「か~と~きっちゃん かときっちゃん♪」 のCMソングで知られる冷凍食品大手の加ト吉(香川県観音寺市)が失速した。1,000億円にのぼる「循環取引」が発覚し、会長兼社長の加藤義和氏(71)は退任。新社長には、資本提携先である日本たばこ産業(JT)出身の金森哲治副社長(58)が昇格した。 加藤氏は、行商から身を起こし、一代で同社を業界トップ企業に育て上げた立志伝中の人物。 |
■ 行商からスタート
加藤 義和 氏 |
加藤義和氏は1936(昭和11)年1月、香川県観音寺市で生まれた。幼い頃に父が戦死したため、母と祖父に育てられた。家は貧しかった。
毎日、母は陽が昇らないうちに漁港に出かけ、水揚げされたイワシを祖父が営む加工場に運んだ。加工作業が終わるのは、深夜1時を回っていた。漁獲シーズンが終わっても、農家の刈り入れや蒲鉾店の手伝いで生計を立てた。
母が朝から夜まで働いている姿を見て育った加藤少年は、中学時代から祖父の加工工場で働いた。祖父から、イリコの天日干しの仕方から出荷までを教わった。
中学3年生のとき、大黒柱の祖父が脳溢血で他界した。加藤少年は家計を助けるため、高校進学を断念し、行商を始めた。地元の蒲鉾店から蒲鉾を仕入れ、観音寺から25km離れた金刀比羅宮のある琴平町まで自転車で運び、旅館や食堂などに売り歩いた。まるっきり売れない日もあった。往復50kmの道は、加藤少年には過酷なものだった。10代の頃に味わった苦難の日々が、加藤氏の原点となった。
行商を続けること2年。加藤氏は1956(昭和31)年、弱冠20歳のときに、加ト吉水産を設立。亡き祖父が営んでいた水産加工業を継承し、干しエビやイリコの加工を手掛けた。社名は祖父・加藤吉次郎氏の名前にちなんで「加ト吉」とした。
創業の翌年には海外への足かがりをつかんだ。アメリカへ、カクテルシュリンプと呼ばれる小エビの加工品の輸出を始めた。これでどうにか食えるようになった。
(つづく)