近藤聡が三重県を訴えましたが、そもそもの発端は彼が三重県議会に参考人招致されたことにあります。



そこで、彼が三重県議会で何を語ったのかポイントを抜き出していきたいと思います。
なお、文字量が多いため、数度に渡って掲載します。

彼の主張をそのまま載せることは、宣伝行為になってしまうため、最低限の解説も付しました。

あらかじめ説明しておくと、近藤聡はLGBT運動に批判的であり、「差別禁止より理解増進」ということを主張しています。
LGBT運動への敵視からか、パートナーシップ制度に対しても非常に否定的です。

本来であればLGBT差別の実情や、三重県に求められる施策を意見交換する場であるはずが、LGBT運動への攻撃の場と化しているのは、上記の理由によります。
それでは、内容の検証に入ります。

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冒頭、「別の会議では、当事者の多様性を考慮しているとは言いがたい議事進行をしていると少々感じております」と抗議(詳しい内容は不明)。

自己紹介の上、「現在は、芙桜会の活動に専念しております」と発言。

「性的マイノリティー」という言葉を「性的要素における少数者」に置き換えると説明(ただし、「LGBT」と言ったり、表現にはブレがある)。

「歴史上、差別を禁止した国で差別はなくなったのでしょうか。(中略)差別のなくなった国はございません。あのアメリカでさえ、ブラック・ライブズ・マター、この運動が激しく社会を二分する内戦の様相を呈しております。これは差別禁止の危うさを示してくれていると思います」(差別する側ではなく、差別に抗議する側を批判するロジック)

【差別禁止をうたった場合に起こり得る問題① 「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」に関して】
職員向け福利厚生制度を適用しないのは不当な差別だとして、同性パートナーがいる都の職員2人が都の人事委員会に改善を求めた⇒却下された⇒「東京都が条例をつくることに前のめりになり、成立を急いだために、差別の定義を十分にしないまま差別禁止を条例化してしまったため、その弊害が顕著に出た事例ではないかと思います。一言で差別禁止といっても、簡単には条例にはなじまないことを教えてくれていると私は思います」

【差別禁止をうたった場合に起こり得る問題② 女子大へのトランス女性の入学】
女子大は女子のための大学ですよね」(ヒソヒソ声で)

極端なことを申し上げるかもしれませんけれども、私が今、女性だと宣言したら、女性なんですよ、今。これが性自認です。誰が何を言おうとも、性自認が女性ですから、私は女性です」(違います)

(※このくだりは内容・語り口ともに、非常にトランス差別的である)

【芙桜会の主張】
1.日本は法治国家。条例、特に罰則規定のついたものは法律ができて初めてつくられるべき。国政レベルで検討されているLGBTの新法の成立を待ってからでも全く問題はない(マイノリティの人権が、国と地方自治体のたらい回しにされる状況を踏まえていない発想)。

2.三重県が国より先に差別を定義することは、三重県が今後負う責任の範囲が想像以上のものになるのではないかと心配になる。

3.差別の定義は国が行うべき。三重県が差別の定義をしても、他の自治体がそれに追随するのかどうか分からない。三重県では差別と認定されることが、愛知県や和歌山県では問題ないとされるようなことが起こった場合、当事者を含む県民の皆様の混乱を生じないか危惧する。

4.差別を禁止することは、禁止の対象となる差別が必要ということでもある。差別を必要としない、差別のない社会をつくることが理にかなうのです。差別のない社会にするためには、差別をしないことが必要(差別が無ければ、差別禁止の必要も無くなる。何を言いたいのか理解不能)。

5.理解の一致ができれば差別は解消する。

6.性的要素における少数者についての理解もままならない状況でもある以上、差別禁止、罰則規定、差別被害者救済は時期尚早(被害者救済までもが時期尚早と主張されている)。

7.欧米諸国は細かく法律で様々なことを規定しないと、社会システムをうまく機能させられないことの裏返し。住民や事業者などの意識が高度であれば、細かい規制は不要(ニッポンすごい!の変型)。

8.「人権が尊重される三重をつくる条例」の対象に「性的要素における少数者」を加えることで十分。

9.現状、罰則規定や被害者救済とセットで差別禁止条例を制定した場合、真の理解と共存共栄が果たせない。自分が納得していないにもかかわらず、謝罪したときの気持ちは嫌なものである。それが蓄積すると、怒りや不満が爆発する(差別する側に立った主張)。

【意見の一致】
なぜ男子トイレ、女子トイレの区分があるのか。社会に女子トイレは女子が入るところという意見の一致があるから。LGBTについて、意見の一致があるとは考えられない。人権とは普遍的なものであり、意見の一致が大前提になる。誰に聞いても、性的要素における少数者の定義が同じものになるまで、まずは理解の増進、そして理解の一致が必要(誰に聞いても定義が同じになる日など、来るのだろうか? なぜ当事者はその来るかどうかわからない事態を待たなければならないのか?)。

【高齢者と地方の問題】
「現時点では、高齢者の方々や地方に住む方々との間に相互理解と寛容を醸成しなければなりません」

「足立区議会議員のLGBTに対する不適切発言が問題とされていますが、発言者の御年齢を考えると、その方が御自身を社会のマイノリティーと捉え、急に出てきた得体のしれないLGBTというものに異を唱えたと考えることも妥当ではないでしょうか」(差別者に寄り添う姿勢)

「LGBTって何か分かりますかと聞いて、分かると答えられる高齢者の方はほとんどいないのではないでしょうか」(お年寄りの理解力を侮った発言)

「また、都会と違って地方でカミングアウトするのは、自分の生活圏のことを考えると、生存権を脅かす大きな問題と断言いたします」(この部分は後ほど重要となるため、記憶しておいていただきたい)

「国において差別の定義がなされていない状況及び我々に対する理解が十分とは言えない状況にある以上、同和、男女格差、在日外国人、そして性犯罪被害者のように、それはだめだよね、守ってあげないといけないよねという意見の一致があるとは到底考えられません」(「人権とは普遍的なもの」と言いながら、ここでは「守ってあげないといけない」対象への施しのように人権が解釈されている)

「理解も足りないのに差別を禁止すれば、人々はわけの分からないものに自分の行動が制限されるのかと反発をし、不満を抱くことになるでしょう。そんな懸念が幾らでも出てくる状況において、性的要素における少数者に対する差別を罰則規定や被害者救済とセットにして禁止する理由は一体何でしょうか。大変言い方が乱暴で恐縮ではありますけれども、私にはさっぱり分かりません」(「さっぱり」の部分で語気を強める)

(続く)