結局ずっとやっているのは、まあ平和報道って、僕新聞記者時
代によく言っていたんだけど、8月15日が近づいてくるとそろ
そろ平和報道の取材班作んなきゃとか言ってですね、秋ぐらい
あの夏ぐらいからチーム組んで、なんだろ「ひめゆり」の人と
かに話を聞きに行くという
さっきもお話出てたと思うんだけど、もうあれから73年たって
75年か75年経って、もうほぼ亡くなりつつあるんですよね。
鬼籍に入りつつある
そうすると平和報道もほぼ限界にいきつつあって
こちらはアベマTVで「ひろしまタイムライン」に関わる別のテーマ
があって、たまたま話の流れの中で
佐々木俊尚氏の話された内容なのですが、
これ『みやわきチャンネル(仮)』#768回で宮脇睦氏の話されたこ
とを別の角度から言っていることではないのか、と感じたのです。
『みやわきチャンネル(仮)』の#768回で気になった内容とは
これはネットで定期便のように上がってくるネタ
ネタだからです
8月6日の広島
8月9日の長崎
そして8月15日の終戦の日
この前後になると原爆が投下された当時の広島県知事の発言、
ま諭告というものの一部が切り取られて
戦時中の日本はとんでもない国でしたと言う
こんな人たちの「オッス、工作員!」
的な活動というのはかなり前からネットでは繰り返されてきた
ことなんです
いわゆる左側の人々にとって平和運動とは、季節的に周期的にやっ
てくるお祭りみたいなものなのでしょうか。
そして日本人に加害者意識を持ち続けて欲しいと願い、軍部が悪か
ったと印象付けたい。
そういう記事作りに励む。
佐々木氏の発言は、私には、そういう意味に聞こえました。
そしてNHKの、松村参謀長の件もまた、
『みやわきチャンネル(仮)』#768回の諭告の話と同様の
悪意を感じたのです。
こちらのツインズママハァー子さんのツイートから紹介したい
と思います
原爆投下の日の翌日当時の広島県知事がこう言いました
県民主君よ、断じて怯むことなく速やかに各職場に復帰せよ
戦争は1日も休むことはない
なんと無慈悲な言葉でしょうか
違います
原文は救援物資手配や被災者への哀悼もあり奥様も亡
くされて・・・
と続くのですが TBSキャスターの思惑とは裏腹に
ネットでは無慈悲にファクトが発掘されておりました
当時の県知事は官選といって国の方で選んだ人物がいわゆる派
遣をされて知事を務めておりました
高野知事はその日広島から離れたところに出張に行ったので
直接の難を逃れたのですが
ご家族は被爆し奥様は亡くなられております
知事は夕方には広島市内に戻って、そして市民救済の陣頭指揮
を執った翌日諭告を出します
それがこちらで、当該箇所を読みますと
広島県市民諸君よ、被害は大なりと雖もこれ戦争の常なり
断じて怯むことなく救護復旧の措置は既に着々講ぜられつつあ
り、軍もまた絶大の援助を提供せられつつあり
速やかに各職場に復帰せよ
戦争は一日も休止することなし
上記引用文は省略部分があります。
アベマTVの拙い一部書き起こしもリンクを貼っておきます。
①
②
③
そもそもNHKの制作する太平洋戦争時の記録物には往々にして後
味の悪いものがあって
録画はするがあまり見なかったという繰り返しの記憶があります。
それに反して娘時代に読んだ読売新聞の連載記事は感動した覚えが
あります。
何百回と連載された取材記事だったと思います。
第二次世界大戦に行かれた方の体験を取材して、当時の戦況等と
共に人間模様を描いた記事でした。
それで台湾の人たちの心根にも触れて台湾大好きにもなりました。
後にそれが出版等されていないかと思い、「戦争」に関する読売新
聞社の書籍も購入しましたが、残念ながら出会えませんでした。
つまりあの時代を生きた人々への愛情や尊敬や、人間存在への畏敬
の念のある記者魂を感じたのです。
人間を描こうとすれば、清濁併せ持つ人間への愛情や尊敬が無けれ
ば人の心を打ちはしません。
まして明らかに偏向を疑うような作りでは信用ができなくなるので
す。
さて、この後、9月19日に放送されたやはり中国地方向けの番組
ラウンドちゅうごく「また、語れる日まで~被爆者“コロナの
夏”を生きる~」を視聴しました。
感染拡大がとまりません。
私たちの暮らしに大きな爪痕を残した新型コロナウィルス。
広島では原爆資料館が一時休館。
修学旅行も中止されるなど被爆者が証言する場が失われること
になりました。
集まることも語り合うこともできない夏。
そんな中で新たな一歩を踏み出そうとする人がいます。
(カメラを前にテーブルに就き、話をする人。)
「ものすごい音が、後ろからダダーンと」
84歳の被爆者はオンラインでの証言活動を始めました。
「母の顔は真っ黒けに倍ぐらいに膨れ上がって・・」
場面変わって
「やっぱりコロナというのは大きな問題ですよね。これは
我々被爆体験を話す者にとっても
どんな風になるのか見当がつかないんだけど」
一方一旦語ることを休み、自らの被爆体験を見つめなおそうと
する人もいます。
膨大な資料と向き合い、あの日自分の身に何が起きたのかに迫
ろうというのです。
「事実はどうだったか、その元のところを
明らかにしていかなければいけない」
(89歳の被爆者)
被爆体験を語ることの意味に向き合った被爆者たち
画面には「なぜ 何の為に語るのか』の文字
戦後75年、ひと夏の記録です。
「ひろしまタイムライン」での泰子さん、姪御さん、俊一郎さん
そしてこの89歳、84歳の被爆者
皆さん、あの惨劇を生き残った方々
その心に刻まれた体験、亡くなった方々の思いを背負って
証言活動に励んでいらっしゃるのが分かります。
一方、広島の思いは、今日本でどの程度受け止められているので
しょうか。
広島とその他の地域の温度差とはどのぐらいのものなのでしょうか
くしくも渡辺麻衣さんのコメントが現状を物語っています。
「8月6日はこれまでどのように過ごされてますか?」という質問に
対して
8月6日は必ず母親に起こされて8時15分に黙とうしてってい
うのがかなり決まりになっていて、そのあと学校に行って、今
日ちゃんと黙祷したっていう会話が日常になってたという感じ
ですね。
なので東京に出て来て意外と8月6日に対しての意識が薄いん
だということに驚きを覚えたのを覚えていますね。
きちんと授業の一環として被爆者の方が来ていただいて
リアルなお話を聞くっていうのが当たり前だったんですけど
広島県が運営するSNS「日刊わしら」への投稿
広島出身で今は大阪にお住いのmiffyさんからの投稿でございます。
「今朝(8月6日)、大阪も暑く、晴れていました。会社では、誰も黙
祷をしていなくて、一人で目をつむった。」
今は東京にお住いの渡辺さん、この気持ちってわかったりしますか?
分かりますね。
やっぱり広島にいて広島で育っていたら、8月6日の8時15分
て言うのは絶対に避けては通れないというか、必ず黙祷するも
のだったんですけど、まわりがそうじゃないっていうことはす
ごくびっくりして、昨日私は家にいたので家で黙祷したんです
けど、まあ撮影があったりとかそういう時でも、その時間帯に
誰一人として黙祷していることはないので、やっぱここで大き
な差が生まれてるんだなということにショックを感じたし、そ
の差を埋めるためには何をすればいいんだろうなっていうのを
考える日ではあります。
確かに広島県民の思いが日本全国、世界全体の気持ちの高揚につな
がっているわけではありません。
だからこそのテレビの取り組みであるとも思います。
私の住む地域は昔はテレビは広島からの電波を受けていました。
NHKも民放も広島からでした。
今もナビのテレビは電波が入りません。
ただ幼いころから見た経験というもの、習慣というものの影響か
夫も関西にいても、家で8月6日にNHKで慰霊の日の中継を見てい
るときには黙祷しています。
テレビの影響はすごいものだと思います。
そしてこうした被爆者の方たちの姿を拝見すると、本当に早く平和
になって、安らかな世の中になって欲しいと願うものです。
ところがそのテレビが、日本人の善意さえ真黒く染めて悪意と表現
しています。
その真意は何なのでしょうか。
我々の親や先祖に対する尊敬の思いがあれば事実は正しく報道し、
反省するべきところを指摘していけば、当然変えていける筈のもの
です。
そしてそういう悪意がそこかしこにあふれていて、原爆を扱った番
組にまで顔を覗かせると、洗脳を図っている?とさえ思えてしまい
ます。
いや既に地上波テレビについての批判は枚挙にいとまがありません。
最近友人から聞いた話ですが
その人は子供の頃家が朝日新聞だったので
随分影響されたとのこと。
結婚を機に読売新聞を読むようになって考え方が変わったとの事。
その転換が自分でわかるというのもすごいなと
友人を尊敬しました。
昔聞いた話では、新聞はそれぞれのイデオロギーの違いがあって良
いとの事。
しかし、テレビは違うと聞いた筈なのですが・・・
単にテレビという組織が問題ではなく、テレビ局内部の人、あるい
は背後にいる人が、ということなのでしょうか。
いずれにせよ、本当に核兵器廃絶、世界平和を臨むのであれば
大切なことは、邪な思いを持つ者にこうした活動を利用させては
ならないということです。
そうしなければ、自らが争いの片棒を担ぐことに繋がるからです。
新型肺炎で歩みの止まった今こそ、考えて頂きたいことなのです。
以前広島県への提言にも書きました。
人のよこしまな心を見抜き流されないことが大切だと思います
今は情報社会です。様々な情報を得る手段もあります。
広島がプロパガンダの手先にだけはならないでください。
広島は核廃絶を目指し、世界の平和を願ってきました。
私はその願いが祈りが本当に日本の世界の為に役立つ日を願っ
ています。
しかし現実はどうでしょうか?
以前ノーベル平和賞を授けられた「ICAN」という団体がありま
した。
しかし私は、彼らが日本政府に厳しく発言すればするほど
何故彼らは、国内で核実験をしたり何度もミサイルを発射し続
ける国に対して、あるいは尖閣接続水域内や領海内に何度も侵
入し続け尚国内に核兵器を持つ大国に対して厳しく発言しない
のだろうかと思いました。
朝日新聞デジタル
『広島)核軍縮、何が阻むのか 専門家らが8・6討論会』と
いう記事 …中満氏は、近年の安全保障環境の悪化を指摘。「核
兵器を持つ国同士の中でも、核兵器国と持たない国の間でも、
分断、対立の構図がある」
と危惧し、「各国が信頼欠乏症に陥っている」と指摘した。
今私は平和運動や芸術の世界でさえ利権や政治的な画策の温床
になっていると強く感じています
広島のなすべきことは、その温床を打ち砕くこと!
その片手落ちの行動を指摘し平和運動団体でさえ中立に行動さ
せることが広島の役割なのではないでしょうか。
「分断、対立の構図を解消し」「信頼欠乏症を改善させる役
割」こそが広島に求められているのではないかと考えます。
また、今回の「ひろしまタイムライン」で75年前
の人々に心を寄せようとした若い世代の人たち
素晴らしいと思います。
ただ、人を思いやるというのは難しいことです。
まして時間を超えてというのは更に難しいです。
特に世の中が、文明が大きく変化したのは戦後です。
テレビドラマではたまに扱いますが、ご飯を炊くことさえ違います。
そうした社会での考え方は、物事の捉え方はまた違います。
そのギャップを埋めるのは、理解をするのはやはりお互いが語り合
い関わり合い理解を深めることしかありませんね。
例えば、私の考え
シュンちゃんにしてもやすこさんにしても、テレビでは責任感につ
いて触れませんでしたが
二人とも家族の一員としての責任感が強いと私は感じます
特にやすこさんについて
疎開で身を寄せてきた30人の家人の中での彼女の心情を思いやるテ
レビの語り
確かに一人っ子の私などにとっては嫌な状況だとは思いますが、
私の母や叔母など兄弟の多かった家族の姿を思い浮かべたり、当時
の状況を考えると、逆に心強かった部分もあったのではないかとも
思います。
そしてそれらの一人としての責任感もあった筈
またその周りの人たちに助けられての妊婦生活ではなかったでしょ
うか。
実際、医者である義父を支えて被爆者の救護にあたったのが
泰子さんと当時一緒に暮らしていた泰子さんの姪御さん、現在89歳。
とのこと。
しかし、現実にトラックで運ばれてくる沢山の怪我人を処置するの
に、一緒に暮らしていた人々が何もしなかったとは思えない。勿論
自分の身近な人の安否も心配だったでしょうが
次雄という名前から、ご主人は次男さんだったのではと思います。
長男が家を継ぐ時代ではあっても、長男に何かあれば次男に責任は
かかってきます。戦時下であればなおさらです。
30人で暮らせばその中での役割も出てくる。愛情も生まれてくる。
勿論争いもあるでしょうが。
その中での妊娠出産であればうっとおしいこともあるでしょうが
心強いこともあった筈。
泰子さんの生い立ちまでは分りませんが、大所帯の中で
学ぶこと、心温まることも多かった筈。
戦後45年たってやっと語り始めたというのも
ご自身の心の痛手もあったでしょうが、周りの方々の人生への
気遣いもあったのではないか。
等々
余計なことを書いたかもしれませんが
本当につらく苦しい体験と熱意を持つ被爆者の人たちと
いろいろな情報を得る機会を持つ若い人たちが協力して学んで
本当に、日本だからこそ、日本しかできない
誰かの手に騙されたり利用されない
本当の平和の為の取り組みをしてもらいたいと思います。
最後に蛇足ですが
りゅうちぇるさん、私は
仲村覚著「そうだったのか沖縄!」を読んで、
特に本土復帰の為に努力した中村俊子さんの足跡を知るにつけ
沖縄の混乱の元凶は全く違うものに見えてきました。
文献資料に基づいた石井望先生、江崎孝さんとの共著です。
りゃうちぇるさんの人物も立場も知りませんので
全くの蛇足ではありますが、益々勉強してください。
もう一つ蛇足ですが
感想を一つ。
HIPPYさんが平和を感じられ場所として選ばれた「折鶴タワー」
昔私の家は貧しかったですが、父は「小学〇年生」という雑誌を
ずっと買ってくれておりまして、たしかその中で、原爆の影響で白
血病になった少女が亡くなって、その少女の慰霊の為に立てたタワ
ーと知り、心が痛んだ記憶があります。
懐かしく思い出しました。
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