奥沢美咲は、超能力者である   作:親指ゴリラ

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夏空の二人 1

 ────あぁ、堕落してしまう。

 

 心底そう思う。

 

 堕落。そう、つまりは不道徳で退廃的ということ。それは今まで味わったことがないほど甘美な響きであり、そして心地よいものだった。

 

 かつてアダムとイヴは禁断の果実を口にしたことで罪と死に支配されるものとなり、全人類の始祖になったという。

 

 だとすれば、私にとっての「禁断の果実」とは弦巻こころその人に他ならないであろう。

 

 私は五年前からずっと、なるべく自分を律して生きることを心がけてきた。なるべく、というのは私が自分の自制心をそれほど信じていなかったからであり、実際にそれは間違っていなかった。

 

 人は一度楽することを覚えてしまうと、もう不便な生活には戻れないという。どれだけ立派な人あったとしても、堕落からは逃れることはできない。人類はきっと、最初からそうあれかしとして創られたのだろう。

 

 昨日から、正しくはあの夜空の散歩から。

 

 私は自分の意思(・・・・・)で超能力を行使することを、ほとんど躊躇わなくなっていた。

 

 もちろん、犯罪行為に抵触するようなことは一切していない。何処にいるかも分からない神に誓ってもいいだろう。

 

 ただ、私の中で何かが変わってしまったのは間違いないだろう。

 

 あれほど嫌がっていたテレパシーによる読心でさえ、それが誰かのためになるならあっさり行ってしまうかもしれない。

 

 いや、違う。正直に言おう。

 

 私は彼女(こころ)の役に立てるのであれば、どんなことでもしてしまえる気がしてならない。

 

 存外、他人に尽くすタイプだったのだろうか。それとも単純に、人の役に立つ自分を肯定したいだけなのか。

 

 きっとどちらも間違ってなくて、どちらも正確ではない。

 

 私は自分が出来ることを見せびらかしてでも、五年ぶりに出来た友達の気を惹きたくて堪らないのだろう。

 

 私は凄いんだ、こんなにも君の役に立てるんだと。だから私をあなたの特別にしてほしい(愛してほしい)と。

 

 きっとそんな感じだ、笑えてくる。

 

 私はこんなにも、他人に依存しなければ立てないほど弱い人間だったのだ。

 

 だからこの感情はきっと、堕落と表現するのが相応しい。

 

 それが良くないことだと自覚しているのに、その魅力に抗うことができない。私の理性は禁断の果実によって破壊され、本能だけが残されてしまったのだ。

 

 どんな手を使ってでも、この黄金の輝き(果実)を手元に残したい…………いや、私のモノにしてしまいたいという、ドス黒くて邪悪な欲望が。

 

 ────それと同時に、欲望よりも遙かに小さい良心が耳元で囁く。この友達を、私の果実を、傷つけたくないのだと。

 それは本当に本当に、微かに残された理性を掻き集めて発せられた声で、それでも私はその気持ちを捨ててしまいたくない。

 

 だってそれを忘れてしまったら、きっと私は────。

 

 

 

攫って閉じ込めてしまえばいい、私にはそれが出来る

 

 このどこまでも肥大した怪物の心に、屈してしまうだろうから。

 

 

★ ★ ★

 

 

 

「あら? 美咲、いまなにか言ったかしら?」

 

「えっ? …………いや、なにも言ってないけど」

 

「そう…………美咲の声が聞こえた気がしたのだけど、気のせいだったみたいねっ!」

 

 

 鼻歌でリズムを取りながら、弦巻こころは私の前を歩いている。なにがそんなに楽しいのだろうか、スキップがやけに上手い。

 

 少しだけ、意識がなかったような気がする。またなにかくだらない考え事をしていたのか、それとも夏の暑さに頭をやられてしまったのだろうか。

 たびたび、こういう事がある。

 

 世界には私一人しか存在していなくて、それ以外は虚無が全てを埋め尽くしているような。そんな孤独感を感じるのだ。全部私の錯覚なんだろうけど。

 

 それにしても、まぁ。

 

 

「そんなに楽しい? こんなの普通の田舎じゃん」

「だって、ここはあたしの見たことないものでいっぱいだわっ! 美咲、あの水の中から生えている植物はなに?」

 

「いやいや、田んぼくらい流石に見たことあるでしょ」

 

「あれは田んぼって言うのね! 初めて見たわっ! たくさん生えてるわね、少しくらい貰っても大丈夫かしら」

 

「いやごめん違うから! あれは稲っていう植物で、私たちが食べてる米の元の姿! 田んぼは稲を育てるために必要なこの場所のこと! あとこれ所有者がいるから! 人のものを取っちゃダメ!」

 

「あら、それは残念ね。あたしもイネ? を育ててみたかったのに」

 

 もう今更この子の言動に驚くことなんかないと思っていたけど、流石に田んぼも知らないなんて予想外だった。この子ほんとに幾つなんだ、中学生かどうかも怪しいぞ。

 

 …………ん? っていうか、うん?

 

「あれ? あの街も都市開発前には田んぼ無かったっけ? ほら、いまは住宅街になってるところ」

 

「そうなの? あたしはそのトシカイハツ? っていうのが終わったあとに街に住み始めたらしいから、知らなかったわ。どうして田んぼを無くしちゃったのかしら、こんなに綺麗な景色なのに」

 

「いやまぁ、開発に伴って土地の値段も上がったし、みんな手放しちゃったんだろうね」

 

 私がそう言ってるうちに、弦巻こころは田んぼの淵へと寄って中を覗き込んでいた。太陽の光を受けて輝く水面に、考え事をする彼女の顔が映り込む。

 

 …………なんか、嫌な予感がする。

 

「そうよっ! あたしの家の庭に田んぼを作ればいいのよ! そうすればあたしもイネを育てられるわっ!」

 

 は?

 

「いやいや、流石にそれはどうなのかなーって。田んぼ仕事っていうのは大変なの、あんたみたいな子供一人に出来るような事じゃないって、やめときなよ」

 

「やってないのにどうして成功しないってわかるの? それに一人じゃないわ、美咲も一緒よ!」

 

「…………いや、私は遠…慮……しとく……」

 

「そう、残念ね」

 

 いやいや、私……なんで、ちょっと心揺れちゃってんの。この子と二人で田んぼ仕事なんて、どんだけ大変だと思ってんのよ。

 

 いや、まぁ。超能力使えば楽だろうけどさ、多分この子のやりたい事ってそういう事じゃないだろうし…………うん、でも…………少しくらいなら…………いやいや、稲作だよ? うら若き女の子のやる事じゃないって。

 

 いや、でも、もし、もしもだよ? 私とあの子の二人で────。

 

 

 

『すごいわ美咲! あなたってとても力持ちなのね!』

 

『美咲、おつかれさま! 一緒に休憩しましょう。あたし、あなたのためにお茶を入れてきたのよ! …………口に合うといいけど』

 

『美咲! これを見て! こんなにたくさん穂をつけて…………あなたが頑張ってくれたおかげよ!』

 

『あなたと一緒に作ったおにぎり、今まで食べた中で一番美味しいわ!』

 

『美咲、これからも二人で頑張っていきましょうね…………』

 

『美咲、あたし、実はあなたの事が…………』

 

 

 

 

「美咲ー! そんなところで立ち止まってないではやくいきましょうよー!」

 

「だあああああああああああああ!!!!」

 

「わっ、ビックリしたじゃない。急にどうしたの?」

 

 いや、いやいや、それはない。流石に愛情に飢えすぎているだろう、なんだその痛々しい妄想は。うら若き乙女の自覚はあるのか。相手は歳下で、同性で、友達なんだぞ。流石に…………そこまでいったらおしまいだ。

 

 ない、ないない。流石に今のはない。

 

 急に声をかけられたことで、どう考えても年頃の女の子が出すべきじゃない声を出してしまった。それくらいには、自分の頭の中の映像がヤバイってことを自覚できていた。

 

 …………うん、大丈夫。私はまだ正気だ。まだ理性は残っている。さっきのはきっと、夏の暑さが見せた気の迷いだ。そうに違いない。

 

 

 私がそんな不埒な妄想をしている間に、弦巻こころとの間にはまた距離ができてしまっていた。

 

 青い空と、緑豊かな自然を背景にして。

 金糸を振りまいて路を行く彼女の後ろ姿は、それだけで一枚の絵画として完成してるといってもいいのではないだろうか。

 

 普段見慣れた何気ない光景も、弦巻こころという存在を一つ加えるだけで鮮烈に思えるのだから不思議だ。

 

 異国人めいた風貌の彼女には、ことのほか日本の景色がよく似合う。私にはない華やかさが、黄金の輝きが、私の感情を刺激する。

 

 いっそ、このまま遠くから彼女を見つめていられれば、私は、それだけでも────。

 

 

『────────っ』

 

 

 あれ、いや、なんでだろう。彼女の口にした言葉に、何か違和感があったような。

 

 彼女へと向けて進めていた足を止め、そしてまた前へと動かす。立ち止まっていたらきっと、見失ってしまうことだろう。考え事をしている暇なんてない。

 

 ないのだが、それでも考えを巡らせる事をやめられない。最初は僅かなものだった違和は、それがそうであると認識した途端、私の中で無視できないほど大きなものへと変わってしまっていた。

 

 何がおかしいんだろう、弦巻こころは変な事を言っていないはずなのに。いや、突拍子も無いって意味なら十分変な発言をしているけど、そうじゃなくて。

 

 こう、真っ白なミルクの中に、一滴だけ黒いコーヒーを混ぜたような。そんな、純白が失われてしまったかのような。微かなものでありながら、決定的に何かがおかしいと理解できるそれの正体を、私は自分の記憶の中から、探らざるをえなかった。

 

 

『だって、ここはあたしの見たことないものでいっぱいだわっ! 美咲、あの水の中から生えている植物はなに?』

 

『あれは田んぼって言うのね! 初めて見たわっ! たくさん生えてるわね、少しくらい貰っても大丈夫かしら』

 

『あら、それは残念ね。あたしもイネ? を育ててみたかったのに』

 

 いや、これは違う。たしかにあの歳で田んぼも知らないのはおかしな事だけど、それとは別に、もっと、もっとおかしな何かが、あったはず────。

 

 

 

『そうなの? あたしはそのトシカイハツ? っていうのが終わったあとに街に住み始めたらしいから、知らなかったわ。どうして田んぼを無くしちゃったのかしら、こんなに綺麗な景色なのに』

 

『────────』

 

 

 ────ふと、昨日の夜の出来事の一部が、頭の中に蘇った。

 

『引っ越し! 素敵ねっ! あたし、引っ越しってしたことないのよ。一度はやってみたいわね』

 

 

 

『あたし、引っ越しってしたことないのよ

 

 

 あ、そうだ。これだ、これが気になっていたんだ。そうだ、じゃあ、あの子はなんで、あんな事を。

 

 …………些細な、本当に些細な事だ。彼女の言葉の中に紛れ込んだ、ほんとうに小さな矛盾。

 

 だけど、私にはそれがどうしようもなく気になって仕方がなかった。あぁ、彼女はいったいどういう意味であんな事を言ったのだろうか。

 

 私へと振り向いて笑う弦巻こころには、その灰色はとても似合わないというのに。

 

 

 

『そうなの? あたしはそのトシカイハツ? っていうのが終わったあとに街に住み始めたらしいから、知らなかったわ。どうして田んぼを無くしちゃったのかしら、こんなに綺麗な景色なのに』

 

 じゃあ、あんたは。それまでいったい、何処で何をして────。

 

 

「美咲?」

 

 私の眼を覗き込む彼女の瞳は、それはそれは楽しそうで。だから私は、理解してしまった。私はきっと、これからも、ずっと、あの子に、私の、約束は、避けられなくて。

 

「もう、すぐに考え事を始めるんだから。せっかくこんなに楽しいのに…………そうよ! あたしが手を引いてあげるわっ!」

 

 

 彼女に手を引かれて、私は────。


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