奥沢美咲は、超能力者である   作:親指ゴリラ

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エピローグ ひまわりの約束

 時間は有限だ。私みたいな人間離れした存在でも、時間だけは他人と同じ速度で流れていく。

 

 それがとても嬉しくて、そしていまは少しだけ悲しい。

 

 

「美咲! 水がすごく冷たいわっ! こっちにきて、一緒に遊びましょう!」

 

「はいはい、分かってるって」

 

 もし、私に時間を止めるほどの超能力があるのなら。きっとこの瞬間を永遠のものにしていただろう。いや、流石にそこまでしないかな。引き伸ばしたいと思う気持ちは、大きいけれど。

 

 私が見守る先で、弦巻こころはこれ以上ないってくらいはしゃいでいた。

 

 素足が水面をいったりきたりして、その度に水しぶきがあがる。水滴が太陽の光を反射して、キラキラと輝いていた。まるで、彼女という存在そのものが光を放っているかのように。それは私にとって眩しく、同時に美しい光景だった。

 

 この村に川があることは、当然ながら知っていた。それが子供達の数少ない遊び場で、夏には笑い声が絶えないということも、聞いてはいた。

 

 でも、自分がその場所に遊び目的で訪れることになろうとは。予想すらしていなかった。

 

 だって、そうだろう。一人(・・)で川で遊ぶなんて、危険極まりないんだから。もちろん、私に限って命の危機に陥るなんて、ありえないと思うけど。

 

 下心がなかったといえば、嘘になる。

 

 近くに川があって、そこではいつも子供達が遊んでいるなんて伝えれば、彼女が興味を持つだろうということは想像に難くない。予想外にも、今日は人っ子ひとり見当たらないけれど。まぁ、これも運が良かったと思うことにしよう。

 

 弦巻こころのあの姿を、独占できるのだから。

 

 浅瀬でバシャバシャと波を立てる彼女の姿は、金色の長髪と純白ワンピースが合わさって、まるで絵画の中から飛び出してきたかのように、現実味がなく、神々しい。

 

 この風景を絵に残せるのであれば、どんな芸術家であっても筆を折ることだろう。だって、これ以上に美しい絵画を描けるなんて、誰も思えないだろうから。

 

 …………時を、止めてみたい。この景色を切り取って、私だけの永遠にしてしまいたい。

 

 そう思わせるだけの何かが、彼女にはあるのだ。弦巻こころには、それだけの魅力があるのだ。

 

 いや、どれだけ入れ込んでいるんだよって思わなくもないけれど。

 

 でも、そうしなければ。彼女は私の手をすり抜けて、どこかに消えてしまうのではないだろうか。この一瞬も、思い出も。あの子の時のように、風化して崩れていくのではないか。

 

 こんなに楽しくて、許されるのだろうか。

 

 私はまだ、自分の問題になんの決着もつけていないというのに。自分の気持ちすら、確かめられていないというのに。

 

 だから少しだけ、寂しかった。

 

 空は青と白のまだら模様から、濃い黄色一色へと切り替わっている。

 

 太陽は地平線の彼方へと去っていき、あと幾ばくかの猶予を経て、完全に姿が見えなくなるだろう。

 

 そして、それが終わりの合図だ。

 

 太陽はいずれ沈む。それはつまり、弦巻こころ(太陽)も消えてしまうということ。

 

 あぁ、こんなにも一日が終わってほしくないと思うことが、これまでの人生にあっただろうか。

 

 どうして夜は訪れてくるんだろうか。いいじゃないか、一日くらい。二十四時間ずっと太陽が出ていても、いいじゃないか。

 

 弦巻こころが、帰ってしまう。私の目の前から居なくなって、そして二度と…………いや、それは私の被害妄想だ。ただでさえ、彼女は黒い服の人達に守られているような立場の人間なんだ。滅多なことはあるはずがないし、私がそれを許さない。

 

 それでも、思ってしまう。

 

 今日という一日が終わってしまうのが、寂しいと。だって、彼女と一緒にやりたい事はたくさんあるんだ。

 

 きっと、子どもらしいところがある君だから。誘えば一緒にカブトムシを探してくれるだろう。釣りは…………どうだろうか、大人しく座っているくらいなら、自分から捕まえにいくと、水の中に飛び込んでいってしまいそうだ。花火は…………動き回って、線香花火を落としてしまう姿が容易に想像できる。今から買いにいくのもありだろうか。それから、それから────。

 

 

 あぁ、だめだ。時間が足りない、少なすぎるんだ。やりたい事はたくさんあるのに、今日はあと数時間しかない。

 

 何をしよう────ただ、それだけを考えていて。それで、思わず笑ってしまった。

 

 こんな、まるで、子供のような苦悩だ。

 もしかしたら今の私は、子供の頃よりも子供らしいのではないだろうか。

 

 こんなにも、一日が終わることを惜しむなんて。何年振りだろう、あんまり思い出せないけれど。

 

 なんだか、ひどく懐かしくて。それがとても、面白い。私って、私って、ただの…………子供だったんだな。そう気付かされた。

 

 ねぇ、こころ。聞こえていますか。

 

 私の知らない「わたし」を、君はこんなにも容易く引っ張り出してくれた。ガチガチに固まった心の檻から、手を取らずとも、何もせずとも。ただ、目の前で楽しく笑顔で「在る」ことによって。

 

 それって、凄いことですよ。聞こえていますか、こころさん。あんたの事ですよ。

 

 

 

「それっ!」

 

「わっ…………ビックリした」

 

 弦巻こころが両手で飛ばしてきた水を、思わずバリアーで弾く。そしてすぐに────それが、失敗だと悟った。

 

 珍しい表情だ。両方の頬をこれでもかと膨れさせた彼女が、唇を尖らせて私を睨みつける。いや、睨みつけてるつもりなのかもしれない。全く、ほんとうに全く怖くない。むしろ、どんぐりを詰め込んだリスみたいで可愛らしい。

 

 でも言いたい事は分かるよ、ごめんね。ぶっちゃけズルいよね、これ。

 

 彼女が再び、水を飛ばした。心なしか、先ほどよりも量が多い気がする。いや、明らかに多い。

 

 まぁ、いいでしょう。

 

 彼女が飛ばした水を、正面から受ける。今日はTシャツとホットパンツだけの軽装だから、被害はほとんどない。財布と帽子は転送で離れた場所に纏めて置いといた。

 

 ニヤリ、と。音が聞こえてきそうなほど不敵な笑みを浮かべて、彼女と相対する。

 

 水面に映る私の顔はきっと、これ以上ないほど楽しげであることだろう。見なくたって分かる、自分のことなんだから。

 

 だから今日だけは、許してほしい。私がただの子供であることも、全てを忘れて遊びに興じることも。

 

「やったな!」

 

「きゃっ…………冷たくて、気持ちいいわっ!」

 

 私が川に立ち入って、水を飛ばせば。彼女はそれを受けて、楽しそうに笑う。

 

 

 

 そして、私は凍りついた。

 

 

「隙ありよっ!」

 

 パシャッと音を立てて、水が私の顔へと降り注いだ。私は目を閉じることもせず、無防備にそれを受け止める。水が目にしみて痛みを感じるが、そんな事はどうでもよかった。

 

 いや、いやいや、いやいやいや。

 

 ちょっと待ってくださいよ、こころさん。

 

 それは流石に、ズルくないですか?

 

 

 水に濡れた衣服が彼女の身体に沿うように張り付き、そのボディーラインを強調する。低い身長と相反する様に豊かに実った二つの禁断の果実が、太陽の下に露わになった。

 

 白いワンピースは濡れる事で光を透過させ、その、なんだ、ほぼほぼアンタッチャブルなことになってしまっている。

 

 つまり、えーっと、こころさん? やっぱりブラはつけたほうが良くないですか?

 

 違うんです、聞いてください、ワザとじゃないんですって、本当に、断じて、失念していただけで、悪気はこれっぽっちもなかったんだ。本当なんですって、信じてください。

 

 …………いや、私は誰に言い訳しているんだ。逆に落ち着いたよ。

 

 別にいいじゃないか。ここには誰の目もないんだ。

 

 私? …………私はいいんだよ、女だし。なんなら私だって水で濡れて少し透けているくらいだから、これでおあいこだ。いや、意味がわからない、何がおあいこなんだ。

 

 …………うん、服は私が乾かせばいいだけだ。本人も気にしていないんだ、もう気にするだけ無駄じゃないか。

 

 だって、ほら。彼女はこんなにも楽しそうにしているんだ。

 

 じゃあ、問題ないだろう……………………いや、やっぱり後でちゃんと言い聞かせておこう。無防備すぎるんだよ。そういうところ、嫌いじゃないけどさ。

 

 だからこの話は、それでおしまい。

 

 今は、この一瞬を楽しもう。

 

「ほら、お返し!!」

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 遊んだ、これ以上ないってほど、子供のように、弦巻こころのようにはしゃいで動き回った。

 

 正直、かなり疲れた。二人とも頭の天辺から足の先まで全身ずぶ濡れだし、波に攫われたのかっていうくらい、悲惨なことになっている。

 

 私はそれを、一瞬で吹き飛ばした。衣服は瞬く間に乾燥し、ハリを取り戻す。もちろん、生乾きの湿った匂いなんてものはしない、雑菌ごと全部吹き飛ばしたから。

 

 手櫛で長い髪を整えつつ風で乾かしてやれば、弦巻こころは気持ちよさそうに目を竦める。髪は女の命っていうからね、服みたいに雑に処理するんじゃなくて、丁寧にケアをしてやるべきだろう。

 

 だから別に、下心はないのだ。彼女が私の膝の上に座っているのも、冷えた身体に体温が心地よいのも、その肌の柔らかさにドキドキしているのも、他意はないのだ…………この言い訳、今日だけで何回しているのだろうか。そもそも、女同士なのにドキドキしているほうがおかしいのではないだろうか。

 

 いや、こんなに魅力的な身体をしているのだ。私でなくても緊張してしまうだろうし、そこに性別は関係ないだろう。男どもにこの子に触れさせるつもりは、一切ないけど。むしろ、女でも触らせたくない。

 

 

 弦巻こころの髪の毛は、濡れて乾いた後であっても、不思議と艶が残ったままだった。全くゴワゴワしていないし、なぜかいい匂いもする。このまま洗髪剤のCMに出してもいいくらいだろう。それが女として少し羨ましくて、友達として凄く誇らしい。

 

 手櫛で整えた後だというのに、私はまだその魅力的な金糸から手を離せないでいた。まるで、絹のような手触りだった。

 

 そんな私に、何か思うことでもあったのだろうか。

 

「ねぇ、美咲」

 

「ん、どうしたの」

 

 背もたれに体重を預けるように、私の体に背中を押し付けながら、彼女は声をかけてきた。

 

 髪に触れていた手を止め、なんでもないように平静を装いながら、言葉を返す。

 

 やばい、どうしよう。流石に無遠慮に触りすぎた? いや、でも、そんなことを気にする子じゃ…………。

 

 

「あたしね、あなたの事をもっと知りたいって思ったの。だって、昨日のあなたはあんなにも寂しそうで…………離れたくないって顔をしていたんだもの」

 

「……………………」

 

 思わず黙り込んでしまった私を気にせず、彼女は言葉を続ける。

 

「だからね、こうして直接会いにきたの。あなたは来年になったら、なんて言っていたけれど。あたしはそんなに待てる気がしなかったから、じゃあ、なるべく早く行動した方がいいと思わない? あたしね、あなたの笑顔が見たくてやってきたのよ」

 

「こころ…………」

 

「でも、安心したわ。まだ、少しだけ(・・・・)不安だけど…………今のあなたなら、毎日笑って過ごせると思う。あなたも、そう思わない?」

 

 …………やっぱり、敵わないなって。素直に心の底から、そう思う。こんな幾つも歳が下であろう子供に、こんなに心配をかけてしまうなんて。そんなに、昨日の私は酷い顔をしていたであろうか。

 

 …………して、いたのだろう。だって、私にとって別れっていうのは、恐怖そのものなのだから。

 

 もしかしたら、その感情すら。私はテレパシーで伝えていたのかもしれない。

 

 友達も、親も、妹たちも。みんな私の目の前から居なくなってしまった。それが、私の選択の結果であるとしても、私が…………選び取った末の、現実だとしても。

 

 怖い、怖いさ。恐ろしいんだ、だからもう、人に深く踏み込まないって、入れ込まないって決めていたはずなのに。

 

 一度停滞を選んだ心は、たとえ縛から解き放たれたとしても、飛び立つ事を恐れてしまう。自由であるという事、自分の意思で進むという事に、抵抗を覚えてしまう。

 

 だから私は、昨日の夜に眠れなかったんだ。布団の中で目を閉じて、弦巻こころの姿を必死に思い返した。一度眠ってしまったら、次目覚めた時に…………あの子のように、顔も名前も、思い出すら、忘れてしまうような気がして。

 

 だから、起きて目にしたのがこの子の姿だった時。

 

 私は一瞬だけ、自分がまだ夢を見ているんだと思った。夢でもよかった。彼女の姿も、声も、仕草も。まだ忘れていないんだと実感できるから。

 

 でも、私の目の前に現れた彼女は…………紛れもなく本人そのもので────私は二度、この子に救われたんだ。

 

 一人迷子になっていた私を、暗闇の中から連れ出してくれた。目の前の道を征く事を恐れていた私を、手を引いて導いてくれた。

 

 それが、どれだけわたし(・・・)の救いになった事だろうか。それだけで、十分だったというのに、それなのに、君は。

 

 灰色だった。今までと同じように、ガラクタのようだった今日という一日を、私の宝物(思い出)に変えてくれた。

 

 ああ、ダメだ。こんな事をされて、ここまでされて。それで好きになるなって方が、そりゃ無理な話でしょ。誰だって、ダメにされてしまう。涙が、止まらない。

 

 笑わないと、いけないのに。私が本当の意味で(自分の力で)この子にできることなんて、それくらいしかないというのに。

 

 どうしても、視界が潤んで仕方がないんだ。

 

 空を見上げても、滲んだ世界では星の輝きすら分からなくて…………私はこんなにも、弱い。

 

 目の前の華奢な身体を、思わず抱きしめた。彼女は何も言わず、ただ私へ身体を預けてくれている。その重さが、ひたすらにありがたかった。

 

 

「ねぇ、こころ(・・・)

 

「…………」

 

 返事はなかった。でも、それでよかった。もし反応が返ってきていたら、私は何も言えなくなっていただろうから。

 

「もし、もしもね。あんたが何かで困ったら…………あの、黒い服の人達や、あんたの家の力でも。どうしようも出来ない、そんな事があったら。そしたら、ね」

 

 私は卑怯者だ。この子はあんなにも正面から私を見てくれていたというのに、私はこの子の目を見て話すことすら出来ない。自分が言おうとしている事が、恥ずかしくて。それだけが理由じゃないけれど…………今だけは、彼女の目を見る事ができないんだ。

 

 だって私はまだ、涙が止まっていないのだから。だから…………こんな時でも、彼女に顔を見せられないんだ。

 

 うん、決めた。

 

 これから先、彼女に…………弦巻こころに見せる私の顔は、笑顔でなければならないと。それがどんな時であっても、もう二度と、この子に心配をかけるような顔はしないと。それが、私が弦巻こころの為にできる、自分の力で叶える事ができる、唯一のことだから。たったいま、そう決めた。だから、だから────。

 

 

 

 

「その時は、にいいなよ」

 

 

が、なんとかするから」

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

 弦巻こころから言葉が返ってくることはなかった。それは分かっていた。だって、最初から知っていたのだから。

 

 私が彼女を抱きしめた時、彼女は既に夢の世界へと旅立っていたのだ。

 

 …………だから、私は卑怯者なんだ。彼女が遊び疲れて、夢うつつの状態で私に語りかけてくれた言葉を受け止めておきながら、自分の大切な話は、彼女に聞こえないように済ませてしまうのだから。

 

 でも、それでいいんだ。これは自己満足でしかない、私だけが知っている、私と彼女の約束。一方的なこの言葉を約束というなんて、少し変かもしれないけど。

 

 あんたが私の笑顔を、私自身から守ってくれたように。

 

 今度は私が、あんたの笑顔を守るよ。

 

 これからもずっと…………君には、弦巻こころには、笑っていてほしいから。君からもらった優しさも温もりも、今度は私が届けるから。

 

 約束、約束だ。もう二度と忘れない、もう二度と手放さない。

 

 

 

 

 ────私はもう、二度と間違えない。

 




 はい、これにて閑話「ひまわりの約束」編をおしまいとします。ちよっと急ぎ足で書いたから推敲しきれてないかもしれないけれど、達成感はすごいです。ほんと書いてて楽しかった。歌ってるのはこころちゃんなのに、内容は奥沢美咲なんだよね。少なくとも、自分の解釈では。

 前話の更新ですごく反響をいただきまして、評価とかブクマとか伸びてすごく嬉しい感想まで頂いちゃって。私の「好き」が読者の方の「好き」になってくれて本当に嬉しかったです。

 閑話とかいいつつ、がっつり本編の伏線張りまくりなのは許してね。どうしてもやりたかったんですよね。


 ※追記(2019/8/8)

 この閑話に親指ゴリラさんから素敵なファンアートをいただきました!!
 はい、普通に自分で描きました。

 
【挿絵表示】

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