男子二晩会わざれば刮目して見よ
夜が明けてもレッドアームベアは去らなかった。
寝不足は否めないだろうが興奮状態は残ったままで——ひょっとして「隠者の秘め事」のせいで眠れないのでは? という予感もしたけれども——レッドアームベアはちょっと離れたところに立ち尽くして、かれこれ1時間ほどだ。
「……フランシス」
「あっ……」
木に抱きついたままうつらうつらしていたフランシスだったが、俺が声を掛けると視線をさまよわせた。
フランシスもフランシスで、こんなところじゃろくに眠れるわけもなく、今にも倒れそうだった。まあ、完徹2日目みたいなもんだもんな。
俺? 俺もまあ眠い。だけど動けないほどじゃない。
警備員のジイさんたちにスパルタされててよかったー(白目)。世の中なにが吉と出るかはわからないよな。
「クマ、クマは……?」
「いるよ」
「…………」
レッドアームベアを見つけたフランシスは見るからにがっかりしていた。疲れ、眠気もあいまって顔には「絶望」とわかりやすく書いてある。
「聞け、フランシス。俺は今からあのクマ公に挑む」
「……は?」
「お前は逃げろ。太陽の方角にずっと走れば一昨日の小川にぶつかるはずだ。そうしたら街道を目指せ。俺たちが逃がした馬車が冒険者ギルドに報告でもしてくれていれば、救助隊も出ているだろう」
「な、なんで……戦うんだよ。救助隊が出ているなら、ここで待てばいい——」
言いかけたフランシスはハッとする。
「……僕の、せいか。救助隊が来るのを待てるほど、僕の体力が続かないと……」
「今さらウソ吐いてもしょうがないから正直に言うけど、それもある。だけどそれだけじゃない。救助隊じゃあのクマを相手にしても返り討ちに遭うだけだ。王都の騎士レベルじゃないと勝てない」
「だったらなおさら、お前が戦ってどうするんだよ」
「俺なら勝てる」
「…………」
フランシスが俺を見る目を、なんと言ったらいいだろうか。
正直なところ、バカにされるかなと思ってた。あるいはこいつを囮にできるならそれでいいや、みたいな感情が見えるのかと。
でも——違った。
「お前——
フランシスの目に浮かんでいたのは、尊敬、そして、憧憬——そんな感情だったんだ。
きっと俺が、彼を安心させるために、自己犠牲の精神を発揮してそう言ったんだと思ったんだろう。
俺は、フランシスのことを見誤っていたのかもしれない。
たぶんだけど、幼いころから親に叩かれて育った彼は、性根が変な方向に曲がっていった。心のよりどころが自身の貴族位にしかないのなら、平民出身で、統一テストで1位を獲った俺なんて目障り以外の何者でもなかったはずだ。だから黒鋼クラスに嫌がらせや妨害工作を仕組んできたし、レッドアームベアを使って直接的に殺そうともした。
そんな彼の、命を救うことはできても心は救えないと——俺は勝手に結論づけていた。それでいいと思っていたし、こんなのは俺の自己満足なのだと思っていた。
「合図したら、木から飛び降りて走れ。いいな?」
だけど——もしかしたら、まだ大丈夫なのかもしれない。
フランシスはまだ間に合うのかもしれない。
「……わかった」
「よし」
俺は立ち上がり、そろりそろりと木から下りた。風向きを感じながら風下からゆっくりとレッドアームベアに近づく。
気づかれずに初撃を与えられるなら御の字だが——。
「!」
足音をゼロにすることはできない。
レッドアームベアがぴくんと反応し、振り返る。
《ヴォオオオオオオオ!!!!》
「行け、フランシス!!」
「はい!!」
もう、フランシスを見る余裕はなかった。
だけど彼の声を——大きな声を聞いて、安心した。
フランシスなら大丈夫だ。ひとり走って、安全圏まで行けるだろう。
「とはいえ——俺だって負けるつもりで挑むんじゃねえけどな!!」
クマが雄叫びをあげながら走ってくる。
俺は鞘に収めたままの剣の柄に手を掛ける。
(来い、来い、来い)
大型ショッピングモールのフロアの高さが大体3.5メートルとか4メートルくらいらしいが、それほどの巨体は四つん這いになったとしてもワンボックスカーよりもデカイ。
それが、迫ってくる。
地面を蹴立てて、揺るがしながら、血走った目をただ俺に向けて。
(来い、来い、来い)
焦りは禁物だ。
理性はわかっているが本能が叫びだしている。
逃げろ、と。
それを意志の力でねじ伏せる。
身体中の毛穴という毛穴が収縮して総毛立つ。
(来い、来い、来い)
俺の体温が上がって視界が狭くなる。俺とレッドアームベアしかこの世界には存在しない。
(来い——)
『ヴォォォァァァアアアアアッ!!!!』
油断しているだろう。
この腰に下げた剣は一度弾いているからと。
「『
だが一昨日の剣にはライトインパクトを乗せていなかった。
「『
見えるぞ、クマ公。
振り下ろしてくるお前の爪も、お前の身体のひねりも、お前の足の踏ん張りも、滴り落ちるよだれさえも。
「『
正直に言えば——俺は、俺自身の
腕を振り出した瞬間、腕は完全に別人のような動きで
『——ァァアアア——』
わけがわからない、という顔のクマの横を俺はすり抜ける。血しぶきを上げながら腕が舞う。
『ヴォオオオオオオオ!!!!!』
レッドアームベアは大声で吼えながら地面をのたうち回る。
「お前の誤算はよ……人間の成長を舐めてたってことだ。こんなことわざがある。『男子三日会わざれば刮目して見よ』ってな……ああ、いやこれは向こうの世界の言葉だからお前が知らないのはしょうがないか」
俺のスキルレベルは、昨晩の素振りと、その後にフランシスに付き合わせた訓練で新しい力をもたらしていたのだ。
【刀剣術】400.00/
【格闘術】245.09/
【防御術】200.00/
【空中機動】121.83/
【弓術】86.87
【腑分け】41.90
【魔導】45.67
【筆写】2.08
合計、1143.44だ。
ガラハド先生たちの猛トレーニングのおかげで【刀剣術】と【防御術】がそれぞれ400と200のすぐ手前まで伸びていたんだ。
そして手に入れた「瞬発力+2」と「柔軟性+1」。
俺の身体は昨日の俺とは比べものにならないほどの力を持っている。
「だけど、まぁ……」
『ゥゥウウウウウウ……』
レッドアームベアは血がだらだら垂れる右腕をかばいながらも戦闘意欲は衰えていない。
対して俺は、
「……運はお前に味方しているみたいだな」
離れた地面に、ドスッ、と空を飛んでいた刃先が突き刺さった。
黒鋼の剣の切っ先は3割ほどが折れていたのだ。
レッドアームベアの腕が硬すぎた。
ほんとうなら、今回の攻撃で胴体まで切り裂いて致命傷を与える予定だったのに——これだから実戦は甘くない。
さらには連続してのスキル使用で徹夜明けのなけなしの体力が吹っ飛んでいる。
「来いよ、レッドアームベア」
だけどここで引く気も、負ける気も、死ぬ気もない。
「正真正銘、最後の殺し合いだ……!!」
レッドアームベアが吼える——いや、俺が吼えていたのか。あるいは双方ともに吼えていたのか。
俺たちは互いに突っ込んでいく——。