貧困なる精神 ハーバード大教授の珍学説 最終回
5月からスタートしたこの連載も、いよいよ大詰めを迎えた。マーク・ラムザイヤーがこの論文で何を言いたかったのか。最終章の<流出と補助金>を読み解いていこう。
<劇的に収入の水準を上げることで、若い部落の男たちは暴力団に参入し、稼ぐことができた。国の補助金は学校に在学する動機を低め、大学に行く者は日本社会の主流に流入していった>
国の補助金、つまり同和対策事業は、部落民の収入と暴力団への参加を増やしたとあるが、何を根拠に論理展開しているのだろうか。そもそも部落出身の暴力団員の正確な統計はない。
ラムザイヤーは、Eric B.Ramusenと2017年に発表した『OUTCAST POLITICS AND ORGANIZED CRIME IN JAPAN:THE EFFECT OF TERMINATING ETHNIC SUBSIDIES』の中で、拙著『とことん!部落問題』(講談社、2009年)から引用し、以下の文章を載せている。
<いっときは、10~25%の若い部落の男たちが暴力団に加入した。現在はほとんどいない>
私は拙著で、関西のある地方都市では過半数のヤクザが部落出身だが、若い世代にはほとんど見られない、とは書いているが、<10~25%の若い部落の男たちが暴力団に加入した>とは書いていない。書いてもいないことを”引用”するのは、ラムザイヤーの常套手段である。
そもそも10~25%の若い部落民の男が暴力団に加入していたとしたら、それだけで数万人になる。現在であれば、全ヤクザの構成員数に達してしまうではないか。よくもまあ、こんないい加減なことを書けるものだ。
ともあれ、同対事業は、間違いなく高校・大学・専門学校の進学率を高めた。1960年代初頭の部落の高校進学率は30%余りで全国の半分以下だったが、同対事業の開始で大幅に改善された。事業の一環である解放奨学金が、進学や在学を促さなかったとすれば、まるで逆効果ではないか。
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続けてラムザイヤーは、同対事業の効果について次のように述べている。彼が最も言いたかったのは、ここからである。
<巨額の補助金は、実質的に部落民の一般社会への流入のペースを遅くさせた。
根本において政府の補助金は、地方の犯罪シンジケートに対する利益供与と化した。Gary Beckerの人的資本と犯罪の一般モデルを考えてほしい。補助金が少なければ少ないほど、若い男たちの犯罪組織に対する見返り(Return)は少ない。必然的に彼らは学校に在学し、おそらく大学にも出向き、主な分野で仕事を見つけ、部落を出ていくだろう。
それに反して補助金が多ければ多いほど、若い男たちは犯罪組織に対する見返りは多くなる。それらの違法な見返りによって、巨額の補助金の水準は、明らかに若い部落の男たちを退学させ、部落にい続け、犯罪シンジケートへ加入することを助長させた>
ここで言う<見返り>とは、違法行為によって若い衆が組に支払う上納金のことであろう。
同和対策事業にかかわる予算の一部が、犯罪組織に流れたことはあっただろう。私が取材した飛鳥会事件(『ピストルと荊冠 <被差別>と<暴力>で大阪を背負った男・小西邦彦』講談社、2012年)がそうだった。しかしそれはごく一部であって、同対事業費=暴力団への利益供与と書くのは無茶苦茶である。
同対事業費を掠め取って楽に稼ぐため学校には行かず、暴力団に加入するというのは、ラムザイヤーの妄想ではないのか。
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続く部落民の<流出>の節は、ラムザイヤーの妄想をさらに全面展開している。前にも紹介した、統計手法も確立されていない20世紀の部落民の人口統計や人口密度、部落外との結婚、殺人率などをミックスし、呪詛のごとく珍妙な説を唱えている。
すなわち、暴力グループによる解放運動が組織されたところでは部落を出る者は少なく、小さな部落よりも大きな部落のほうが部落を去る機会が少ないーー。その理由について、次のように説明している。
<近隣と親しい関係を築いている小さな部落では、若い部落民は社会の主流における有益な職業に必要な訓練や教育、情報を相対的にアクセスしやすい。外の世界との接触が少ない大きな部落では、それらの情報にアクセスすることはより少ない。暴力犯罪の割合が高くなることによって、彼らは違法な仕事に関する情報を利用した>
大規模部落は外の世界との接触が少ない、という意味がまったくわからない。そんな話があるものか。統計を駆使した推論はけっこうだが、結論や解説が支離滅裂である。
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この論文の欠点は、統計を用いながら(それらは論文に掲載されているが、およそ専門的過ぎて、何度見てもさっぱりわからない)、その成果が文章には出てこないところにある。
部落民の何割が暴力団に加入していたのか? 暴力団の何割が部落出身なのか? 何人の部落民がいつの時代に部落を出ていったのか? 伝聞や狭い範囲での概算はあるけれど、具体的な数字を明示していない。
その一方で、すでに公表されている部落の進学・中退率などについては、1行も触れていない。まったくフェアではない。これでは学術論文とはとうてい言えない。
<補助金と流出>の節の締めくくりは、この論文の結論でもある。同じ文章・表現が何度も出てくるので、読んでいて面白くないが、ここまできたので、とりあえずご意見を拝聴しよう。
補助金の割合が高ければ高いほど部落民はムラを去らず、日本社会の主流に参入するケースが少なくなるという例の自説を、ふたつの視点から説明している。
<もし政府がムラを去るのではなく、住んでいる部落民を支援した場合、より多くの部落民は住み続けることを選ぶだろう。その一方で、より多くの部落民は、より高い犯罪率に近づくことになる。
戦後のほとんどの期間において、暴力団は部落解放同盟を支配した(dominated)。そして資金を自らのふところに入れるために、建設業における契約をコントロールした。暴力団が最も隆盛をきわめていた1980年代では、20~25%の若い部落の男たちは組織化された犯罪シンジケートのメンバーだった>
何万人もの同盟員の中には、現役の組員や元組員はいた。だが、彼らはあくまでも少数であって、部落解放同盟を牛耳っていたというのは具体的に何を指すのだろうか。そんな事実があったのだろうか? おそらく松本治一郎のことを指しているのだろうが、松本は組は率いていたが、建設業であって暴力団ではない。
また部落出身者の暴力団への参加率は、2017年に発表した論文では、拙著を”引用”して10~25%と書ていたが、ここでは20~25%に底上げされている。百歩譲って、ある時代のある地域では組員が多かったとしても、全体でそんな数字はあり得ない。
暴力団が運動団体を支配した結果、どうなったのか?
<犯罪組織への見返りを引き上げることによって、政府の補助金が若い部落の男たちの学校中退や暴力団への参加、そして部落に特有な犯罪的な職業(buraku-specific criminal careers)を追い求める原因になった。補助金のレベルが低ければ、若い男たちは学校に在学し続け、大学に行くために部落を去り、そして社会の主流の職業を追い求めたのである>
暴力団が部落解放同盟を支配し、同対事業費の大半が組織に流れていたとすれば、その推論は成り立つだろう。だが、ラムザイヤーの推論は、同和対策事業が始まる以前の部落の実態や、部落解放運動の実情、事業の成果を無視した暴論である。
ものごとには光と影があるが、どちらかを無視・軽視した立論は、極論に陥りがちである。ラムザイヤーの場合は、そのバランスが著しく悪いだけでなく、事実ではないことを前提に話をすすめるから、およそ学術論文になり得えていない。ほとんど怪文書である。
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宮崎県で生まれ、高校まで日本の学校に通ったラムザイヤーは、日本語にも堪能である。この論文に掲載されている参考文献・資料は、実に186冊にも及ぶ。そのほとんどが日本語だが、中には判読・解読が困難な明治期の資料も含まれている。
一論文にこれだけの資料にあたるエネルギーは、世辞ではなく驚嘆に値する。だが同時に、原典の恣意的な引用・付け加え・改竄と、荒唐無稽な立論・結論もまた、驚嘆に値する。
海外の研究者がこの問題を取り上げてくれるのは、部落出身者としてはありがたい。だが、何度も読み直し、引用元の原典にあたった者として執筆者に問いたい。何でこの問題に興味を持ったの?
果たしてラムザイヤーは、部落に行ったことがあるのだろうか? 行ったとしたら、どんな経験をすればこんなひどい論文を書けるのだろうか? いや、行ってないから書けるのだろうか?
特定のマイノリティの暴力性を執拗にあげつらい、歴史や実態を無視した上で、反差別運動を金儲けだけと決めつけ、国・自治体の施策の無策をなじる。世界に誇るハーバード大学の教授がすることだろうか? いや、人間としてどうなのか?
こんなモンスターが教壇に立ち、後進を指導していることに驚きを禁じ得ない。<2020・12・30>