YASUHIRO の 独り言
山と医療の本音トーク
2月4日(木)
昨日の大滝山北西尾根の下山時当初赤のラインで滑って帰る予定でいたが大魔人を先頭に青のラインに入ってしまって大魔人はドンドン滑って行った。自分は稜線から150m滑った時点でGPSを確認して予定と違うラインに気付いてまた稜線に登り返して赤のラインで滑って帰った。
青のラインは一見楽しそうだが標高を考えれば間違いなく下部で沢が割れて厳しいコースが予想される、赤のラインは多分問題なくスムーズに帰還できると予想される。大魔人は突破力が半端ないから多分行けると判断しただろうが、コーエーとモンタナを連れてこのコースを下るのはかなりやばいと感じて自分は登り返す決断をした。
標高が高ければどちらも全く問題ないと判断できるが標高を考えれば青のラインはやばいと思える。地図を読んでいつもルート作成を行っているが地図読みを誤ると時に大きな失敗をする。青のラインは滝あり崖あり水ありで大変だったようだが僕たちより1時間近く早く下山した大魔人はさすがの突破力であった。
2月3日(水)
今日も水曜友の会、YSHR 大魔人 コーエー モンタナで大滝山北西尾根(朝活)に出かけた。このコース五箇山IC付近から無駄なくピクれる良いコースである。深夜2時半スタートと約束してある。今日もYSHR 大魔人は昼から仕事なので朝活しか選択肢はない。五箇山ICを降りて高速下で準備、大魔人とコーエーはIC付近、YSHRとモンタナは真木集落からスタート電話で連絡を取り尾根で合流する予定、ガシガシ尾根を登って行く。風雪は強く早くもプチ地獄、高度が上がるとガリも出てきて登りにくい、早めに地獄装備に身をまといピークを目指す。
そろそろかと思ったら6時過ぎまだ真っ暗の中無事ピクッた。少し早すぎた。風雪の中シールを剥いでライトを付けて滑っていく。底ありガリ斜面をズンズン降りていく。途中で大魔人が想定と違う谷から降りようと言う。自分は想定された谷かと思いエントリーするも途中でGPSを確認すると違う谷でこれはまずいと後続のコーエーとモンタナを制して登り返す選択をした。大魔人も登り返すだろう。
激パウ谷の登り返しはラッセルが深くて難儀した。標高差で200m弱登り返して無事尾根に復帰して目的の谷を滑り降りた。河原には大魔人のトレースがあり無事帰還したようで良かった。まあ彼ならどんなとこでも突破するだろう。五箇山IC付近に降りてもまだ8時半であった。朝活万歳!
朝活万歳!
2月2日(火)
山スキーは試行錯誤の連続、山行で経験したトラブルを如何に解消するか次回に備える。これは医療も同じ、ガンが見つかれば診断が正しかったかどうか、どれくらいガンが浸潤していたのか術後の病理組織と照らし合わせる学習の積み重ねがさらなる正確な診断の糧になる。頭を使わない山行はどれだけ繰り返しても実力がつかない。
最近は仲間との山行がメインだが30代の頃は厳しい山行を単独で行っていたから如何にうまいコースを取るか無駄なアップダウンを如何に無くすか、効率的な沈まないラッセルはどうしたら良いか、シール歩行の際の摩擦を如何に軽減するかなど山行の度に試行錯誤を繰り返した。
今仲間に伝授している道具や秘技の多くはこうした試行錯誤の繰り返しの中から生まれたものである。ある意味山スキーは頭脳スポーツ的要素も多い、歳をとっても若い仲間たちと同等以上に戦えるのはこうした経験の積み重ねがあるからである。
スーパーファットは重い、体力がいる。この重さにシールや板に雪が付くととんでもない重さになる。シールにベタ雪が付かないようにするには事前に板にシールを張った状態でワックスを塗ってアイロンを当てて浸透させることでより効果的になるし、板の表面にはガラコやシリコンスプレーさらにスキーワックスを塗れば雪が付きにくい、何が一番効果があるか今でも試行錯誤を繰り返している。
2月1日(月)
昨日の大笠山は天気が悪くて期待していた大瓢箪山からの大展望は拝めなかった。行きは激しい風雪の中アップダウンの多い尾根を完璧な巻トレースを作らなければ帰りは辛い帰還になるので主にYSHRと大魔人でトレースを作り込んだ。昨日の白山が体力勝負なら大笠山は頭脳勝負といったところか、厳冬期激ラッセル山行では帰りにわずか10mの登り返しを作ってしまうとシールフリーでは大変な思いをするのである。
アップダウンの多いコースは普通の人は山スキー向きではないと考えるが僕たちはこれこそ山スキーの真価を発揮できると考えている。完璧な巻きを作る作業こそスキーヤーの実力が試される。山スキーは滑りも大切だが総合格闘技なのである。
ガンとパクも昨日の白山は大変だったろう。ただ自分たちも絶対敗退がないのと同様、彼らも二人で敗退はあり得ないと思っていたがお疲れさんでした。
闇夜の風雪の中完璧な巻を作り込む
まさにこの時白山ではガンパクコンビが戦っていた
1月31日(日)
今日は大笠山を石川県側からピクッた。新中宮温泉から大瓢箪山経由でアップダウン満載の難儀な稜線を地獄の行進であった。
1月のお参りにリーチが掛かったガンはパクを連れて白山へ、YSHR 大魔人 兄ちゃん トラ モンタナは大笠山と二手に分かれてピークを目指した。予想では明け方まで雪が降るが次第に晴れるはずであったが午前中一杯ガスと強風で地獄が続いた。
深夜0時過ぎ閉鎖された新中宮温泉スキー場をガシガシ登って行く、稜線に出ると激しい風雪に痛めつけられた。稜線は巻の連続で帰りに楽をしようという作戦だった。中宮山でも真っ暗、大瓢箪山でも真っ暗暗闇の下降は進路が定まらず難儀した。大瓢箪山の先の稜線でようやく白んだがガスで視界は良くなくて目指す大笠山は最後まで見えなかった。大笠山山頂もホワイトアウト帰りの滑りも真っ白けで緊張の連続であった。
帰りは二回だけシールを使ったが後は行きの巻きを使いすべてスキー滑走が可能であった。帰路中宮山手前で青空ものぞいたがすでに時遅しであった。ただ天気は悪いので最後まで雪は生きていてフィナーレの新中宮温泉スキー場も貸し切りで楽しめた。終わってみれば13時間20分もう二度目はない辛い山行であった。
白山隊も夕方無事帰還したようで良かった。大笠山も地獄だから白山はさらに地獄であっただろう。まあ地獄軍団に地獄は付き物だから問題ないけど、皆の衆お疲れさまでした!
1月30日(土)
一度は是非行ってみたいが二度目はないという山行がある。大変だが是非自分の足で自分の目で見てみたい景色がある。火の御子峰なんかがその代表であろう。落石をかわしながら登ったピークからの絶景はそれは素晴らしかったがもう二度と行きたくはないというくらい危険であった。剱岳の池ノ谷右俣や笠ヶ岳五の沢も是非一度は滑りたい斜面だったがよほど好条件を掴まないと滑走は危険でもう二度目はないと言える。
今シーズンで言えば厳冬期の佐武流山も大変な山行で右腕を怪我してしまいおまけに沢に頭から落ちそうになった、もう二度と行きたくはない、そんな山であった。明日の山行も以前から是非一度は行きたいコースである。しかし一度行けばもう二度目はないなというコースである。残雪期ならまだしも厳冬期降雪直後は大変な山である。
もし晴れれば素晴らしい景色を見ながらの歩きとなるだろう楽しみである。
6年前の初挑戦では時間切れでピークに届かなかった
毎日が完全燃焼できる日々を過ごしたい、人生は長いようで短い