そして朝が来る、眠れぬ夜を越えて
夜がやってきた。レッドアームベアに追われながら過ごす夜としては2回目だ。
あんのクマ公……めちゃくちゃしつこい。
街道の馬車を見逃すために、俺はレッドアームベアを挑発した。
で——目くらましで土を放って逃げた。
正面から戦っても勝てるわけないしな。
だけど走って逃げたんじゃすぐに追いつかれるのはわかっていたから、採取していた2本の「隠者の秘め事」を置いていったんだ。レッドアームベアが「隠者の秘め事」を食べている隙に距離を稼いだというわけだ。「隠者の秘め事」は他の動物にかじられた痕がついてることがよくあったから、クマも食べるだろうとは思っていたしね。
で、途中見つけた木の上で夜の闇を過ごし、翌日は水場を探して水を飲んだり、食べられる木の実を探している途中でまたしてもレッドアームベアに遭遇。
上の肌着も放り捨ててニオイでかく乱し、「瞬発力」を使って木に飛び上がって隠れていると、付近をうろうろとしているレッドアームベアが見えた。
あとはもう忍耐勝負だ。
俺たちのいる場所は地上10メートルほどで、風が吹いてもニオイが流れレッドアームベアは位置を特定できないようだ。
さっさといなくなれいなくなれ……と願うこと数時間。すでに日は暮れ、闇の中、『フッ、フッ、フッ……』というレッドアームベアの息づかいと、落ち葉を踏む足音だけが聞こえている。
「…………」
俺の横で、上半身裸になったフランシスが木の幹にしがみついている。
昨晩は暗い怖いと泣いていたが、今日に至ってはもはやなにかを言う元気もないらしい。
ろくに水も飲めてないから、尿意がないのは不幸中の幸いだよ。
「ほれ、食え」
俺はポケットに確保していた、草イチゴによく似た実を差し出した。すでに食べ頃は過ぎていて茶色っぽくなっていたが食べられないことはない。
「…………」
だがフランシスは——貴族のお坊ちゃんは、それをちらりと見ただけで視線を外した。お気に召さないらしい。
「あのな。食わないといざってとき走れないぞ」
「…………どうせ」
「あん?」
「どうせ死ぬんだ……僕らはここで、クマに食われて……」
草イチゴモドキは「お気に召さない」+「ネガティブ」の合わせ技で食べたくないようだ。
「そうか? 俺は食べるけどね」
半分に割って、虫がいないかを確認して食べる。暗くてよく見えねえ……。ま、虫がいたところで気にしていられる状況じゃないけどさ。
口に入れてみると、意外と甘ったるい。
「俺は1%でも生き延びる可能性があるなら、食らいつくさ」
「…………」
「強制する気はないけどな」
「…………」
俺もフランシスも、上半身は裸だ。
だからバッチリ見えている——フランシスの背中に、いくつもの
それは刃物による傷痕ではない。もっといびつで、醜悪で、昔から、そして今もなおつけられている傷痕だ。
「……僕に同情するな」
「してねーよ」
「……この傷は、僕が貴族であるために必要なものなんだ」
「そうかよ」
俺の知り合いの
ていうか、生傷が貴族に必須とかどういう考えなんだよ。いきなり自殺しようとしたリエリィもぶっ飛んでるところあったもんな。リエリィも伯爵家だったっけ。この国の伯爵位は頭のネジと引き替えに手に入れるのか?
「しかしまあ……誤算だったな」
俺はほんのわずかしかない光で、目をこらしつつレッドアームベアを観察している。向こうはこっちに気づいていないのか……いや、もしかしたら視力がほとんどない可能性がある。フランシスが操ろうとした妙な術の影響なのかも。俺から見えているということは向こうも見えていておかしくないわけだし。
「……誤算、ってなにがだよ」
一応話をする気はあるのか、フランシスが聞いてくる。
「ん? ああ……まあ、街道に馬車がいたこととか、レッドアームベアに『隠者の秘め事』が
「……ちょっと待て。なんだよ『隠者の秘め事』って」
「俺があのクマに食わせたキノコ」
「アイツのあの
そう、レッドアームベアの股間には雄々しくそそり立つ「隠者の秘め事」があるのである。いやもはや秘めてない。堂々としすぎて自然に溶け込んでいるレベル。
フランシスの声が聞こえたのか、ぴくりと立ち止まったレッドアームベアがこちらへやってくる。
俺は小声で怒る。
(静かにしろよ!)
(わ、悪かったけど……でもアレはなんなんだよ!? あまりにひどいよ! あんなのに食われたくない……)
見た目美少年のフランシスが、上半身裸で、雄々しいレッドアームベアのレッドアーム(隠語)に組み伏せられる……これをルチカが知ったら大喜びでそういうエピソード書きそうだな。碧盾クラス相手にまたも売上が上がってしまう。笑いが止まらんな。
(ま、生きて戻らなきゃそんなこともできないよな……)
レッドアームベアは相変わらず眼下をうろうろしている。
俺は、ヤツがあきらめて去ってくれるという運頼みの打開策を一度捨てることにした。
枝の上に立ち上がり、黒鋼の剣を握りしめる。
(な、なにやってんだよ……音を立てたらバレるだろ——って、素振り!?)
フランシスが目を丸くしている。
俺は、樹上だというのにもかかわらず剣の素振りを始めたのだ。しっかりと、腕に負荷を掛けて。「理想の素振り」を頭にイメージしながら。
そうだ。
俺にはこうしてちまちま素振りをやっているのが合ってる。運頼みでレッドアームベアにいなくなってもらおうなんていうのは、ナシだ。
俺はひとり、黙々と、暗がりで剣を振るった。
* リット=ホーネット *
夜明けの黒鋼寮のロビーは、混沌としていた。テーブルには地図が広げられ、メモ書きが散乱し、ソファには1年男子が死屍累々と積み上がっている。
「……見つからなかった」
リットが呆然とつぶやく。
ソーマはすでに学園内にいないのではないかとは思っていた。12人1チームで捜索4チームを作り学園を探したが見つからず、昼には門を守る兵士から「外に出ていった」という情報がもたらされて学園北西の森も捜索対象とした。
だが——そこで見つかったのはなにに使うのかわからない鉄製の檻と、散らばった何らかの呪具だけだった。
日が落ちてからは外出は禁止され、学園内を探して歩いた。警備員であるガラハドたちは捜索は大人に任せて眠れと言ったが眠れるわけもなく、無理を通して警備ルートを同行させてもらった。
これほど学園が広いのだということをリットたちは初めて知った。
そしてたったひとりを探し出すことがこれほど難しいのだということも。
夜通し探しても見つからず——夜明け前に戻ってきたみんなはこうして眠っているというわけだ。
「今日は……対抗戦だ」
ソーマがいない対抗戦なんて……とは思うものの、もしソーマが帰ってきたときに対抗戦を棄権でもしていたら悲しむだろうとも思う。
リットは、自分でも驚くほどに考えの中心がソーマになっていた。
「戦おう……そしてまた探すんだ」
次号、開戦。