「変わってない…………なんて、お世辞でもいえないかなこれは」
記憶の中のそれとはすっかり様変わりしてしまった街を見て、自然と言葉が出てきた。
(いやいや、流石に変わりすぎでしょ)
私がこの街を出ることになったのは、実に五年以上も前の出来事だ。
それを遥か昔の話だと、あるいは少し前のことだと判断するのかは、それこそ人によって違うだろう。
流れた年月は人の平均的な一生からすれば一割にも満たない長さかもしれないが、私の積み重ねてきた人生においては全体の三分の一ほどになる。
そうでなくても、幼い頃の経験というのはその人の人格形成に大きく影響を与えるらしい。
こういう場合、案外子供の頃の記憶というのは当てになる。瞼を閉じて思い出を呼び起こせば、在りし日の街の風景が、幼い頃の私の姿と共に浮かび上がる。
瞳を開き、思い出の景色を視界に重ねる。
街はすっかりその色を変え、世界はコンクリートの建造物に支配されていた。
都市開発があったことは、話には聞いていた。
私がこの街を出ることになった少し後、つまりだいたい五年ほど前に話が持ち上がり、そのまま特に障害もなく開発は決行された。
それは急な話だったらしく、当時の住民たちはそれはそれは困惑していたそうだ。
それでも反対の言葉が上がらなかったのは、開発自体が街の発展に直結するものだったからなのか。
あるいは、大きな力のある権力者が後押しをしたからだと実しやかに噂されている。
どこから出てきたのか分からない膨大な開発費を考えれば、そこそこ信憑性のある話なのかもしれない。
なんでも、なんたら財閥とかいうところのトップが娘一人のために街を快適に作り替えたんだとか。流石にそれは噂話に尾びれ背ひれが付きすぎていると思うけど…………実際にはどうなんだろ。あんまり興味があるわけでもないけど、気にならないこともない。
とにかく、私の生まれ故郷は私の知る街とは全く違うものになっていたということだ。
五年前は、こんなに大きな駅ではなかった。
もっと細々とした、それこそ無人一歩手前のローカルな駅だったし、自動改札なんてなかった。
何食わぬ顔で切符を通して改札を抜けた私は、そこから見えるものに圧倒されていた。
これでもかと立ち並ぶビル群があった場所は、昔は子供たちの遊ぶ広場だった。
変化はそれだけではない、そんなもの序の口だ。
見たこともないくらい大きなショッピングモールが併設されてるわ、国際開発のステーションだかなんだかへの案内はあるわ、バスは全自動になっているわ。
いやいや、ちょっとした近未来都市になってるじゃん。なにこれ、ここまで開発されきってるってのは流石に想定してなかったんだけど。
(これは望み薄かな)
少しの落胆を覚えつつも、足を踏み出す。
今日はそれなりに予定が詰まった一日なのだ。
無為に過ごす余裕はない。
☆ ☆ ☆
私がこの街を引っ越してから、この場所を訪れることは一度もなかった。
そう、五年間で一度も。
なにも金銭的、あるいは距離的な問題で足踏みしていたわけではない。そもそも思い入れがなくて古巣に戻るつもりがなかった、という話でもない。
前述した問題は超能力を使えばどうとでもなるし、後述した可能性については今日という日を迎えている以上前提としてありえない。
じゃあどうしてかって話をするためには、実は私がこの街を出ることになった原因まで遡る必要がある。
とはいっても、そこまで長い話になる訳ではない。
端的にいってしまえば、そう。
私の両親が、離婚したのだ。
────あぁ、やっぱり。
両親が離婚するという話を聞いた時、私が思ったことはそれだった。
どうして、だとか。絶対にいやだ、だとか。
私が普通の小学生だったら、そう考えていたのかもしれない。父と母、二人の気持ちを知ることもなく、ただの聞き分けの悪い子供のように駄々をこねていたのだろう。無様に、みっともなく。
両親が離婚を考えていたことは、前々から知っていた。
勘違いしないでほしいのは、両親が普段から不仲だったとか話し合いを重ねていたとか、小学生の私に可能性をほのめかしていたとかそういう訳ではなかったということ。
さらにいえば、両親がそういう雰囲気を隠すのが下手くそだった訳でもない。むしろ、二人ともそういったことはとても上手だった。
自身の本心を悟らせることなく、家族のことを愛しているふうに見せかけるのは人並み以上に得意な二人だった。
じゃあ、どうして私が二人の離婚を前もって把握していたのか。
まぁ、なんていうか。とても簡単な話で。
当時、私はすでに自分が超能力を使えることを自覚していた。
つまり、そういうことだ。
私は二人の心の中を覗いて、その本心を知っていたのだ。
二人とも家の外に愛する者がいて、そのために家庭の崩壊を望んでいた。いつからそうだったのか、それは私にも分からない。
ただ、私が超能力を使えるようになった時には、既に手遅れだった。
二人の間の愛は冷えきっていて、私たち子供へと向けるものも同様に、冷めた感情だった。
それを知った当時の衝撃は、筆舌に尽くしがたい。
これが普段から仲が悪かったら、まぁそういうこともあると思えただろう。しかし、二人は自分を偽るのがとても上手だった。普通の、ありふれた家族愛を演じながらも、心の中では相手をなんとも思っていなかったのだ。
人は、こんなにも平然と嘘をつける生き物だったのかと。超能力を手に入れたことで色々な問題を抱えていた私は、誰にも相談できないまま、二人をそのまま放っておくことにした。
もしかしたら、私が超能力を十全に使って二人の関係を取りなしていたのなら。今でも私はこの街で、あの頃のように家族全員で夏を迎えていたのかもしれない。
でも、私はそうしなかった。二人の演技によって心に刻み込まれた失望と、なにより自分の力に対する恐怖心がそれを憚らさせた。
だって、超能力で人の心を操るだなんて。
それではまるで、私が怪物のようではないか。
あとは、あっという間だった。
私が超能力を手に入れた夏と同じ年に、両親は離婚し、私は二人の元を離れて母方の祖母の家へと転がり込んだ。
弟と妹は、それぞれ父と母に一人ずつ引き取られていった。
私が父と母の両方から離れていった理由は明白で、親を信じることが出来なかったからだ。引き取ってくれた祖母が善人でなければ、きっと根っからの人間不信に陥っていただろう。
だから、その選択肢を選んだことを後悔はしていない。
ただ、心残りがあるとするならば。それは見捨ててしまった弟と妹のこと。二人がいまも親の愛を信じて、それなりに幸せな生活をしていることは遠視で知っている。意外に思われるかもしれないが、二人に対しては時々手紙や贈り物を届けたりもしている。
だが、直接会う勇気を私は持てないでいた。
両親がかつての家庭を捨てたように、私も二人のことを見捨ててしまったから。
…………話を戻そう。
そういった経緯で街を離れた私は、なんとなくここを訪れる気にならなかった。いや、重たい背景を語っておいてなんとなくっていうのはないか。多分、街の面影に幸せだった頃の記憶を重ねるのが怖かったんだと思う。
場合によっては、一生ここには近づかないかもしれなかった。
そうならなかったのは、私がどうしても確かめないといけないことがあったから。探さなければいけないモノがあったから。
そのために、私はもう一度この街に暮らすことにした。
今日訪れた理由は、その下見だ。
私は今年、中学校を卒業する。そしてこの街の高校へと入学し、一人暮らしを始めるつもりだ。
これは割と前から決めていたことだ。
祖母はいつまでも家にいてくれていいと、本心からそう言ってくれたが、私はそれを断った。
私にも目的があって、そのためには家を出る必要がある。祖母は本当に善い人だったから、しっかり話をすれば許してくれた。
そのかわり、私はそれなりに大変な思いをすることだろう。
なにせ、一人暮らしだ。自分の面倒は自分で見る必要があるし、生活のためにバイトもするべきだろう。祖母は仕送りをしてくれるらしいが、それに頼ってばかりではいられない。
自分のわがままが原因で負う苦労くらいは抱えていかないと、この先一人でやっていくのは難しいだろう。
ただでさえ、私は心がそんなに強くない。
あの夏以降、どことなく諦め癖というか、自分に見切りをつける事が多くなった。
それは家庭を諦めたことが原因なのか、超能力という人の身にあまる力を手に入れて物事に真剣に取り組めなくなったのが原因なのか。あるいは、その両方か。
一人暮らしをしていく上で、全てのことに自分で責任を持つ。
それくらいの気持ちでいないと、きっと私はまた諦めてしまうだろう。あの夏のように、家族を捨てた日のように。
☆ ☆ ☆
夏の暑さが原因なのか、らしくもない事でうだうだと頭を悩ませてしまった。
家族のことはとっくに心の整理をつけているし、今更思考のリソースを割くようなことでもない。
携帯で地図を確認しながら、目的地へと進んでいく。
駅前で感じていた都会感も、その場を離れてしまえばそこそこ落ち着いたものとなっていた。
たしかに祖母の家がある場所は田舎だったが、だからといって田んぼと畑まみれだったって訳でもない。
この街の住宅街は見覚えのないものへと変わっていたが、だからといって見慣れないというほどではない。
いってしまえば、普通の景色。
安心感のある、普通の街並み。
通り過ぎていく人々を視界の端に捉えながら、思う。やっぱり、何事もそれなりなのが一番だ。
夏休みだから、だろうか。
すれ違うのは小学生や、私と同じくらいの年頃の子が多い。みんな、それぞれの生活を幸せに過ごしているのだろう。全体的に表情が明るい。
だから一人だけ地面を見ながら歩いている事が、ちょっとだけ気になった。
すれ違いざまに様子を伺うと、可愛らしい顔と、そこに浮かび上がる憂鬱そうな表情が印象的な子だった。髪の色が少し明るくて、良くも悪くも普通の女の子といった感じだった。
それが、妙に気になってしまう。どこかで見たことがあるような、あるいは、出会ったことがあるような。
声をかけるか少しだけ迷って、そうしているうちに少女は角を曲がって私の視界からいなくなってしまった。
なんとなく小骨が喉の奥に刺さったような気持ちになって、首をかしげる。
はて、私はあの子にいったい何を感じていたのだろうか。ごく普通の女の子相手に、何をそこまで気になっているというのか。まさか、恋心でもあるまいし。
…………いや、違うよね?
☆ ☆ ☆
頭の片隅で先ほどの少女のことを考えながらも。私は足を進め、やがて目的地へと到着した。
建物の入り口には大きな門と、大きな文字で『花咲川女子学園』と書かれた学校銘板がある。
そう、私が来年から通う予定の学校だ。
夏休みであるにも関わらず、そこには沢山の人が集まっている。
今日、私がこの街を訪れた理由の一つがこれだ。
うん、そうなんだ。
色々大げさに語ったけど、今日は学校見学をしにきたんだよね。
思わせぶりでごめん。誰に謝っているのか自分でも分からないけど、とりあえずそう言っておくよ。