プロローグ
恋愛にハッスルする女の子が書きたかったんだ。
一度目の転機は六歳の頃。
お母様が死んでしまったとき。
二度目の転機は、私が十歳の頃。
あの日、あの時の運命の出会い。
当時、十六になった異母姉がマルセルという使用人と駆け落ちをしたことが発端だ。
タチアナは濃い黄金をたっぷりと優雅に巻き、それに劣らぬくっきりと彫りの深い華やかな美貌が印象的な美女だ。そして、男たちを魅了する瑞々しい豊満な肉体が、そこに立つだけで匂い立つような色香が漂う。
体のメリハリを際立たせるマーメイドドレスを好んで着ているので、妖艶さが芳醇な香りの百合のような人だった。
マルベリー伯爵家の長女であり、王太子の側近を務める次男のクロード様と婚約している立場であった。
お世辞にもタチアナお異母姉様は優秀な学力を持ってはいなかったが、非常に華やかで社交的だった。長男へ嫁ぐことは出来なくても、次男を婿入りさせることにより縁故を作るにはうってつけだ。
だが、異母姉はクロード様のことを物静かで、その、堅物でつまらないとよく詰っておいででした。私は、遠くからしかクロード様を見たことがない。
背の高い、明るい金髪の人だった。ピンと姿勢が伸びていて、真っすぐ立つ人だな思ったのが印象的。
引っ込み思案の私は、異母妹のセシリアのようにあの二人に割って入ってご挨拶なんてできなかった。
そもそも、お父様ですら私の為に挨拶の場を設けて下さらなかったのがよけい惨めで悲しかった。
私は、三姉妹の中で唯一母が違う。
六歳までは、お父様も私を愛してくださったと思う。
でも、お母様が馬車の事故でしまった。そして死んでから半年もしないうちに後妻としてルビアナ義母様を家に住まわせるようになった。
別宅でもなく、本宅に女主人として。
しかも、六歳も年上の異母姉タチアナと半年違いの異母妹セシリアまで連れてきた。
お母様は女伯爵だった。お父様はそういったことが苦手で、お母様の右腕であった家宰がかわりに勤めていた。お爺様の代からいた執事だ。
碌に仕事を引き継げていない状態であったお父様は、仕事に打ち込むより心の穴を埋めるために愛人たちを正式に屋敷に引き入れました。
ショックじゃなかったと言えば嘘になる。
義母も異母姉妹も非常に華やかで美しい人で、私は気後れしてしまった。お父様は三人を非常に歓迎していて、お母様が亡くなって以来久々に明るい顔をしていた。
三人は毎日のように買い物をしてドレスやアクセサリーを買っていた。
使用人たちは誰もが苦い顔。でも、爵位はお父様に会ったので叩きだすことはできなかった。
温かく慎ましい家が、派手な調度品で埋まるのが嫌だった。
どんどん居場所がなくなり、屋敷の隅っこで使用人たちに守られながら過ごして一年。
屋敷の状況を知ったお母様方の祖父母がカンカンになって乗り込んできて、凄まじい剣幕で怒鳴り散らしていた。
非常に優秀な強化魔法の使い手の祖父母は、辺境伯の地位を頂いて深き森と呼ばれる魔物の住処から、魔物が入ってこない様に監視し、時には討伐する役割を担っている。
その働きで王家から叙勲を受ける程、大事なお役目。滅多な事では来ない人たちなのですが、その滅多なことが起こったのです。
どんな取り決めがあったかは知らないけれど、その直後に深き森の近くでスタンピードという魔物の大量発生が確認されてお爺様たちは戻っていった。
「もし、何かあったら手紙を出しなさい。すぐに来るからね」
「私たちの可愛い孫、ベアトリーゼ。誇り高きマルベリー血を持つ、エチェカリーナの娘なのだから」
握らされた古い紙。それが魔法のスクロールの手紙だと分かったのは、暫くしてから。
これは生命線だと思って、大事に大事にとっておいた。
(結局、ゴミだと思ったセシリアが捨ててしまったけど)
大事に宝石箱に仕舞って置いたら、部屋に来たセシリアが「お異母姉様、可哀想。こんな紙切れが宝物なんて!」と暖炉にくしゃくしゃにして投げて、代わりにお下がりの宝石を詰めて返してきた。
彼女なりの善意なのが質の悪い。
こういうことは何度もあった。
タチアナ異母姉様は「つまらない子」と小ばかにする。ある意味こちらの方が害もない。
でも、セシリアは善意で人の物を滅茶苦茶にする。そして、それをやめてというとお父様は「シシィの優しさが分からないのか!」と憤慨するのはよくあること。
私の言い分など、聞いてくれないの。
だけれど、その『優しさ』からくる施しのせいでお母様の形見のブローチをどっかになくされて、代わりにゴテゴテした少女趣味のダサいブローチを寄越された。
あれは地味だけれど、一級品のスタールビーだったのに。
大事な思い出の絵本は、汚いと言われて好みじゃない少女趣味の恋愛小説に本棚の中身を変えられた。
お母様のドレスを仕立て直したお気に入りのワンピースは「可愛くしてあげる」と言われて、似合わない玉虫色や蛍光色のリボンを付けられた。
しかも、針子に頼んだのではなくセシリア自らやったのであちこち布が破れて引き攣れて、血の跡が点々と残った。折角の白絹が小汚い布になってしまった。
お父様は、私とセシリアが泣いていると有無を言わさず私が悪いと決めつける。
倉庫に反省しているように閉じ込められたことすらあった。
従僕たちや執事たちやメイドたちから非難轟轟で、挙句お父様の代わりに仕事をやっている家宰すらカンカンに怒って経緯を説明したら渋々出してくれたのは半日後。
しかも、お父様のお言葉は「シシィには悪気はないんだ」ですって。
お父様に対する期待が消えて、ますます落ち込んだ。
しかも、セシリアは泣いていたからって新しいドレスを数着貰っていた。
こんなことを繰り返しているうちに、お父様はからどんどん使用人たちの心は離れていく。
こんなこともあり、一見平和に見えるマルベリー家はすべての仕事を回している使用人たちVSお父様と義家族たちという構図。
お父様は伯爵だけれど、仕事はできないし把握していない伯爵。張りぼて当主。それを何とかしているのは家宰をはじめとする使用人たち。
古参であり、辺境伯の祖父母からのバックアップのある使用人勢は強かった。
ルビアナお義母様やタチアナお異母姉様、セシリアだって使用人たちにストライキを起こされたら困る。新しい使用人を雇って、それらに任せて社交場に出て何度か大恥をかいたそう。
流石にそれで懲りたみたい。
エチェカリーナお母様と違い、三人は貴族への人脈が薄い。
いくら美人でも不作法で下品だと烙印が押されてしまえば、お付き合いのできる層も知れたものになってしまう。
それでも、粘って何とか取り付けたタチアナお異母姉様とクロード様との縁談。
相手は公爵家であり、格上。まさに素晴らしい縁談だったと思うの。
事実、ルビアナ様(義母と呼ぶのもちょっと……)とセシリアは喜んでいた。
ケッテンベル公爵家の次男であるクロード様がこちらへ婿入りだけれど、お父様も元は婿入りだったし。
伯爵様(父親としてちょっと……)は何とか取り付けた縁談の本人、乗り気のルビアナ様、特にポジティブモンスターの気があるセシリアは愚痴や相談を言っても取り合ってくれない状況。
でも、張本人は乗り気でなかった。
業を煮やしたタチアナ様(心の中では姉ではない)は、私を呼びつけて愚痴る日々。
口を開けば、婚約者への不満ばかり。やれ「愛想がない」「鉄面皮なの?」「女心が分からない」「あれなら使用人のほうがマシ」「家柄だけが取り柄」「私はもっと気さくで優しい人がいい」「なんであんなオッサン」※年の差は六つだけ。などと、マシンガンのように顔合わせが終わる度にネチネチと不満を漏らしていました。
私はクロード様をよく知らない。真面目な方なのかな、となんとなくわかる程度。
クッキーを親の仇のようにかみ砕き、肘をテーブルについて顔を苛立ちに歪めるタチアナ様には自分への共感と同意しか必要としていないようだった。
お作法の先生に絶対怒られる食べ方です。
私やセシリアは十二歳も違うから、六歳差のタチアナ様の方に縁談が行くのは自然。むしろ、クロード様に非もなく好みと会わないというだけで破談にしては、慰謝料を払うのはうちだろう。
もとは、タチアナ様に良い縁談をと奔走したからできた御縁。
当然、普段はタチアナ様に激甘なお父様も流石にお許しにならなかった。
結果、家のお金や宝石を盗みクロード様の従僕と駆け落ちなさったタチアナ様。
しかも、その使用人のマルセルだかマルクルだかはケッテンベル家の宝石をいくつか盗んで逃げたそうです。
運がいいのか悪いのか、マルセルはケッテンベル家の外戚だった。そして遠縁でもある、縁故採用。
互いに非がある形だが、やっぱり張本人がこちら側から出てしまっている以上にはマルベリー家が悪い。
かわりの別の娘との縁組となったのは、ひとえに婿入りによるマルベリー家当主というのが美味しいからだろう。
お父様はアレな方だけど、母と残された使用人や領地、資産は立派な財産。祖父母との縁もなくしたくないという貴族的打算もあったのでしょう。
ダニエル様は「セシリアには可哀想だ」と、半年違いの異母妹を庇い私を差し出した。
タチアナのやらかしで、破談になりかけた御縁だもの。針の筵になっておかしくない。
そして、十歳の私はどれくらいぶりか分からないとびきり洒落たピンクのドレスと絹のリボンを付けておめかしをしていざお見合いとなった。
そして冒頭、運命の十歳の出会いです。
気晴らしのジェットコースターロマンス。