「東京オリンピック招致は絶望か?」その1 [2008年02月01日(Fri)]
五つの輪は世界の五大陸を象徴し、青はオセアニア、黄はアジア、黒はアフリカ、緑はヨーロッパ、赤はアメリカの各大陸を表わす 「東京オリンピック招致は絶望か?」その1 「山下太郎とアラビア石油」でも述べたが、外国では「組織」対「組織」ではなく、個人的な付合いを重視する。 日本人は極端に個人プレーを嫌う民族である。したがって大きな利権のからむ商売を獲得することは不得手である。 山下太郎が、サウジアラビアの王族との関係強化のため、デトロイトに発注した10数台の特別仕様のキャデラックをパートナーの女性の数だけプレゼントして相手に大きな感動を与えた話は1月30日のブログに記した通りである。 私は商売とは縁がないが、スケールの大きな人との付き合いの機会は幾度かあった。 かつて、メディア王・マードックと競った英国のロバート・マックスウェルとは長い付き合いであった。 残念なことに地中海で自慢の100億円のヨット(外国では個人所有の小型豪華船をヨットという)から転落して不慮の死をとげた。 ある時、ヨットに招待するから来いという。英国に行った時に乗せてくれるのかと思ったら、アメリカのフロリダに来いという。西インド諸島でグルージングをするので一緒に遊ぼうというのだ。 上流階級の美男美女?が大勢乗り込むとのことであったが、残念ながら日程が合わない『振り』をして遠慮した。 付き合い始めの頃は、ハロッズ百貨店で買ったワインを手土産にマックスウェルのオフィスを訪問したが、その度に「良いワインを有難う」とニコッと笑われた。 三度目か四度目の時、「実は、俺はオックスフォードのシャトーに10万本のワインを持っているんだ」といわれ、びっくり。 若干ホラ癖もあるので「ほんとかいな」と疑問に思っていたが、娘さんの結婚式に招待された折に案内されたシャトーの地下には、幅20メートル、奥行き50メートルほどの部屋の中の棚にびっしりとワインが並んでおり、3人の男が専属で管理していた。 金持ちの遊び方はスケールが違うのである。 彼はパーガモンプレスという出版社も経営し、ロシアを中心にした東欧(当時は共産圏)の政治情勢にも詳しく、多くの新鮮な情報を提供してくれた。アンドロポフ伝の最終校正で中国批判の部分が削除されたことにより、ソ連と中国の緊張緩和が近いことをいち早く教えてくれたこともあった。 ヨルダン訪問時、ハッサン皇太子はアンマンからアカバ湾の別邸へヘリコプターを出してくれ、アラビアのローレンスで有名な世界遺産のペトラ遺跡を案内してくれた。 中国の実業家は「5月の連休にゴルフをするから北京に来てくれ。俺の専用機で雲南省でゴルフをしよう」という。 しかし私には彼らの招待を受けても返礼の方法がない。夕食会に予算一人2万円は高すぎる。何とか1万5千円前後で・・・などと考える立場では、金持ちの国際人との交際は不可能である。 良質な情報と大きなビジネス・チャンスは、そのような金持ちのサロンから得られることが多い。趣味や教養も一流でなければならない。しかし、私にはこのようなことには実力も興味もない。ソバ屋で熱燗一本がちょうどいい。 石原都知事が東京オリンピック招致運動を開始した矢先、国際オリンピック委員会(IOC)から行動規範抵触の疑いで、文書で注意を受けた。 ブラジルにある日本の在外公館関係の関係者が、東京のライバル都市・リオデジャネイロの招致委員会のヌズマン会長を表敬訪問した折、「2014年のワールド・カップ開催地に選ばれたのになぜオリンピックも招致するのか」と理由を質したことが行動規範に抵触したらしい。 なんともなさけない話で、このレベルの招致運動は害にはなっても何の益にもならないことを若干説明したい。 東京オリンピック当時は、シカゴの不動産王・ブランデージ氏がIOC会長であり、アマチュアリズムを厳格に考えておられた。 当時東京は、東龍太郎氏が招致委員会会長として活動。実直な人柄による招致活動は多くのIOC委員の心を動かした。また、NHKの平沢和重氏のプレゼンテーション「今や日本は極東ではない」の名演説が選考委員に感動を与えたと記憶している。その結果、招致に成功したのである。 しかし、スペインのサマランチ氏が会長に就任したロスアンジェルス・オリンピック(1984年)を契機に、商業オリンピックに変容した。 名古屋が韓国・ソウルとオリンピック招致を争った折、招致委員長で東海銀行の頭取、名古屋商工会議所会頭の三宅氏に「しまりやというか、しぶちん名古屋では韓国には絶対勝てません」と伝えたところ、 「日本には東龍太郎先生がいます。大丈夫ですよ」と強気であった。しかし、バーデンバーデン(ドイツ)での表決は惨敗で、テレビで放映された名古屋の祝勝準備会場の寒々とした光景は、今でも忘れられない。 国際社会は建前論だけでは動かない。 当時韓国は、政府は勿論、盧泰愚(ノ・テウ)体育大臣(後に大統領)を中心に、オーナー経営者が各種スポーツ団体の長を兼ね、身銭を切って招致活動に奔走した。 私の韓国の知人は、パリでIOC委員のために「1回の夕食会に600万円費やした」と話してくれたことがある。 「5~6人の食事でどうしてだ」と聞いたところ、IOC委員のハートをつかむために、ワインのビンテージを次々にあけたという。2007年10月3日のブログにも記したが、東京ミッドタウンのレストランに1本360万円のワインがあったということは、超高級ワインを4~5本あければ確かにその金額にはなる。 IOC委員は世界に110名前後いるが、ブランデージ時代、途上国の委員は旅費の工面も容易ではなかった。しかし、現在のIOCは金持ちであり、各国のIOC委員も金銭的には困っていない。その上「どんな基準で投票するかは一人一人のIOC委員の自由である」、この点を忘れてはいけない。 各国IOC委員の中には海千山千が大勢いる。彼らのハートをつかむには相当額の交際費が必要である。知事がワシントンのホテルで高額の部屋(確か2~3000ドル)に泊まったといって新聞で話題になるような国では、勝負ははじめから決まっている。 自腹を切ってくれる創業者型経営者2~3人の、影の強力サポーターが絶対必要である。しかし、今のところ東京招致にそのようなサポーターはいない。 長野オリンピックの時のように、20数億円を使用した帳簿を焼却したような乱暴なことは今や出来ない。オリンピックの招致は、政府、国民そして各国IOC委員を各個撃破する愛国心ある強力サポーターの一致団結によってのみ勝利が可能となるのである。 (「東京オリンピック招致は絶望か?」はその2に続きます。下をご覧下さい。) |