プロローグ ひまわりの約束
弦巻こころが我が家にやってきた。
当たり前のように居間に居座っていた彼女の姿を見て、思わず吹き出しそうになった。いやこれ、私のプライバシーとかどうなっているんだ。ほんと、なんでもありなんだな。
まぁ、別にそれが不快というわけではない。
たとえ伝えてもいない個人情報が相手に筒抜けで、連絡もなしに、突然、家まで突撃されたのだとしても。普通の人がどんな反応をするかは知らないけれど…………少なくとも、私は嫌じゃなかった。
むしろ、その、なに?
誰かが訪ねてくるなんてこと、私にとってはかなり久々のことだったから。だから、なんだ、あぁ、ちくしょう。本当に単純な奴だな、奥沢美咲。
こうして普通の友達のように遊べることを、少しだけ嬉しく感じてしまっているわけだ。
そりゃあ、あんな別れ方をした翌日に再会するなんて、普通は気まずいどころの話じゃないけど。
あんなに、まるで太陽のように輝く笑顔で。
私が誘いを断ることなんか、これっぽっちも考えていませんって顔で誘われてしまったら、さ。そりゃあもう、私だけがそんなちっぽけな事でうだうだと悩んでいるなんて、バカバカしくて笑ってしまうじゃないか。
だいたい、祖母も祖母だ。
私を訪ねてくる人がいたのなら、さっさと起こしにくればいいのに。余計な気を利かせて、もう少し寝かしておこうだなんて。
そのくせ、自分は孫の客とお茶を飲みながら、楽しそうに世間話って。
…………別に、それが気に入らないってわけじゃないんだけど。でも、もっと早く起こしてくれたら、もっと沢山あの子と────。
いや、違う。違うから。
拗ねてなんかないし、嫉妬なんかしていない。私は、そんな面倒くさい女じゃない。
祖母の「わかってますよ」とでも言いたげな微笑みが頭の中をチラつき、なんとも言えない感情が胸の中を駆け巡る。私って、自分が思っている以上に顔に出やすい性格をしているのかもしれない。
身だしなみを整えるために洗面台へと向かい覗き込んだ鏡の中には、赤面しつつも不貞腐れたように口先を尖らせた、それはそれは素直になりきれない年頃の少女が映り込んでいた。いや、あんた誰だよ、私か。
誰も見ていないのは分かっている。さっさと着替えて、さっさと弦巻こころを迎えにいこう。
蛇口を捻り、流れてくる水で顔を洗う。汗をかいた肌にひんやりとした感触が染み渡る。その刺激が意識を呼び起こし、頭の中もハッキリとしてきた。
念動力を使用し、乾燥しない程度に水分を吹き飛ばす。寝間着代わりのシャツとパンツを脱ぎ捨て、洗濯カゴへ放り込む。
そのまま足早に自室へと戻ると、襖を閉めきる。誰も見ていないことを確認し、部屋の中からブラシと着替えを念動力で引き寄せる。
姿鏡を見ながら素早く着替え、念動力で髪を整えながら、同じく念動力で荷物を引き寄せる。
化粧は…………うーん、あんまり気合い入れてもなんだし、肌のケアと日焼け止めだけでいいかな。汗で化粧が落ちたら悲惨だし、あの弦巻こころのことだ。どうせあちこち動き回ることだろうし。
最後に髪留めで前髪を固定し、遠視で自分自身を俯瞰することで、身だしなみの最終チェックを行う。
うん、これでよし。
ちょっと浮かれすぎてるかな、とは思うものの。
折角遊びにきてくれた
たぶん、本当は私の方が待ちきれないんだと思う。
だって、五年越しの『友達らしいやりとり』な訳だから。だからきっと、あの子も許してくれるよね。
なぁ、弦巻こころ。あんたもそう思ってくれていたら、私は嬉しいよ。
☆ ☆ ☆
「さぁ美咲、行きましょう! あなたの暮らす街を探検よ!」
「あーはいはい、ちょっとまってねせっかちさん」
っていうか、街じゃなくて村だし。
今すぐにでも駆け出そうとする弦巻こころを呼び止めながら、その両肩を抑える。どうせ言葉で言っただけじゃ止まらないってことは、短い付き合いでもこれ以上ないほど理解している。
結局、祖母の提案で私は彼女と一緒に昼ごはんを食べることになった。祖母の出してきた素麺は夏に食べるにはピッタリで、ややバテ気味だった私でもスルスルと箸が進んだ。
弦巻こころは落ち着きなく食べる事かと思いきや、意外にもテーブルマナーはちゃんとしていた。そりゃそうか、直接聞いたわけじゃないけど、良いところのお嬢様っぽいし。
関係ないけど、素麺の薬味はオクラが一番だと思う。
だけど、この子が静かだったのも昼ごはんが終わるまでの話。
私が食器を片付けている間に準備を終えた彼女は、玄関で今か今かとその瞬間を待ちわびていた。そんなに急がなくても誰も逃げないって…………いや、時間は過ぎていくか。
あの黒い服の人達が用意したのだろうか。
袖のない純白のワンピースに身を包んだ弦巻こころの姿は…………なんというか、本当によく似合っていて、その、すごく綺麗だった。
無邪気な笑顔が良く映える。その衣装に負けないほど、彼女の肌は透き通るような白色で、シミひとつないシルクのようで。
だからこそ、まだ外に出すわけにはいかなかった。このままでは日焼けしてしまう。田舎は都会と比べて空気が綺麗で、日差しがダイレクトに降り注いでくる。
日光を遮る背の高い建物もなく、広大な田畑が村の主な部分を占める以上、日除けする場所も少ない。
体をウズウズと震わせながらも、背中越しに私を見上げて、大人しく私の許可を待つ彼女から視線を逸らす。彼女が私を見上げているってことは、私は彼女を見下ろしているわけで…………いや、流石にそれはズルイって。
まだ玄関を出ていない以上、頬の赤みを指摘されたら言い逃れができないじゃないか。なんで、ブラ、着けてないんだよ。私よりも大きいのに、えっ、嘘でしょ…………?
視線を逸らしたついでに、玄関の外。嫌味なくらい明るい空を見上げる。私の視線につられるように、弦巻こころも空を見上げた。
よかった。雲は少ないけど、皆無という訳ではない。
なるべく近いものへと焦点を合わせ、意識を集中させる。雑念を払うためにも、ちょうどよかった。
私とこころの視線の先で、大きな雲が移動を始める。その雲は、強い風が吹いてる訳でもないのにやけに速く…………それでいて、不自然ではない程度の速度で動き、太陽と私たちを遮るようにして、日陰を作り出した。
うん、私の念動力だ。初めての試みだが、案外出来てしまえるものだ。
よし、と。彼女の肩から手を離せば、待てをやめた後の犬のように走り出す。実際、あんまり変わらないのかもしれない。どっちが飼い主なのか、分かったものじゃないけど。
今からこんなんじゃ、黒い服の人たちを過保護って言えないかも。
「ほら、美咲! ぼーっとしていないで、あたし、待ちきれないわっ!」
…………だから、足が速いって。あと、声がデカい。
ちょっと目を離したすきに、弦巻こころはさっさと走っていってしまった。家の前に整えられた一本道を、金色の彗星が駆け抜けていく。その先で振り返って私を呼ぶ彼女は、ある意味でいえば、とても幻想的で。
あぁ、なんだ。私はきっと、こんな日常が帰ってくる時を待ちわびていたのだろう。
なにに怯えることもなく、自分で自分を縛ることもなく。まだ、少しだけ後ろめたい気持ちもあるけれど。
「そんなに呼ばなくても、私はいなくならないってのに」
その言葉はきっと、あの日の後悔を引きずっているからこそで。だからこそ私はこんなにも、あの子の呼び声を拒むことができないのだ。
弦巻こころが私を呼ぶ声は、当然のように私を引き寄せる。まるで、暗闇の中で見つけた一筋の光を頼りに前へ進むかの如く。それは抗いがたい、獣の本能のようだった。
紐をきつく結びなおし、踵を合わせる。
「いま行く」
全力で地面を蹴り出せば、みるみるうちに景色は流れ、私の体は彼女の方へ飛び出した。
たぶん、運動部の男子よりもずっと足が速いんじゃないだろうか。
頬にあたる風と、嬉しそうな彼女の笑顔が、とても心地よい。
慌てて追いかけてくる黒い服の人たちを流し目で見つめながら、私は誰よりも速く、こころの元へと辿り着いた。
さぁ、いこう。あんたに見せたいものが、あんたと一緒に見たいものが、沢山あるんだ。こんな私でも、それくらいの欲望はあるんだよ。
私たちの長いようで短い一夏の体験は、こうして始まりを告げた。
いやほんとごめん。次回から高校生編って言ったじゃん? あれ嘘になっちゃった><
はい。美咲とこころが二人で田舎を駆け巡る感じの閑話を挟み込もうと思います! 一夏のアバンチュールってやつですかね! よく考えたらアバンチュールって言葉の正しい意味知らないんですけどね!
あとこれ関係ないことなんですけど、ひまわりの花言葉って「憧れ」「あなただけを見つめる」らしいですよ。