「王はどうしても突っ込む癖があった。それで詰まってしまう。その癖をなんとか直せないかと思って、右足を上げさせてみた。足を上げたら突っ込むわけにいかないだろ」
その目的でやらせた練習で飛距離が伸びたことを荒川さんは見逃さなかった。その夜の試合、王は右足を大きく上げる奇妙な打ち方でホームランをかっ飛ばす。結果が出たものだから、次の日もまた次の日も王は一本足で打ち、やがてそれが王貞治の代名詞になった。7月はわずかひと月で10本のホームランを打った。その年、38本塁打を記録した王は初めてのホームラン王に輝いた。
それから13年連続でセ・リーグのホームラン王を獲得し続け、生涯868本のホームラン王を記録して世界のホームランと呼ばれた。師・荒川博の存在がなければその栄光が生まれなかっただろうことは、当時の野球ファンなら誰もが知っている。
合気道の始祖・植芝盛平翁から直々に指導を受けた門弟でもある荒川さんは、打撃の基本に合気道の心技体を置いていた。筋力に頼るのでなく、身体の芯から込み上げる力をいかにバットに伝えるか。来たボールにバットを当てるのでなく、ボールと一体になれば自然とボールがバットの当たる感覚を打者に求め続けた。日本刀を振り、天井から吊るした短冊を斬る稽古を王にさせたのはそうした境地を体得させるためだった。
あまり知られていないが、荒川さんが指導したのは王ばかりではない。長嶋もまた、遠征先の宿舎などで、熱心に荒川コーチの指導を受けていた。
「王が長嶋くらい努力していたら、もっとすごい選手になったよなあ」
荒川さんはしばしばそう言った。天才・長嶋、王は努力の人というイメージがあるが「違う」と。
「遠征先の宿舎で、3時に部屋に来いと約束するだろ。時間になると、バットをぶら下げて涼しい顔で来るのが王だ。長嶋は、汗びっしょりで来る。自分の部屋でもうさんざんバットを振ってから来るんだよ」
いつのころか、墨田区から区民栄誉賞が贈られる話があった。荒川さんはこれを断った。なぜかと聞くとこう言った。
「弟子の王が国民栄誉賞で、師匠のオレが何で区民栄誉賞なんだ。おかしいだろ」
師匠が弟子と同じ評価と処遇を与えられない世の中に、荒川さんは精一杯の強がりを言って見せたのだ。
いつお会いしても、人懐っこい笑顔で迎えてくださり、こちらが遠慮しても気前よくコーヒーやスパゲッティをご馳走してくださった……。荒川さん、ありがとうございました。心からご冥福をお祈りします。