私と祖母が暮らしている村は、正直かなり田舎だ。
都心に近づくためにはローカルな路線を何度も乗り換えする必要があるし、一番近いコンビニですら車で三十分ほど走る必要がある。
見渡す限りに田んぼ、畑、林、山、山、山。
年頃の女の子にとってこの村は、今時の娯楽が皆無に等しい、それはそれはつまらない場所だろう。現に、若者の村離れによる人口減少問題が顕著に表れている。
私だって、この村がそんなに好きという訳ではない。実際、来年には出て行く予定なわけだし。
そんな村だから当然、観光になるような場所なんてものはない。山は所有地だから無断での立ち入りは禁止、というか村全体の土地が殆どそんな感じだ。
弦巻こころを連れ出したところで、彼女を喜ばせることができる場所なんてものはこの村に存在しているのだろうか。もしかしたら、万が一にでも…………だけど、彼女をガッカリさせてしまったら、と。飽きて帰ってしまったら。
そう考えたら、今すぐにでもテレポーテーションで南の島あたりに連れ去ってしまった方がよほどいい一日になるんじゃないかと。そんな事を考えてもいた。
結論から言えば、そんなものは杞憂だった。
弦巻こころは私の想像よりもずっと感受性が豊かで、純粋で、そして世間知らずだったのだ。
私にとってはつまらないものだった自然も、景色も、不便さも。彼女という存在を通して見つめてみると、随分と違って見えてくる。こういうのも悪くないんじゃないかと、私の中の世界が広がっていったような気がした。それくらいには、彼女の存在は私の中で輝いていた。
絶対、本人に言う機会はないと思うけど。
彼女と一緒に過ごすことができるのならば、毎日が新しい発見で一杯なのだろう。きっと、私には見えないものが彼女には見えているのだから。それを身近で感じられるだけで、どれだけ、救われることか。
あぁ、ダメだな、私。
こうしてただ、一緒に歩いているだけで。どんどん彼女の事を好ましく思ってしまう自分がいる。
この感情は本当に、友情という言葉が正しく当てはまるのだろうか。
憧憬があって、執着があって、嫉妬があって、そして独占欲のようなものさえ混ざり合ってしまった、この感情が。そんなに綺麗なものであっていいのか。
ふと目があえば、その心の中を全て暴いてしまいたくなるほど、歯止めの効かない衝動が、私の醜い本性が、人のものとは思えない欲望が、溢れそうになってしまうというのに。
人にはできない事を、できてしまうからこそ。だからこその、暗い感情。
知りたい、もっと知りたいと。彼女を傷つけることになってでも、その輝きの向こう側へ手を伸ばしたいと。
それではまるで、光に引き寄せられた怪物のような心で。私は私の中に、人じゃないなにかを飼っているのではないかと、そう錯覚してしまう。
本当は、分かっているのだ。
私が知りたいのは、彼女の全てではないんだという事くらい。
無限に広がる好奇心と、どこまでも疑う事を知らない純粋さで創られた、面妖でありながらも美しい、彼女の心象風景。
私はただ、確かめたいのだろう。
どこまでも続く、果てのない世界の中に。
弦巻こころの、心の中に。
私というちっぽけな人間が、存在しているのかと。
私の中で彼女の存在が大きくなっていくのと同じように、彼女にとっての『特別』でありたいと願ってしまうことの、なにが悪いんだ。
彼女は私のことを、本当はどう思っているのだろうか。友達と思ってくれているのだろうか、本当に、私を見てくれているのだろうか。超能力者という付加価値のついた人間ではなく、『奥沢美咲』という人間として見てくれているだろうか。
…………いや、それでもいい。超能力者が珍しいという理由でも構わない。彼女の心の大切な場所に、私という存在を置いてくれるのならば。
彼女の心の中は沢山のものに溢れていた。それだけ、色々なことに興味があるのだろう。毎日が楽しくて仕方がないというのは、無知でありながらも、知るという事に対する喜びを認識できているからこそ、得られるものだ。
そして既知に対しても、最初に抱いた気持ちを忘れないから。だから彼女は、どこまでも世界を楽しめるのだろう。自分以外の全てが、彼女にとって、生きる喜びに繋がる大切なものなのだ。
だからこそ、彼女にとって全てが特別で、全てが唯一無二なもので…………。
そんな彼女の心の中を、私は一度覗き込んだだけで『理解』させられたのだ。した、ではなく、させられた。
彼女の心は、喩えるならば『宇宙』だ。
沢山の星が輝いていて、その全てに名前が与えられている。どこまでも深く、広大で、見る者の心を掴んで離さない。
そして同時に、どこまでも底のない深淵でもある。次飲み込まれでもしたら、二度と…………二度と、帰ってこられないかもしれない。
だって、それくらい魅力的なのだ。この世界を知ることができて、足を踏み入れることができるのは、私だけなのだから。
でも、だからこそ、恐ろしい。
あぁ、認めるよ。弦巻こころ、私はあんたを好ましく思うのと同じように、恐ろしいんだ。
だって、そうだろう。私はこんなにも…………何もない、あんたしか、いないというのに。
きっと、私はあんたの心を、関心を、惹きつけられるほどの人間ではないんだ。
今はまだ、興味があるのかもしれない。
でも、一ヶ月後は? 一年後は? 数年後になったら、その気持ちはまだ残っているのだろうか。
こころ、あんたはあんたが思っている以上に聡明な人間なんだ。その視線が、瞳が、私の全てを知り尽くしてしまったとしたら。
底の浅い私の全てを、見抜いてしまったのならば。その時あんたは、私を好きでいてくれるのか。友達でいてくれるのか。
…………私に飽きて、しまわないだろうか。
あぁ、恐ろしいよ。恐ろしいからこそ、目が離せないんだ。瞳を逸らして、目を閉じて、それでもう一度開いたときに、目の前にあんたが居なかったらと思うと、怖くて仕方がないんだ。
もちろん、わかっている。彼女がそんな薄情な人間ではないということくらいは。
でも、それでも。一つだけ、教えてほしいんだ。
────
☆ ☆ ☆
ジリジリと、太陽の光が地面を焼く。
田舎道とはいえ車の交通がある以上、コンクリートで舗装されているのは珍しくない。珍しくないが、それがこうして熱を発しているのを見ていると、果たして文明の発展が全て人類にとって良いものであるのかという疑問が湧いてくることもある。まぁ、考えても意味のない事だろうけど。
地面から発せられる熱というものは、案外バカにならないというか、むしろ熱中症などの主な原因といって差し支えないだろう。
私は身の回りの環境があまりにも人体に悪影響であるとき、無意識のうちに超能力を使用してしまうらしい。
自分を中心とした一定範囲が過剰に暑かったり寒かったりする場合、ほぼ自動的に適温まで調節するのだ。意識してやってるわけではないので、人がぶっ倒れるレベルから汗をかくレベルに、凍死するレベルから摩擦熱を求めるレベルに変える程度だが、これが案外便利だ。
とはいえ、それは本当に命が危険にさらされる場合の話で、いうなれば本能で自分の命を守っているらしい。
らしい、というのはそれが憶測に過ぎないからだ。普通の人間だって暑ければ汗を流すが、その理由が体を冷やすためだということは、人類の科学の積み重ねによって理解できる事実だろう。先人の知識があって初めて、人は己を知るのだ。
だからこそ、私のように前例のない存在は自分で自分のことを推察しなければならない。そして、その認識も絶対に正しいとは言いがたい。なにせ、論理的に証明できないのだから。
話が逸れた。
何が言いたいのかというと、私はその温度を調節するための超能力を、初めて自分の意思で使用していた。今の私の周囲は、それ以外と比べて少しだけ涼しい。ほんと、少しだけね。
じゃあなんでそんな事をしているかっていうと、まぁ、なんていうか、その。
彼女に体調を崩してほしくないからであって、彼女との時間を大切にしたいからであって。
ようするに、弦巻こころに無理をしてほしくないからだ。
こんなに暑いんだから、少しくらいは楽をしても構わないだろう。使えるものを使うだけで、誰にも迷惑をかけていないのだから。
後ろめたい気持ちがないわけではないが、まさか自分が暑さで苦しんでいるんだからお前も苦しめ、なんていう人間がいるわけでもないし。
彼女の周りの熱を散らして、そこそこ涼しい風を送る。気持ちよさそうに風を浴びて歩く彼女には、なるべく、なんだ、私との時間を楽しんでもらいたい。
たとえそれが、私の自己満足でしかないとしても。
「美咲、あれはなにかしら?」
弦巻こころが指をさして、一軒の建物を強調した。少し汚れたガラスの扉と、その前に並ぶ古いタイプのガチャポン。そして風を受けてたなびく、『氷』と書かれた小さめの旗。
私がこの道を選んで彼女と歩いた理由でもあり、この村で数少ない娯楽の一つ。とはいっても、ごくごく少数の子供向け、といったところだが。
彼女と二人で歩く時間も悪くないが、少しは休憩も必要だろう。
私の手を引いて店に近づく彼女へ向けて、口を開く。
「あれは駄菓子屋っていうんだよ」
「すごいわ美咲! 色々なお菓子が沢山並んでいるのね!」
「あーはいはい、ちょっとまってね。コラ、勝手に取ろうとしない」
いうが早いが、棚に齧り付くように覗き込んでいる彼女の、その予想通りで想像以上の反応を見て、思わず笑みがこぼれた。
これでもかと瞳を輝かせ、ワンピースの裾から覗かせている綺麗な足をバタつかせている彼女の姿は、歳相応の子供そのものだった。いや、今時の子供よりも素直かもしれない。少なくとも、私の小さい頃よりはよっぽど。
その様子を見てか、奥に座っている店番らしき子も思わずといった様子で微笑んでいる。
私の『待て』を守っている彼女の手を取り、財布の中から取り出した硬貨を乗せる。
「はい、これ。お嬢様には少ないかもしれないけど、駄菓子屋ってそういうものだから。勘弁してね」
「ごひゃく…………? 美咲、これは何に使うのかしら」
「…………えぇ?」
マジか。弦巻こころ、本当にあんたは私の想像を軽く超えていく女だよ。
彼女の目の前にある棚からおや◯カルパスを一つとり、見せながら説明する。
「このお菓子は一個十円、あんたに渡したお金で五十個買えるわけ。そのお金はあんたにあげるから、その額に収まる範囲で好きなものを買いなさいってこと」
「これがお金っていうものなのね! 聞いたことはあったけど、実物は初めて見たわ。これでお菓子を交換してくれるなんて、凄いのね、お金」
いや、黒い服の人達さ。一体全体どういう教育してんのよ。お金を見たことがない金持ちなんて、創作物の中だけだと思ってたよ。
「じゃあそういう事だから、自分で考えて納得のいく使い方をしなさい。私は外で待ってるから」
「美咲は一緒に選んでくれないの?」
「私はほら、ちょっと歩き疲れちゃったからさ。それに今更駄菓子屋ではしゃぐような歳でもないし、そこに座ってるよ」
「そう…………残念ね、美咲が一緒だったらもっと楽しいと思うのに」
そういった彼女はショボンとした雰囲気で、硬貨を握りしめて上目遣いをしてくる。ちょ、やめてよ。そんな目で見ないでって。なんか悪いことしてる気になってくるじゃん。
そこまで言われたら、そう思わなくもないけれど、私にもやらなきゃいけないことがあるわけで。
「じゃあ、ほら、私の分も選んでくれたら嬉しいよ。あんたのセンスを信じて待ってるからさ、ね?」
「…………うぅ、分かったわっ! 美咲が喜んでくれるように、あたし頑張るわね!」
「いや、そこまで気合い入れなくても…………って、あぁ」
もう行ってしまった。伸ばしかけた手を引っ込めて、代わりに帽子の唾を下げる。少し残念がる自分を自覚して、自嘲気味に笑った。
これも勉強みたいなものだ。子供の頃、両親に連れられて行った駄菓子屋は、それはそれは輝いて見えた。今はそんなことなくなってしまったけれど、あの時渡された百円玉は何でも買えるような気がして、とても頼もしかった。
まだ赤児の域を出ていなかった妹たちも一緒になって、色々カゴに入れてはこれじゃないと、百円を上回らないように色々考えたものだ。
店の中を駆け回って見て回る、あの子のように。私も純粋に「今」を楽しめていた時が、たしかにあったのだ。
それはもう、失ってしまったものかもしれないけれど。それは確かに…………そう、「楽しい」といって差し支えないものなのだろう。
だから、まぁ、なんというか。彼女にも、私が体験した「楽しい」を体験してほしい。そんな気持ちで、この場所に連れてきた。
「だから、この店を丸ごと買うとかやめてくださいね。こういうのは、限られた中で自分で選ぶからこそ、楽しいんですよ」
店の外で、店主らしき老人と交渉をしていた黒い服の人達に釘をさす。やっぱりか、この過保護な大人たちめ。
「しかし奥沢様、こころ様に不便を強いるわけには…………」
その言葉に反応して、今まで不満に思っていた事が溢れ出した。まずい、と思わなくもなかったけど、それでも口が止まらなかった。
「しかしもかかしもないんですって。ほら、あの子見てくださいよ。楽しそうにしているでしょう? こういう場所には、こういう場所なりの楽しさってものがあるんです。甘やかしたくなる気持ちは…………まぁ、分からなくもないですけど。なんていうか…………あんまり何でもかんでも無条件に与えるだけじゃ、得られないものもあるんです。っていうかあの子にどういう教育してるんですか、あんまり俗世から離れさせすぎるといざという時、困るのはあの子なんですよ。あんなにいい子なんですから、もしも騙そうとか害そうとかする人が近づいてきたらどうするんですか。いや、貴方達が守っているっていうのは分かりますよ。それでも万が一、もしもの事があったらって言ってるんです。いや、私だって出来る限り目を離さないようにしようと思いますよ。それだって限界がありますし、離れて見守っている貴方達もそれは変わらないはずです。何かあってからでは遅いんですよ。駆けつけるまでの間くらいは、最低限の自衛が出来るように努めさせるべきではないんですかね。いや、別に説教しようってわけじゃないんですよ。私はまだ中学生ですし、貴方達よりも世の中のことを理解できているなんて口が裂けても言えません。ですけれど、流石に今の状態のままってわけにはいかないでしょう。昨日だってあんな危ない事をして…………だいたい、立ち入り禁止の場所に入れさせて何かあったらどうするつもりだったんですか。私がもしも悪い人間で、あの子に手を出すような事があれば…………いや、実際少し危なかったかもしれませんね。とにかく、あの子にももっと警戒心を持たせるべきです。確かに、素直なのはあの子の美徳ですよ。でも──────」
「あの、奥沢様、奥沢様?」
「だから────あ、すいません。出すぎた事を言いました。ええっと、何が言いたいかっていうとですね。あんまり甘やかしすぎても本人のためにならないので、こういう場合の時は私に任せておいてほしいってことです」
「いえ、奥沢様のその────こころ様を想う気持ちはよく分かりましたので。私達は控えさせていただきます。ですが、何かあった場合はすぐに参上しますので、ご理解を」
若干引き気味だった黒い服の人たちは、代表らしき黒い服の人がそういうやいなや、一瞬で店先から姿を消していた。遠視を利用すれば彼方此方に姿が確認できるが、正直彼女たちも大分普通の人間からかけ離れていると思う。
っていうか、なんでこんな暑い夏に全身黒いスーツなんだろうか。熱さを感じないのか。
まぁ、私には関係ないけど。っていうか、私は大人を相手に何をあんなに捲し立てているんだ。思い出したら恥ずかしくなってきた。顔が熱い、いや、熱中症ではなく。
や、うん、そう、私は悪くない。甘やかしすぎてるあの人達が悪い…………はず。
内心、やらかしたなと思いながら。
駄菓子屋の前に設置された青いベンチに腰掛け、大きくため息を吐き出す。
ふと見上げた空はとても青くて、爽やかで。今の私の心を映したように、少しだけ雲が出ていた。
その雲を動かして、日差しをさえぎる。
今日は、太陽が眩しい一日になりそうだ。