舞踏会の夜は華々しく
夏休み前最後の座学が終わると、ジノブランド先生がやってきて次の授業開始や注意事項を告げて去っていった。この後すぐに、実家に帰るらしい。元気になった妹さんたちといっしょに過ごすのだそうだ。
先生も先生でいろんな貴族とのしがらみを断ったものだからあれこれ大丈夫なのかなとは思っていたんだけど、なんと、キールくんのお父さんが手を回してくれたらしい。
先生はあの御方と一度会ったことがあるんだけどな? と意味ありげに俺を見てきた先生なのだが、「いや、俺は別になにも言ってないよ? むしろキールくんが口利きしてくれたんじゃ?」と言ったら砂糖と塩を間違えて味付けしたような妙な顔をされたっけ。
なんにせよ、先生が幸せならいいことだ。秋にまた会いましょう。
黒鋼寮に戻ると、明日から帰省するというクラスメイトたちは荷物作りにあたふたで、特にそんな予定もない俺なんかは慣れない「舞踏会」とかいうものを目の前にしてあたふたしていた。スヴェンなんかは見事なもので、剣の手入れなんかしちゃって泰然自若と構えているけど、お前も参加するんだからね? 全員参加必須だからね? なに首横に振ってんの? 出るんだからね?
これも「修行」だぞ、という俺の言葉が決め手になって剣を手放した。だんだんコイツの扱いに慣れてきた気がする。
日が傾いてくると、服を整えたクラスメイトたちがぞろぞろとロビーに下りてきた。
ガチ勢は燕尾服、金のない俺みたいなのはタキシードである。
銀色にストライプが入っているものや、シンプルに黒一色のものも。俺は「髪の色と合わせたら?」というチャラ男リット大先生のアドバイスを全面的に受け入れて服を調達した。もちろん仕立てている時間なんてなかったので中古のものの丈を合わせただけだけどな。
油や謎のジェルといった整髪料もあり、みんなバッチリよそゆきの格好である。
13歳がめいっぱい背伸びしてる感じでな。
なんだかそれが照れくさくて、いつも以上に口が悪いのはご愛敬だろう。
「お? 一年坊がめかしこんじゃってよお」
そこへ聞こえてきたのはフルチン先輩の——。
「は……?」
俺の目がおかしくなったんだろうか。
オールバックに髪を流し、ヒゲも眉もきっちり整えてある。完璧に仕立てた燕尾服のおかげで本来はだらけているはずの肉体が筋肉質にすら見える。
そしてなにより「この夜は俺のもの」とでも言わんばかりの圧倒的なオーラ……!
フルチン先輩がかっこよく見える。
「んだよ、ソーンマルクス……こっちじろじろ見て——いでえぇ!? て、てめっ、なに蹴りくれやがる!」
「あ、すみません。フルチン先輩が調子乗ってるようでつい」
「
「俺たちの祝勝会に、頼んでもない酒を差し入れしてきた罪も断じなければならなかったので」
「へっ……これが粋な大人ってヤツよ」
いや、俺怒ってるんだけど? なに「いいってことよ」みたいな感じでニヤリってしてんの? おいトッチョ、お前が「寮長マジヤベェ」とか言って憧れの目線送るからこの人調子に乗るんだけど?
徒歩で会場に向かわなければいけない俺たちはぞろぞろと寮を出た。女子はまだ準備が終わっていないらしい。
ちなみに他のクラスは馬車が呼ばれてそれに乗って移動らしいですよ? はぁ〜、金のムダだよなぁそんなの!(ひがみ)
夕焼けに染まった学園の道を歩いて行くと、この学園ってこんな場所もあるんだなぁとか、やたら広いよなぁとか、いろんなことを考える。
「こんなに広いのに、みんな迷わずによく歩けるな」
「そりゃ、お前を捜すのに歩き回らされたからな」
俺の横にいたトッチョが渋い顔で言った。
「うっ……すんません」
「ほんとに悪いと思ってんのか?」
「その節はほんと皆さんにご迷惑をおかけしました」
「丁寧に言われると逆にフザけてんのかって気になるけどな」
そういうトッチョの言葉の響きに嫌みなものは含まれていない。こいつも入学当初から見たらだいぶ丸くなったよな。身体は細くなったのに。
この数日はスヴェンと模擬戦をやりまくっているらしく、39勝39敗なのだそうだ。
「ふたりの模擬戦はどっちが先に40勝行きそうなんだ?」
俺が水を向けると、俺の後ろ1メートルほどを歩いていたスヴェンの瞳がきらりと光った。こいつさっきから後ろでぶつぶつと「剣の軌道が……」とか「やはり素振りが……」とか延々しゃべっててうるさいんだよな。
「当然、俺でしょう。なにせ師がすばらしいですから」
と、一定の距離を空けたまま言う。……それってアレなの? 三尺去って師の影を踏まずなの? 俺の影を踏まないようにしているわけ?
「は? そんなら独学で極めてる俺のほうがスゲーってことだろ? なんせお前の師とやらは対抗戦しょっぱなで失格になるようなヤツだしなあ」
トッチョがせせら笑う。
「……今この場で剣の錆となりたいようだ」
「いいんだぜ、俺はこの場でおっぱじめてもよ」
おっぱじめないでくれる? 大体お前ら武器持ってないだろ?
めんどくさいいがみ合いを始めたふたりを半ば無視してずんずん進んでいく。こいつらたぶん、仲良すぎなんだよな。たった数日で模擬戦80戦とかなに考えてるの? ナニをおっぱじめるの? おいルチカ、お前の兄を題材にして創作意欲をかきたてろ。
ちなみに俺とフランシスを題材に書かれようとしていたルチカの創作物語はなんとか発行中止に追い込んだ。追い込んだ……と思う。碧盾クラスの女子の俺を見る目が変わったような気がするけど、流通はしてないはずだ。なんせ碧盾クラス窓口の子にあの
「おっ、会場見えてきた○」
「すげーぞ、めっちゃ人いっぱいいる×」
「歩いてきてるの俺たちだけか……◇」
三馬鹿もきっちり燕尾服姿であり、デザインまで同じという。お前らそれワザとだろ。
「すごいねえ。こんなところに入っていいのかな……」
可愛らしいことを言ったのはオービットである。
対抗戦では弓でちくちく攻撃して得点を稼ぎまくり、個人順位3位という快挙を成し遂げたオービットもまた注目されまくりだった。めんどくさい上級生からも声をかけられまくりだった。
——誰からも注目なんてされたくない。僕はソーマくんみたくはなりたくないのに……。
とかサラッと失礼なことを言うヤツでもある。
ともあれ、会場である。
学園恒例の夏の舞踏会、秋の夜会、冬の舞踏会に使われるためだけの施設らしい。入口付近は花壇になっていてそこに魔導ランプが贅沢に置かれてきらきらしている。
シッカクが言ったとおり、歩いてきているのは俺たちだけで、あちこちのクラスの馬車が到着しては、男子生徒が女子生徒をエスコートして出てくる。
「おぉ……かっけぇ」
蒼竜クラスの上級生は、堅苦しいまでにきちんと着込んだ燕尾服で、ドレスの女子生徒に手を貸して馬車からゆっくりと会場へと入っていく。
黄槍クラスの上級生が現れると、入口付近にいた碧盾クラスの上級生たちが歓声を上げる——その気持ち、よくわかる。信じらんないくらい整った顔の男女が出てくるんだもんよ。
それぞれのクラスがわかったのは、馬車の塗装が各クラスの色に応じた色調になっているからだ。天蓋なしの馬車は夏の夕暮れには涼しげでいいよな。
そして——ざわっ、とどよめきが広がった。
白の馬車が粛々とやってきたのだ。
白騎クラス総代——第3王子ジュエルザード殿下率いる、白騎の5年生たちである。
もう肉体は大人の世界に足を突っ込んでいる彼らは、「貴族」という呼び名にふさわしい、優雅な所作、堂々とした態度、そして豪奢な出で立ちだった。
LEDでもつけてるのかと思ってしまうくらい、きらきらした第3王子が馬車から降り、女性をエスコートしている姿は一幅の絵になりそうなほどだ。黄槍クラスにはキャーキャー声を上げることができても、ここまでオーラがすごいと誰も声を掛けられない——はずが、
「おっ、ジュエルザードも今来たところかよ」
そんな彼へと気安く声を掛けたのは……。
って、フルチン先輩いいいいいいいぃぃぃぃぃ!? なに気安い態度で近づいてんの!? 処されるよ!?
「やあ、ふたりとも。今日は素敵な夜だね」
俺が戦々恐々としていたら——というか俺だけじゃなく黒鋼1年男子全員が凍りついていたんだが、現れたフルチン先輩たちにジュエルザード殿下はにこやかに返した。
え……お知り合いなの?
ていうか、フルチン先輩の横にいる唇に金の三連ピアスをつけたどこからどう見てもヤベーヤツって確か黒鋼総代……。
寮でも全然見かけなかったからなんなんだろうと思ってたけど、こんなところにいたのか。
俺がショックに包まれていると、いつの間にかジュエルザード殿下やフルチン先輩たちは会場へと入っていってしまっていた。
そして目の前に馬車がやってくる——黒塗りの馬車が。
「そんなところにボケッと立ってんじゃないよ、まったく……こうして見ると田舎者丸出しだね、アンタは」
ぽかん、として俺は見上げた。
そこには目の覚めるような青いドレスを着た、オリザちゃんがいたのだ。