小林信也(作家・スポーツライター)
荒川博さんが亡くなった。世界のホームラン王・王貞治選手を育て、一本足打法を考案、伝授した名伯楽だ。
私は、東京武蔵野シニア監督になってまもない5年前、一年間に渡って荒川さんから打撃を学んだことがある。荒川さんが小・中学生を教える神宮外苑のバッティングセンターで子どもを指導しながら打撃理論や昔話を聞かせてもらった。伝説となっている隅田公園での王少年との出会いの話、プロ入りして師弟として運命的に再会した話など、幾度となく聞かせてもらった。
甲子園の優勝投手として鳴り物入りで巨人に入り、すぐ打者に転向した王は、最初のシーズン、まったく打てなかった。私たちが少年の頃、草野球に興じている時、誰彼となく口にする有名な流行り文句があった。
「王は王でも三振王!」
それは、プロに入って期待を裏切り続ける王に対する野次から生まれたものだろう。3年経っても期待通りの活躍を見せない王に一計を案じた川上哲治監督(当時)は、大毎オリオンズで榎本喜八を指導し、首位打者に育てた打撃コーチ・荒川博に目をつけ、王の育成係として巨人に引っ張った。
「3割、25本打てるバッターに育ててほしい」
それが川上監督から受けた使命だった。打撃の神様からの要請に荒川さんは奮い立った。ところが、練習を始めてみると、王の打撃技術は目を覆うほど拙くて驚いた。
「何しろ、トスバッティングでもしょっちゅう空振りするんだから、呆れたね」
新しいシーズンが始まっても、猛練習甲斐なく、王の才能が開花する兆しはなかった。7月1日の試合前、監督コーチの打合せの席でべらんめえな別所コーチが言い放った。
「ピッチャーが抑えたって、どうせまたバッターは打てないし、やってられねえな。とくに王なんて」
それを聞いてカーッとした荒川コーチはすぐロッカールームに駆け戻り、王に怒鳴った。
「今日の試合はあれで打て! 練習でやった、右足を上げて打つヤツだ」
すごい剣幕に圧倒され、王はただ頷くほかなかった。どちらにしても当時の王は荒川コーチに絶対服従だったから、荒川さんがあれで打てといえばそれに従うのが当然だった。