みがついたのである。
(つづく)