残された仲間たちは懸命に
いつの間にか100話超えてました。
『フッ、フッ、フッ、フッ……』
すぐそばで荒い息づかいが聞こえた。
それは小川の方角——。
「な、なんで……」
俺たちよりも先に、小川の下流にレッドアームベアはいたのだ。先回りされたに等しい。
俺たちを追っていてたまたま、あそこに出たのか?
そしてなによりまずいことには森はすぐそこで切れており、街道が目視できる場所であり——街道に砂埃が立っていることだった。
農作物を積んだ馬車がとろとろと走っている。
老人が御者を務めており、荷台にはトウモロコシのようなものが積まれてある。そこには少年が寝そべってひなたぼっこしていた。
『フゥゥゥゥッ——ヴォオオオオオオオ!!』
レッドアームベアが、馬車に気がついた。
新たな獲物だと把握したのだ。
馬車も馬車で、獣の咆吼に気がついたようだった。ぎょっとした顔をこちらに向けている。
「ヒッ……」
フランシスが、よろよろと背後によろめくと逃げ出そうとする。
「おい——待て、どこに行くんだ」
「逃げる。逃げなきゃ。死ぬ。殺される」
「俺たちが逃げたらあの馬車が襲われる。老人と子どもが死ぬぞ」
「そ、その代わり、僕たちは助かる……ふぐっ!?」
俺は拳を握りしめてフランシスの頬をぶん殴った。
「——俺たちは騎士になるんだろ。誇りを持って人を助ける、騎士になるんだろ!!」
ああ、クソッ。今日はとことんツイてない。
ここであのレッドアームベアをこちらに振り向かせなくちゃいけないなんて。
騎士になんてなろうと思わなければよかった——いや、どうだろう。もしも学園騎士じゃなくったって、俺はできる限りがんばってあの馬車を逃がそうとしたような気がする。
不思議だな。
自己犠牲なんて前世で十分懲りたつもりだったんだけど……悪い気はしないんだ。
『ゥゥゥゥウウ』
俺たちの声に気がついたレッドアームベアが、視線を向けてくる。
馬車は大慌てで逃げていく。おいおい、そんなにスピード出るなら最初から出しておいてくれれば俺たちだって心置きなく逃げられたんだけど?
「来いよクマ公。お前の相手は騎士様だぜ!」
見習いだけどな、と心の中で付け加えた。
* リット=ホーネット *
「……ソーマが、いない?」
初夏となり長くなった日も落ちようという時間帯は、すでに夕食時だ。
黒鋼寮でも食事のニオイが漂っており、腹を空かせた学生たちが大皿に群がっている。
リットはスヴェンから「師匠がいない」という話を聞いた。トッチョや他のクラスメイトも見ていないらしい。
あわてて隣にある女子寮へと向かい、オリザを呼び出す。オリザは今日は一度もソーマを見ていないと言った。
「は?」
昼に部屋を出て行こうとしたソーマに、リットはたずねた。どこへ行くのかと。
——ん、みんなに連絡してこようかと思って。
——そっか。気をつけて。
それが最後の会話で、その後の消息が途絶えているということになる。
「まさか——黄槍クラスに」
「おいおいリット。アンタまさか、連中がソーマを
「あり得ないことじゃ——」
リットはオリザと、寮の前で話していた。
そこへ数人の足音が聞こえてくる。
「おいお前ら、黒鋼の1年か! フランシスをどこへやった!!」
黄槍クラス1年、マテュー=アクシア=ハンマブルクが取り巻きを連れて現れたのだ。
リットが動くよりも前にオリザがリットを身体で隠す。
「あ? いきなりやってきてデカイ声を出すのが貴族のたしなみかよ」
「……お前、見ない顔だな。平民か」
「ざけんな。アタシはオリザ=シールディア=フェンブルクだ」
「なんだ男爵家か」
マテューの取り巻きが吐き捨てるように言うと、他の連中がせせら笑う。
腹が立ったオリザが言い返そうとしたとき、
「お前ら、黙ってろ。話が進まないだろうが」
まさかのマテューが彼らをたしなめたのだった。
「おい、お前」
「——お、おう。なんだよ」
他ならぬオリザ自身が驚いていたので返答がちょっと遅れた。
「ソーンマルクスを出せ」
「……いないよ」
「なんだと? どこに行ったんだ」
「それはこっちが聞きたいね。アンタらが連れ出したんじゃないのかい」
「どういうことだ……? フランシスは見なかったか。ルードブルク伯爵家の令息だ。見た目は——」
「顔は知ってるさ。一度見たら忘れられないようなキレイな顔してたからね。だけど、見てないよ。アタシたちは今日一日、外に出ないようにしていたから。どこかの誰かが襲撃してこないとも限らないだろ?」
オリザのあてこすりに、マテューの取り巻きたちが顔色を変えたが、当のマテューはじっと考えるだけだった。
「おい、フェンブルク男爵家の娘。ここにホーネット商会の……」
と言いかけ、マテューは言い直した。
「……いや、いい。邪魔したな——行くぞ」
「おい、マテュー。いいのかよ! コイツら調子に乗ってんぞ!」
「どうせ月曜に戦うことになるだろうが」
「——あ、それもそうか」
取り巻きたちを引き連れてマテューが帰っていった。
「ったく、なんなんだ? アイツら、フランシスがどうこう言ってたよな……ってリット、おい!?」
立ちくらみを覚えたリットの上体がかしぐと、オリザがあわてて支える。
「ご、ごめん……大丈夫。ちょっと貧血になっただけ」
「アンタ、顔が真っ青じゃないか……」
「思っていた以上に緊張していたのかな」
まさかこんなところにマテューがやってくるとは思っていなかったのだ。心の準備がまったくできていなかったリットは、混乱し、うろたえた。
(こんなんで、よくもまあ直接話をしに行こうだなんて思ったよな、ボクも……)
自分のもろさを目の当たりにして、逆に笑えてきた。
「リット。アンタはちょっと休みな。ソーマのことはアタシが——」
「大丈夫だから、オリザ嬢」
息を大きく吐いて、吸い込んだ。
「ソーマが心配なのはボクも君も同じだろ。いっしょに考えよう」
だが、リットたちの思いとは裏腹に、その日のうちにソーマが帰ってくることはなかった。
翌日になってもなしのつぶてだ。
さすがに籠もってばかりはいられないので、20人ほどで固まって事務棟へ向かい、捜索依頼を出そうとしたのだが、
「すでに、依頼が出ている……ってどういうことですか?」
「昨日、黄槍クラス1年生のマテュー=アクシア=ハンマブルク様から、同クラスのフランシス=アクシア=ルードブルク様と、黒鋼クラス1年生のソーンマルクス=レック
ナチュラルに貴族の子と平民の子とを区別する事務員だったが、それを訂正している場合ではない。
「マテューが……」
同じクラスのフランシスだけでなく、ソーマのことも捜すよう依頼した。
正直なところ、黒鋼クラスからの依頼で事務員が動いてくれるかは未知数だったので助かった部分はある。
どうして、とリットは思ったが、今は感謝しておくことにした。
「アタシたちはどうする」
黒鋼寮に戻ったところで、オリザが口を開く。
「捜そうぜ!」
「バカ、簡単に言うなよ。バラバラになったら襲われるぞ」
「それなら10人以上で固まって動くか?」
「機動性に欠けるよな……」
「ていうかそもそもソーマはどこに行ったんだよ○」
「それな×」
「フランシスってヤツとセットなのか◇」
クラスメイトたちはてんでバラバラに発言する。こういうときまとめようとするのはいつもソーマだったし、あるいはトッチョもたまにやっていることなのだがトッチョはトッチョで不安そうな顔で考え込んでいるだけだった。
ソーマがいないというだけでこんなにもまとまりがなくなるのか——リットは改めてソーマの大きさを感じ、心細くなった。
(あれ……でも、待てよ。確かにシッカクの言うとおり、ソーマはフランシスといっしょに行動しているのか? マテューはフランシスがなにかソーマに
推測に過ぎなかったが、妥当性はありそうだった。
(だったら、やっぱりボクが正体を明かしてマテューに話を聞くべきなんじゃ……)
できるのだろうか? やらずに済んであんなにも安堵していた自分が。昨日、マテューが近くに来ただけでオリザの陰に隠れてしまった自分が。
「——リット」
「!」
考え込んでいる彼女の肩を叩いたのはオリザだった。
「今は余計なことを考えるんじゃねえ」
「でも——」
「あの
「ボクにしかできないこと——」
そうだ、オリザの言うとおりだ。
今はぐちぐち考えている場合じゃない。
ぱしん、と両手で頬を叩いた。
「みんな! 今からソーマが行ってそうなところ、行ける可能性があるところをピックアップしよう。そんなに多くないはずだから。今日中に全部回れるはずだよ!」
今日中に全部回れる——リットの言葉に、初めてみんなが瞳に希望を宿す。
「そう、そうだな」
「やろうぜ! アイツには剣を造ってもらった借りがあるしさ」
「行方不明になったってことでもうチャラじゃないの?」
「確かに!」
小さな笑いも起きて、初めて空気が緩んだ。
ルチカが学園の地図と周辺の地図を持ってくる。
リットがロビーのテーブルにそれを広げると、黒鋼1年のクラス会議が始まった。