長岡市蓬平の「チンカラリン」の穴 同「大割れ石」(2015.10.3撮影)
【よもぎひらの伝説】(蓬平/小高氏作成) ▲温古の栞(明治26年)抜粋
長岡市東山地区にはチンカラリン伝説が複数存在する。文献的に古いのは江戸時代の記録がある旧栃尾市一之貝にある建石に付随する伝説で、一番有名なのは上越市出身の民謡、伝説収集家、小山 直嗣氏が著作した新潟県伝説集成〈中越篇〉恒文社 (1995/12)等に記載される長岡市蓬平町のチンカラリン伝説だろう。当地の伝承は明治中期に刊行された新潟県最初の郷土雑誌である「温古の栞」(上記)にも記載されている。
(先週の土曜日に長岡市蓬平町のチンカラリンを踏査して伝承地がまだ存在するのを確認した。上記写真)
その他にも小千谷市の女滝、長岡市栖吉の風谷山に同様にチンカラリン伝説があるのが調査の過程でわかっている。この四カ所に共通するのはいずれも巨石・巨石祭祀を伴うことである。というのは、始めからチンカラリン伝説を調べようとした訳ではなく、当地の巨石祭祀を調べる過程でチンカラリン伝説がかなりの確率で付随している不思議に気がついたからである。
※四カ所のチンカラリン伝承地と記載したが、正確にはチンカラリンの名称が伝わるのは蓬平と女滝の2カ所、一之貝と栖吉風谷山の伝承は内容は他のチンカラリン伝承と同一だがチンカラリンの名称ではなくカラカラ、ガラガラの擬音を記載している。
旧栃尾市 一之貝にある建石の江戸時代の文献
一之貝村大石並びにからめき穴の事(佐藤 秀治訳)
古志郡栃尾組に
一之貝村という村より二里ばかり山奥に大石あり。
遠く見ると起者山との見ゆる。
目の当たり行きて見れば、石なり。大山の下にあり。
周り二十五間ばかり、高さ五六丈ばかりにして、するとなり、
この所に至り見れば、石の中ほど裂くあり、
この所へ行き、周り東南の方に回り、
五尺ばかりの穴あり、その深きこと知る人なし。
石を落すにガラガラといいて入ること、計りがたし。
昔より立ち寄る人、石を落すこと絶えずといえども
今に同じ音がして落ちるなり。
キツネ・タヌキの住み家にもあらず、
ムジナなどと折りに触れ出る事もあれども、
何れともこの穴住家とも見えず。
この石の面々に靑苔生えて、岩ツツジなど生えて花咲く。
また藤生え付く花の頃は景色よし。
この石、地に入る事ばかりがたし、
希なる大石なれども、
片田舎の深山なれば知る人希なるゆえ、ここに記しぬ
蓬平のチンカラリン伝説は実家が近いので子供の頃から知っていたが、他の三カ所は文献には記載されているが、ほとんどは忘れ去られて地元の人以外知らない存在だったと思う。というか、興味の対象として扱ってこなかったとうのが実情である。熊本県和水町には有名な複合遺構「トンカラリン」が存在するが、元々はその中の一つの穴をさして「トンカラリン」と呼んでいたという。
「今では随道遺跡全体をトンカラリンと呼んでいますが、もともと構造や大きさの違った五つのトンネルが連なって遺跡を形作っておりトンカラリンの穴もそのうちの一つで石が穴の中に落ちるときの音からこの名があると言われています。」(和水町HPより)
新潟の四つのチンカラリン伝説も同様に、一つの穴(裂け目)を指し石を投げ入れた時の音から名前が付けられたとする。また、そのうち二カ所では熊本県のトンカラリンほどでは無いが小規模の人工の溝が付随する。新潟の四つのチンカラリン伝説地では明確に巨石・巨石祭祀が付随するが、韓国の歴史家の金思燁「トンカラリンと狗奴国の謎」によれば熊本県のトンカラリン付近にも巨石祭祀(禿山 舟つなぎの石)が付随するという。
金氏の著作は特殊な観点から書かれているので、日本側の全て現象を朝鮮半島の事情で解明できるとするのはとても理解しがたいが、高句麗由来の遂穴信仰が渡来した可能性は一聞に値する。
また、同書に依れば井上辰雄氏はトンカラリンは女陰の象徴であり、菊池川流域の遺跡は必ず「岩倉」と「籠り穴」とがセットになっていると指摘しているという。
以上既知の情報を要約すれば新潟県古志郡の「チンカラリン」と熊本県菊水町の「トンカラリン」に共通するのは、
(1)ともに名称の由来が石を投げ入れた時の擬音である。
(2)ともに遂穴と巨石のセットになっている。
ということである。
特に(1)は新潟と熊本遠く離れて同様な内容になっているので、語源の説明としては朝鮮語等を持ち出さなくても擬音起源として間違いないように思われる。ただし、石を投げ入れる行為そのものが性信仰に起源を持つ祭祀儀礼として大陸由来だったとしてもおかしくない。とすれば、チンカラリン・トンカラリンの擬音そのものが祭祀の呪文として機能していたと考えることは十分可能だろう。
※当地には神いじめの伝承として庚申塔の石穴に小石を投げ入れると願いが叶うという行為が伝わる。俗信として神社の鳥居に石を投げ入れると願いが叶うという行為と同じ系統だろう。それらの起源はひょっとすると「チンカラリン」に求められるのではないだろうか。
金氏は高句麗由来の隧穴信仰は、木製の男性シンボルである隧神と女性シンボルである隧穴を祭祀する性器信仰であるとする。旧栃尾市の一之貝にある「チンカラリンの穴」とその東に位置する来伝の木製男性シンボルを祭る奇祭「ほだれ祭」は不思議とそ来の隧穴信仰と符合する。
(2)については、巨石は本来「建石」の名称もあるように男性シンボルの象徴として信仰された痕跡が明白である。諏訪神社の御柱祭も同じ文脈で御柱は男神の象徴であり、それを突き立てる大地の穴は女神の象徴と理解できる。すなわち女性原理である隧穴と陽石がセットになって信仰されるのは日本の古代信仰においてはごく普通のことと理解できる。人間の最大の忌まわしい出来事が「死」であるならば、それを回避で来る唯一の方法は「生殖」による子孫の永続だろう。個人の肉体は「死」を回避できないが「遺伝子」による親子間の性質の継続は「死」に打ち勝つ人類の唯一の方法である。
古代の人々は体験的にそれを知っていたから「生殖」行為そのものを神聖な物として崇めたというのがその本質だろう。「生殖」を卑猥な物として貶めたのはアダムとイブ以来、知恵の実を食べた現代人の邪念の為すところではないだろうか。
日本の隧穴・巨石崇拝の由来はどこにあるのか断定するにはまだ研究が足りないが、中国史書に書かれてるからと言って、全ての性神信仰を高句麗由来とするのはおかしな話だ。男根崇拝は6000年前の日本の縄文時代にもあるしインド・ギリシャ・ローマ等世界中に分布する。私の現在の見解は、基層に縄文由来の男根崇拝があり、弥生期に製鉄や鉱山技術とともに隧穴信仰が大陸から入り積層になって形成された物ではないかということである。
今後もこのテーマは深く研究して行きたい。