永劫
仏教では、想像も出来ない長遠な時間のことを「劫」と呼ぶのだそうだ。
未来永劫の「劫」であって、広大な宇宙観に通じる無限の時間である。
昨年の夏訪れたモンゴール高原の天一面の星空を思い出すが、正に三千大千世界であって、無限の広がりがそこにはあった。
劫という長遠な時間からすれば、私達の高々数十年の命など、ミジンコのそれにも似て、
その星空の下に生きる自分など如何にも小さいと思った。
さて、昨日の男子高校生の演じたエッサッサを観ながら、私はこの「劫」を思っていたのだ。
四百人近い半裸の青年達が作り上げた世界は、一時のエネルギーのほとばしりだ。
しかし、その中の一人ひとりは星空に輝く星達であって、宇宙全体を構成している。
一時のエネルギーの爆発だとしても、それは永遠に通じるものではないかと思った。
だから彼らが五十歳で死のうが百歳まで生きようが、そんなことは大した問題ではない。
そもそも長遠な宇宙の時間からすれば、私達の存在など確認しようもないのだ。
その生きている今の輝きを発することが出来れば、もうそれで十分なのではないか。
彼らが大声で叫ぶ「エイサッサ」の雄叫びは、地域を圧する如く広がり、居合わせた人々の心を揺さぶり続けた。
そしてその響きは、「この今を生きろ」と諭しているように聞こえていた。
群れの中の一粒となって演じきった一人ひとりだって、宇宙の中の一人の存在が意識できたはずだ。
「俺が、今ここで叫んでるのは、これからの俺を鼓舞してるんだ」ってね。
人間は孤独な生き物だし、みんな一人ぼっちだ。
だけど、その一人ぼっちが寄り集まってこの星空の様な世界を造っているんだ。
エ~ィサッサ、エイサッサ、これからだってそうやって精一杯踏ん張って生きていくんだ。
そんなエネルギーに満たされて、自分の若さを確認しつつ会場を後にしたのである。
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